1998年 7月 ③

「でな、俺のつくる筏には太陽光発電で動くエンジンがついてるんだ」

「あの、パネルの?」

「そうそう、よく知ってるな」

「社会で習った。でも、どうして?」

 あづみは兄を見上げる。途端に夏の陽射しに顔をいられて目をほそめた。

「ぜんぶが水に沈んだら、石油もないだろ。ガソリンがなくても、太陽の光で進めるように」

 ちぐさに右手を掴まれて、駅までの道を歩く。兄は語り終えると「あっちー」と胸元にばたばた風を送った。

「人類みな裸族っていうのが世界平和への礎だと思うな」

「らぞくって?」

「あ、おい、あづみ。それかーちゃんに聞くなよ」

「なんで」

「俺が怒られるから」


 水で終わる世界を思い描く弟にボートの話をくりかえすちぐさは、ちらっと時計を見て「まずい」と言う。

「あづみ、ちょっと急げ。まどかとの約束に遅れるぞ」

 遅れると聞くなり、手をはらって走りだそうとしたあづみは兄にTシャツの襟首を掴まれて引き戻された。目の前の信号は赤。

「おまえ、信号をまるで守らないよなー……せめて、ちゃんと目の届く範囲にいてくれ」


 駅前通りのアーケードに辿りつくと、直射日光が遮られた。逃げ水を追いたいけれど、兄の手ががっしと後ろ襟をつかんでいて叶わない。ゆらゆら揺れる陽炎に、あづみは夢想する。

 1年後には、この街も水底にあるのだ。筏からはこの商店街を泳ぐ魚がときどき見えたりするのだろう。

 それはとてもおっかなくて、それなのに大変魅力的な光景に思えた。かたわらの兄に「楽しみだね」と言う。

「なんだかんだすげえ人見知りするのに、まどかには懐いてるからありがたいわ」

「楽しみだね」が、これからの待ち合わせ(夏休みのこども向けアニメ映画に連れていってもらえる)をさしているのだとかんちがいしたちぐさの見当はずれな返答がこちんと額をたたいた。

「そうじゃなくて、筏に乗って暮らすのが」

 言うと、笑顔がかえってくる。

「俺、責任重大じゃんよ」という笑みをふくんだ声が夏の風に溶けた。


「ちぐさ」

「なんだよ」

「みんなで行くんだよ。そしたらもう、ずっとなにも怖くないよ」

「……そうだなあ」

 そこで商店街を抜けた。駅前広場が見える。あづみは人待ち顔のまどかを見つけると、大きく手をふった。

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