第704話A 恩師からの電話

 自宅に帰り、早速僕は結衣に契約条件の書類を見せた。


「ふーん、4年契約、2年契約、単年契約ね。でも、もう単年契約って決めたんでしょ」

 結衣はそれを見ながら言った。

 ネットニュースで見たらしい。

「うん、決めた。いいかい?」

「金銭的なことを考えたら、そりゃ契約年数が長い方が良いけど…。

 貴方が単年契約の方が頑張れると思うなら、それが一番良いんじゃない」

「ありがとう。それじゃあそうさせてもらうよ」

 僕は早速、球団に電話を入れた。

 こういうことは早い方が良いだろう。


 そしてその夜、携帯電話が鳴った。山城さんからだった。

「はい、何ですか?」

「悪い。来年の自主トレ、手伝えなくなった」

 山城さんはこれまで毎年、自主トレに押しかけてきて、容赦なく僕らにノックの雨を降らせてきた。

 航空券と宿泊はいつも僕が用意しているが、謝礼は一切受け取らない。

 きっと僕らをいじめるのが好きな、根っからのマゾヒストなんだろう。


「そうですか。それは良かった、じゃなかった残念です。それではこれで失礼します」

「おい、勝手に電話を切るな。何でか聞かないのか?」

「さあ、用事ができたんじゃないですか?」

「その用事とは何だと思う?」

「うーん、皆目見当もつきません」

「聞きたいか?」

「いえ、別に…」

「じゃあ聞かせてやる」

 会話がかみ合っていない…。


「答えは静岡オーシャンズのコーチとして声がかかったからだ」

「え、マジですか?」

 山城さんは僕がプロ入り時は、静岡オーシャンズの内野守備走塁コーチだったが、退団し、高校の野球部監督をやっていた。


「言っとくけどな。これはお前のせいでもあるんだぞ」

「僕が何かしましたか?」

「お前、いたるところで今の自分があるのは、俺のおかげだと言っているだろう。

 本当に迷惑なことだ…」

 そういう電話の声は嬉しそうだった。


「そうですか。良かったですね」

「良くないわ。お前のせいで、高校には辞表を出さなければならないし、引っ越しもしなければならない。全く面倒なことだ…」

「じゃあ断れば良いじゃないですか」

「え、あ、まあ。でもせっかく声をかけてくれたのに断るのも申し訳ないしな…」

「そうですか」

 僕は笑いをこらえていた。


「そう言えばお前、日本残留を決めたらしいな」

「はい、いろいろ悩みましたが、まだ日本でやり直したこともありますし…」

「何だやり残したことって?」

「チームの優勝とか、もろもろです」

「そうか。俺個人としては、お前がアメリカで悲惨な目に合うのを見てみたかったという思いもあるけどな…。

 続く選手にとっても中途半端な実力でメジャーリーグに挑戦すると、こういう悲劇が起こるという戒めにもなるだろうし…」

「それは喧嘩を売っているのでしょうか…」

「まあとにかく、そういうことだから。オープン戦で会おう。じゃあな」

 そう言って電話が切れた。

 全く勝手な人だ…。僕は苦笑しながら、携帯電話の画面を見つめていた。


 そうか、山城さんもプロ野球の世界に復帰か…。

 計算を間違えていなければ、11年ぶりだろう。

 僕が今こうして、プロでやれているのも、一年目に山城さんから夜間特訓を受けて、守備に自信がついたからに他ならない。(第4話)

 最初は僕からお金を払うから、ということで始まった個人特訓だったが、山城さんは最後に全額返金してくれた。(第7話)

 それからも自主トレの手伝いや、悩んだ時のアドバイスなど、僕にとっては恩師と言える存在である。

 調子に乗るから、決して本人の前では言わないが…。


 静岡オーシャンズか…。

 僕をプロ野球の世界に導いてくれた球団だったが、あまり活躍できずに泉州ブラックスに移籍となってしまった。(フリーエージェントの人的補償として)

 そういう意味では悔いが残っている。



 

 





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