第708話B 壬癸(じんき)つけがたい

「ということなんだ。どうしたら良いと思う?」

「…そうね。あまりにも判断材料がなさすぎるわね。適当に決めたら?

 アメリカで野球をやれたら、それでいいんでしょ?」

「まあそうだね。タナカさんの話ではどちらのチームも、僕の獲得にはあまり熱心ではないみたいだから。

 早く決めないと、オファーそのものが取り消されることもあるらしい…」


 どちらの球団も不人気と弱さを高いレベルで兼ね備えている。

 甲乙というか、丙丁つけがたい。

 いやこの表現は適切ではないようだ。

 手元の明民書房の国語辞典によると、甲乙云々とは十干(甲乙丙丁戊己庚辛壬癸)からきており、"甲乙つけがたい"の反対語は"壬癸(じんき)つけがたい"であると書いてある。

 

「あなたの直観で良いんじゃない。どっちにしても初めての土地には変わらないし、どっちの街で暮らしたいかって視点で決めれば?」

 なるほど。それもそうだ。

 僕は電話を切り、スマホでそれぞれの街のことを調べた。


 町の規模としてはモントリオールの方が大きいようだ。

 バッファローはカナダとの国境付近に位置し、ナイヤガラの滝も近いらしい。

 うん、良く分からない。


 ということでコイントスで決めることにした。

 僕は500円玉を取り出した。

 表が出ればバッファロー、裏がでればモントリオール。

 ちなみに500と大きく書いていある方が裏という事だ。

 さあどうなるか。僕は大きくコインを宙に投げた。

 そして左手の甲で受け止め、右手で抑えた。

 ちなみに作者が本当に今、コイントスを行った。


 その結果は

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………


 表。

 つまりバッファローだ。

 こんな風に適当に決めて良いのか。

 それはわからない。

 でも人生はどちらかしか選べないのだ。

 つい先日も日本球界残留か、メジャー挑戦か迷い、メジャー挑戦を決めた。

 人生は選択の積み重ねである。


 ということでまずは結衣に電話した。

「なあに。決めたの?」

「ああ、決めたよ。バッファローに行く」

「あら、そうなの。それはどうして?」

「それはコイントスで表がでたから…」

 受話器の向こうでため息が聞こえた。


「私、貴方の事をもしかしてバカかも、って思う事もあったけど、やっぱりそうだったのね…」

「だってどっちが良いか、決められないよ。決断を天に任せた、ということさ」

「はあ…。まあいいんじゃない。どっちの街も行ったことがなかったし…。

 バッファローね。私も少し調べておくわ。こら翔斗、結茉を泣かせないの…」

 後ろから結茉の鳴き声がして、電話が切れた。

 僕は今度は代理人のタナカさんに電話した。


「もしもし、あー高橋選手。どうしましたか?」

「はい、決めました」

「え?、もうですか」

「はい、バッファローでお願いします」

「なるほど、バッファローの方が選手層が薄く、高橋選手が活躍する可能性が高いかもしれませんね。

 わかりました。早速先方に連絡を入れます」

「はい、よろしくお願いします」


「でもどうして、バッファローに決めたんですか?」

「え、まあ、それは直感というか、天の思し召しというか」

「まあ、しっかり考えて決めたんでしょうから、きっとその決断が正解だと思いますよ。

 まさかコイントスで決めたわけでは無いでしょうし」

「え、ええ、もちろんです。い、一生のことですからしっかり考えて決めました」


「あとは私にお任せください。

 なるべく好条件を獲得できるように頑張りますから」

「はい、よろしくお願いします」

 まあどのように決めたかはともかく、賽は投げられた。

 今の僕にできることは、ケガなく渡米できるようにコンディションを整えるだけだ。


 考えてみると、タナカさんから最初の電話がかかってきてから、10分しか経過していない。

 その10分で将来を決めた僕は、決断力の鬼と言えるのではないだろうか?

 そんな事を考えながら、再び自主トレの場所に戻った。




 

 




 

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