第7話:晴れ空は雲に覆われ、物語は動き出す。
翌日、俺は珍しく目覚まし時計が鳴るより先に起床した。少しぼーっとする目を擦りながら部屋のカーテンを開けると、そこから見える空はどんよりとした分厚い雲に一面覆われていた。昨晩の快晴は見る影もなく、今にも天が泣き出しそうな物悲しい雰囲気が漂っている。
「雨、降りそうだな」
面倒だが合羽を持っていく必要があるかもしれない。最近は晴れ続きだったので、合羽は部屋のどこかにしまわれているはずだ。
階段を降りてリビングに行くと、既に母さんと父さんは朝食を食べ始めていた。俺が仲間外れにされているわけではなく、両親とも仕事に行く時間が迫っているためこれがいつもの光景である。
「おはよ」
「今日は珍しく早起きね」
「何か目が覚めちゃって」
そう答えると、母さんは雨が降るのかしらね、なんて冗談とも取れない冗談を言いながら席を立った。
「いいよ、俺の分は自分でやるから」
「そう。あ、炊飯器のご飯全部よそっちゃって」
「はーい」
そのままキッチンへ向かい炊飯器を開けると、朝食にしてはまあまあの量の白米が残っていた。これを全部食べるのか、と思いながらきっちりよそう。
おかずと味噌汁もお盆に載せ、食卓に着く。
「いただきます」
「どーぞ」
早起きしたおかげで時間に余裕はあるが、いつもと変わらないペースで食べ進める。半分ほど食べたところで、父さんが話しかけてきた。
「晴彦」
口の中にだし巻き玉子があったため、手でちょっと待ってとジェスチャー。飲み込んでから口を開く。
「────っと、ごめん。何?」
「いや、変なタイミングで話しかけてすまん。最近勉強の調子はどうだ?」
別に今聞くようなことでもないと思うが、父さんは仕事で家にいないことも多いため、こういった時間がコミュニケーションを取るのに重要になってくる。
世の男子高校生は思春期真っ只中で口を開けば父親と大喧嘩なんて話をよく聞くが、幸いと言うべきか残念なことにと言うべきか、今のところ岡崎家の家族仲は非常に良好である。
「まずまず。国語は上位の成績を取れてるけど、他……特に理系科目の成績は微妙なライン」
「そうか」
「あ、でも赤点は今のところないかな」
「そうか」
同じ相槌でも、そこに込められた感情は異なっている。前者が少し心配を含んだものである一方、後者には安堵が含まれていた。父さんは言葉こそ少ないものの、一言ひとことに感情を乗せるタイプなのだ。口数の多い母さんとは真逆である。
「晴彦?」
「何も言ってないじゃん……」
「うるさいって言われた気がしたのよね」
勘が鋭すぎる。これはもはや以心伝心なんてレベルじゃない。母さんの特殊能力に震えていると、父さんが席を立った。
「しっかり勉強に励んでいるなら良い。たまには飴をやろう」
「……飴?」
何のことか分からず首を傾げると、父さんは少しだけ口角を上げて俺の疑問に答えた。
「来月のお小遣い、少し上乗せしてやる」
「マジか」
「マジだ。その代わり、成績を下げるようなヘマはするなよ?」
「頑張ります」
俺の返答に満足したのか、父さんはそのまま洗面所へ向かい身嗜みを整え始めた。そして時間を確認すると、椅子にかけていたジャケットを羽織って家を出ていった。いつものこととはいえ、忙しない。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
父さんを見送って、俺も食べ終えた食器を流しへと運んだ。家族全員分の食器を洗っている間に母さんも仕事の支度が整ったらしく、玄関の方から「行ってきます」と声が聞こえた。先程と同じく行ってらっしゃいと返し、俺は最後の食器の水気を拭き取った。
そういえばと思い出したように部屋から合羽を探し出し、忘れないようカバンの横に置く。その後父さんが買ったコーヒー豆、ミル等を勝手に拝借して食後のコーヒーで一服しながらニュースを流し見していると、ちょうど天気予報が流れていた。予想通り午後から雨になるようで、少しだけ憂鬱な気分になる。
さて、俺も登校の準備をしよう。そう思ってカバンを背負ったところで家のチャイムが鳴った。荷物を全て持って扉を開けると、何故かそこにいたのは──。
「…………優?」
「おはよ」
「おはよう。どした?」
まさかこんな朝早くから優に会うなんて思っておらず、至極当然の疑問が口からこぼれる。そんな俺の疑問に、優はさも当然であるかのように答えを口にした。
「せっかくだし一緒に登校しようかなって。午後から雨予報だしバスで行こうよ」
「ん、了解」
そうして俺たちは最寄りのバス停まで並んで歩くのだった。部屋から引っ張り出した合羽は、残念ながらお留守番である。
「午後から雨ってことは体育は無理かなあ」
「かもな。帰宅部の数少ない運動時間が削られて俺は寂しいよ」
「表情とセリフが一致してない」
そんなやり取りをしながらバスを待つこと数分、時刻表通りにバス停に到着した便に乗り込み、今度は高校の最寄りへと向かう。だいたい二十分くらいかかるため、俺たちはカバンから単語帳を取りだした。俺は英単語、優は古文単語である。
「……古文じゃないんだ?」
俺の手元を見た優が不思議そうに尋ねてきた。そういえば、当たり前のように隣に座るんだな。
「得意科目だと勿体なく感じるんだよ。少しでも英単語の苦手意識を払拭したくて」
「真面目だねえ」
「優こそ、古文単語なんて珍しいな」
「今なら分からないところハルに教えてもらえるかなって」
「左様で」
「頼りにしてるからね」
そんなことを言った割に、優は黙々と単語帳のページをめくり続けている。バス車内を包み込む静寂にほんの僅かな物足りなさを感じながら、俺も英単語帳をパラパラと眺める。アルファベットの羅列ってどうしてこうも頭に入ってこないのだろうか。
英単語への苦手意識と格闘すること数分、バスは定刻より三分遅れで高校の最寄りへ到着した。
そこから十分ほど歩き、俺たちは近くを清掃している用務員に挨拶をしながら正門を通過した。始業までまだかなりの時間がある。少し早く着きすぎたが、睡眠の時間を確保できたと考えれば十分だろう。
三階にある一年二組の教室に入ると既に複数のクラスメイトが登校しており、各々が勉強なり読書なり自分の時間を過ごしていた。その中に千夏がいるのを見つけ、俺たちは荷物を置いて彼女の席へ向かった。
「おはよう、ちなっちゃん」
「ゆー、おはよ。岡崎くんも」
「おう」
そのまま千夏は読書に戻る。何とか会話を続けてみようと悩んでいると、昨晩の叶多との通話を思い出した。だが、あまり凛個人のことをペラペラ話すのも違う気がする。
と、そんな俺の考えは優の一言で無駄なものとなってしまった。
「ね、凛ちゃんについて何か知らない?」
その言葉に、千夏はぴくりと眉を動かした。話題にしていいのか思案しているようで、千夏はおそるおそる口を開いた。
「ゆーも叶多から聞いた?」
「私はハルから」
そう言って優は俺を見る。つられて千夏もこちらを見てくるため、発言せざるを得なくなる。
「俺と叶多の共通見解だな。昨日の放課後に会ったのはいつもの凛じゃなかった」
「気のせい、じゃない?」
「ああ。部活の早上がりだと言ってたんだが、その後いろいろはぐらかされた」
「……確かに、変。いつもの凛なら、理由隠さない」
「だよな。けどまあ、それだけで判断するのも早計だから暫く様子見ようぜってのが俺と叶多の方針。女子同士なら話せることもあるだろうし、そこは二人に任せたいなと」
昨日叶多と話した内容と同じことを伝えると二人も納得してくれたようだ。
「はーい」
「うん。任された」
これで事情を知っているのは四人になった。あとは柊志にも伝えるか(そもそも柊志が気づいているか)どうかなのだが、その点に関しても二人に相談することにした。
「これ、柊志にも伝えるか?」
単刀直入に尋ねると、二人は揃って微妙な顔をした。
「柊志くんは……どうだろう」
「絶対、口を滑らせる」
「だよなあ」
オブラートに包んだ優と、辛辣な一言で片付けた千夏。信用がないわけでなく、変なところで信用されているらしい。
ともかく、柊志には事が落ち着くまで黙っておいた方が良さそうだ。
ごめん、柊志。今度飯でも奢らせてくれ。
そんな一方的な約束を取り付けていると、始業前にも関わらず瀬戸先生が教室に入ってきた。いつもならチャイムが鳴るギリギリに入室──何ならチャイムが鳴ってもやってこない日さえあるというのに、緊急の連絡でもあるのだろうか。
入ってくるなりきょろきょろと周囲を見渡した瀬戸先生だったが、俺と目が合うや否やこちらにツカツカと歩いてきた。
「……何スか」
「さっき美浜から連絡があったんだが、今日から暫く休むらしい。理由も何もなく、それだけ告げて一方的に電話が切られた。岡崎たち、特に仲が良かっただろう。何か知らんか?」
「「「………………は?」」」
俺たちは揃って間抜けな声を上げる。
曇り空は一層陰鬱さを増し、俺の──俺たちの物語が動き始めたことを示すために舞台が暗転しているかのようだった。
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