第6話:凛と輝く月を求めて
「晴彦、優ちゃんをしっかり送っていくのよ」
「わかってるよ」
夜は次第に静けさを増し、深夜と言って差し支えない時間になった。母さんが帰ってきたあとも勉強を続けていた俺たちだが、さすがに明日の準備もあるため解散。時間も時間なので、俺は優を家まで送っていくことになった。
「それじゃ、お邪魔しました」
「今日はありがとう。本当に助かったわ」
「またいつでも呼んでください」
母さんと優の挨拶が落ち着いたところで、俺は優を伴って家の外へ出る。日中は暑くてもやはり秋が深まっているのか、この時間帯は思っていたよりも冷える。もう一枚羽織ってくるべきだったかと後悔したが、家を出てしまった以上戻るのも情けない。
「……寒いな」
「うん」
独り言のつもりだったのだが、横を歩く優から返答があり、そちらを見てしまう。そんな俺の視線に気がついていないのか、優は空を見上げており、その先には月が煌々と輝いていた。
「月が綺麗だねえ」
優が何となく発したその言葉に、俺の心臓が強く跳ねた。夏目漱石による意訳が有名なあの言葉が頭に浮かんでしまうが、おそらく優は何も考えず、本当に月に対して言っているのだろう。
「……そうだな」
おかしい。さっきまで体が冷えていたはずなのに、急に熱を帯びてきた。それほどまでに優の言葉が俺の心に刻まれてしまった。
何を言ってもこの絶妙な雰囲気を壊してしまいそうで、俺は何も言えなくなる。そんな俺を不思議に思ったのか、優は心配そうに俺の名前を呼んできた。
「……ハル?」
「ん」
「急に黙っちゃったけど、何かあった?」
「いや、何もないよ。寒いなって」
傍から見ればとても間抜けな返答なのかもしれないが、今の俺にはこれが精一杯。それでも優は納得してくれたようで、ふふっと笑いながら言った。
「さっきも聞いたよ。風邪ひかないように、温かくして寝なよ?」
「母親かよ」
そうツッコミを入れると、優はとんでもないことを口にした。
「だってハル、お腹出して寝てる時あるし」
「待て、何でそんなことを知ってる」
「朝早くにおばさんが家にあげてくれた時、様子見てきてって言われて、その時に」
そんなこと全く聞いていないのだが、話を聞いていると、どうやら休日の俺が寝ている間に優がやって来ていることがあるらしい。
「何でそんな時間に来てるんだよ」
「念の為に言っておくと、ちゃんとハルと約束してる時くらいだよ?」
「それでもだよ」
「ま、ハルの寝顔を眺められるのは幼なじみの特権ってことで」
「……そうかよ」
全く答えになっていないのだが、俺の寝顔が優の笑顔の糧になっているのなら……まあ、いいか。
「てか、優こそ風邪ひくなよ?」
「え?」
「お前の手、こんな冷たいから心配になる」
並んで歩いているためふとしたタイミングでお互いの手が触れてしまうのだが、その時に掠めた優の手は想像以上に冷えていた。さっきのやり取りで俺の体温が上がっていることを考慮しても、冷えすぎなのではと思ってしまう。
そんな優を心配してのだったのだが、優は「ぴゃっ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
「何だよ」
「急に手を繋がれたら誰だってびっくりするでしょ! もう!」
「……ぁ」
確かに、これでは急に手を握っただけになってしまう。俺は慌てて言い訳を捻り出そうとするが、冷静ではないためまともな言葉が出てこない。結局、素直に謝ることしかできなかった。
「ごめん、驚かせた」
「おお、急に素直。でも別に嫌じゃないんだけどね。ハルの手、暖かいし」
そう言って優は俺の手をきゅっと握ってきた。完全に手を離すタイミングを失ってしまい、俺たちはそのまま歩くことになってしまった。
まあ、それから三分も経たずに優の家に着いてしまったのだが。
「それじゃ、また明日な」
「うん。気をつけて帰ってね」
そんな言葉を交わして、俺は来た道を戻る。掌に残る温もりを逃がさないよう、ぎゅっと拳を握りしめながら。
……もう少しだけ、あの時間が続けばよかったな。
家に帰った俺は、自室で課題の続きを解いていた。疲れを感じ始め、息抜きにゲームでもしようかとスマホを手に取ったところで着信音が鳴る。
「……もしもし?」
こんな時間に誰だ、と思いながら相手を確かめずに通話ボタンを押す。俺に電話をかけてくる人物なんて、きっとあいつらの内の誰かだろう。
『あ、晴彦? 急にごめん』
「何だ、叶多か」
『その言い方はないんじゃない?』
「いや、こんな時間に野郎の声を聞いても睡眠導入にもならんだろ」
『ま、それは同感』
軽口を交わしながら俺は電話の理由を尋ねる。
「で、何の用?」
『放課後気になることがあって、その話をしたくて』
その言葉で、俺は何のことか分かってしまった。ついに時間ほど前に、俺も優にそのことを相談していたからだ。
「凛のことか?」
『──っ! もしかして晴彦も会ってた?』
「帰ろうとしたタイミングでちょうどな」
『それなら話は早いや。あの時の凛、どこか変じゃなかった?』
「ああ。心ここに在らずって感じだった」
あの時の様子を思い出しながらそう言うと、叶多も同じ意見だったようで、やっぱりと呟いてから言葉を続けた。
『ポテトを奢らされたんだけど、それを食べてる間も何も話さなくてさ』
俺の予想通りポテトを奢らされていたことに今更驚きはないが、食べている間何も話さなかったという点は引っかかる。凛の性格上、美味しいものを食べている時はテンションが上がって何かしら話題を提示する立ち位置となるからだ。
「そりゃおかしいな」
『そう思ってさっき千夏にも聞いたんだけど何も分からないらしくて。晴彦ならどうかなって』
「何でお前の彼女が知らないことを俺が知ってる前提なんだ……」
『その様子だと何も知らない感じ?』
「ああ。俺もさっきそのことを優に相談したばっかりだからな。あいつも何も知らないらしい」
そう告げると、叶多はふうっと息を吐いた。
『そっか、気になるね』
「だからって無闇に突っ込むなよ?」
『友達が困ってるかもしれないのに少し薄情じゃない?』
委員長に指名されているだけあって、叶多はそういった問題に首を突っ込みたがる節がある。それを危惧して釘を刺したのだが、案の定熱くなっているようだ。
「だからこそだよ。個人のプライベートな事情に首を突っ込むだけが友情じゃない。本当に困ってるならあいつから助けを求めてくるはずだ。それまでできるのはあいつを見守ることくらいだろ」
強い口調になってしまったが、その甲斐はあったようで、叶多は冷静さを取り戻せたようだ。短い間があって、叶多は反省した声色で恥ずかしそうに言った。
『……それもそうか。ごめん、少し感情的になってたみたい』
「いや、俺も気持ちは分かる」
『すごい気になるけど、暫くは凛のことを信じるってことでいいかな』
「だろうな。優はそれとなく探ってみるとか言ってたけど、女子同士なら上手くやるだろ」
そんなことを言うと叶多も納得したようで、千夏も似たようなこと言ってたよと笑いながら口にした。
『夜遅くにごめんね』
「いいよ、勉強に飽きてきたところだったしちょうど良かった」
『そっか。それじゃ、おやすみ』
「おう。また明日な」
そう返して、通話が終了する。
話の内容のせいか、はたまた寒くなってきたせいか、体が強ばってしまっていたのでぐーっと伸びをする。すると窓の外に浮かぶ月が視界に入り込んだ。確かに、月が綺麗な夜だ。
夜空に凛と輝く月を眺めながら、俺は彼女のことを思う。
……凛、何かあったら頼ってくれよ?
*****
初めまして、ましゅと申します。
本当なら一話を書き終えた時点で何かしらの挨拶をするべきだったのかもしれませんが、完全に忘れていました。そんな理由で六話終了時点の作者の思いなど……
この作品の舞台となっている愛知県一宮市ですが、それには特段深くもない理由がありました。私自身がこれまで聖地がはっきりとしている作品を多く読んできたので、そういった作品を自分も書きたい、と思ったのがこの小説が生まれたきっかけです。
愛知県一宮市。とても良い所なので、知っている人も知らない人も一度訪れてもらえると嬉しいです。
あ、感想等々頂けますと、作者が跳ねて踊って喜びます。
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