第5話:手料理は体も心も満たしてくれる。好きな人の手料理なら尚更

「で、今日は何作るんだ?」

 手伝ってと言われただけで具体的な指示は何ももらっていなかったため、自分の仕事を把握する意味も含めて今日の献立を優に尋ねる。優は頬に指を添えながら答えた。いちいち仕草が可愛い。

「おばさんに冷蔵庫の在庫を空にしてくれると助かるって言われたからハルが来るまでに確認してたの。そしたら卵が多めにあったから卵料理にしようと思ってたんだけど……」

「けど?」

「せっかくならハルの希望を聞きたいな、と思って帰宅を待っていたわけです」

「あー、待たせてしまったみたいで申し訳ない」

 まさかそんなことを考えてくれていたとは露知らず、俺は呑気に友人と談笑してしまっていたわけだ。非常に申し訳ない気持ちでいっぱいになり謝罪のを口にすると、とんでもない言葉が優から返ってきた。

「いーよいーよ。ハルのこと考えるの楽しかったし」

「…………へ?」

「何その顔。嘘じゃないよ?」

 突然の爆弾発言に思考回路がフリーズしていただけなのが、どうやら俺が疑っていると勘違いしたらしい優は言葉を重ねた。

「ハルって何でも美味しそうに食べるんだもん。そんなハルは何の卵料理を選ぶんだろうとか、食べたらどんな顔するんだろうなとか、そんなこと考えてたの」

 こういう言葉を素で発するところが本当にずるい。俺がただの友人ポジションだったら、確実に勘違いして告白して玉砕している。まあその場合優が料理を作ってくれること自体ありえないのだが。幼なじみバンザイ。

 それはそうと、もし優がこの言葉を誰にでも言ってしまうようなら勘違い男が増えそうなのが怖い。

「お前さ」

「ん?」

「そんな言葉不用意に使うなよ?」

「ハルにしか言わないって」

「…………左様で」

 本当にずるい。優が俺のことをどう思っているのかわからない、そのことがこんなにもどかしいとは思わなかった。

「話逸れちゃった。ハル、何が食べたい?」

 既に胸がいっぱいなのだが、そんなことを言って何だこいつと思われるのも嫌なので考える。……考えたのだが、こんな言葉しか出てこない。

「何でもいい」

「……ハル、困らせるような言い方やめな?」

「いや、違うんだって。お前なら何でも美味しく作ってくれるって理解してるからこう答えるしかないというか」

「うぐ……その言い方ずるくない?」

「すまん」

 いいえ、ずるいのはさっきまでのあなたです。だがしかし、俺の発言が優を困らせるものだということも理解しているため、改めて自分が食べたいものを思い浮かべてみる。

「優なら何でも作れるもんなあ」

「私のこと何だと思ってるのさ」

 そう言った優は照れているのか、少しムスッとした表情になった。ムスッと…むす……蒸し料理。あ。

「あ……食べたいのあった」

「お、何かな?」

「茶碗蒸し、作れる?」

 そうリクエストすると、優は軽く考え込む素振りを見せた。無茶ぶりだったんだろうかと心配になったが、優はすぐに顔を上げ、パッとその場の空気が明るくなった。

「いいね。中の具材も冷蔵庫の在庫処分にちょうど良さそう」

「やった」

「もちろんハルにも手伝ってもらうからね?」

「わかってるよ」

 そうして、優によるお料理教室が始まった。



 全工程を合わせて四十分ほどだろうか、無事茶碗蒸しが完成した。卵液を混ぜる時に泡立てないことや、ざるで濾すことなど、今までの自炊では知らなかった知識や注意点がたくさんあった。それでも優はレシピも何も見ずにテキパキと作業を進め、合間を使って俺に指示を出したりしていたのでさすがの一言である。

 思ったより時間がかかる料理を選んでしまったことが申し訳ない。

「ふう、よくできました」

「優の教え方が良かったからな。おかげで母さんたちの分まで作れたよ」

「ふふ、喜んでくれるかな」

「当たり前だろ。というかごめんな、やりたいことあるだろうに時間かかる料理選んじまった」

 そう謝ると、優は目を細めて俺を睨んできた。

「ハルってさ」

「はい」

「すぐ私に謝るけど、何で?」

「そりゃ俺のために時間を割かせてるのが申し訳ないから……」

 俺が最後まで言い終わる前に、優は「あのね、ハル」と俺の言葉を遮った。

「私はいやいやハルの幼なじみやってるわけじゃないよ?ハルがいう『私のやりたいこと』は、ハルのために時間を使うこと。私がやりたいからやってることなの。だから、謝るよりも別の言葉が欲しいかな」

 そう言われてはっとなる。そういえば俺、優に謝ってばかりでもっと大切な言葉を伝えていなかった。そんなことに今更気づいて、俺の口から自嘲気味なため息がこぼれた。

「優、ごめ──じゃなくて、ありがとな」

 ありがとう。その言葉を伝えると、優は満足げに大きく頷いた。

「それでいいんだよ。どういたしまして」

「思い返すと恥ずかしくなってくるな。感謝の言葉を伝え忘れるとか人として最低だろ俺」

「今気づけたからいいの、くよくよしなーい。ほら、早く食べよ。冷めちゃうよ」

「そうだな。お腹ぺこぺこだ」

 優には敵わない、そう思った瞬間だった。

 二人で協力して作った料理をテーブルに並べる。今日の献立は白米、茶碗蒸し、ほうれん草の胡麻和え、鮭の塩焼き。典型的な和食だが、俺が協力できたのは茶碗蒸しだけで、あとは優が一人で完成させてしまった。すごすぎる。

「「いただきます」」

 揃って食材、そして優に感謝を伝えてから茶碗蒸しを一口。出汁の優しい旨味が口の中でふわっと広がった。美味しいと、文句なしにそう言える一品になっている。

「……うっま」

「そう言うとわかってはいたけど、ちゃんと言葉として受け取るとやっぱり嬉しいな」

 嬉しそうに微笑む優を見ていると、何だか心が温かくなる気がした。好きな人の手料理は、一層体と心が満たされるらしい。



 ご馳走さま、お粗末さまと晩ご飯を終えて、後片付けまでしっかり終えた俺たちはリビングで課題を解いていた。課題の量自体はさほど多くないものの、さすがは進学校と言うべきか難易度は相当なものになっている。

「ハル、この文章の解釈って──」

「その前の段落に似たようなことが書いてあるから──」

 こんな感じで俺たちは至って真面目に学生の本分を全うしていた。甘酸っぱい空気感なんて皆無である。

 俺はふと今日の出来事を思い出していた。

「なあ、優」

「どした?」

「最近凛の様子ってどうなんだ?」

 そう尋ねると、優の表情に疑念の色が浮かんだ。それは徐々に面白そう、というものに変化していった。

「何なに?もしかして凛のことが気になるの?」

 どうやら何か勘違いをしているようだった。

「違う……とも言い切れないな」

「どういうこと?」

 俺の答え方で空気が変わったのを悟ったのか、優は真剣な表情で聞き返してきた。それに対して、俺は今日あった出来事を彼女をに伝えた。

「──ってことがあったんだけど、何か知らない?」

「それ、マジ?」

「この流れで嘘ついてもいいことないだろ」

「そりゃそうだ」

 そうして優はうーん、と伸びをしながら考える。だが、思い当たる節はなかったようだ。

「ごめん、何もわかんないや」

「そうか……」

「でも教えてくれてありがと。それとなく探ってみるよ」

「ああ、頼んだ」

 そして俺たちはまた問題集とにらめっこ。時計の秒針が、チクタクチクタクと静寂をほのかに彩っていた。

 そんな時間は、母さんが玄関を開ける音で終わりを迎えたのだった。

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