第2話:休み時間にスマホを触っても、意外と教師は黙認してくれる

 どうやら俺は授業終盤まで寝てしまっていたようで、起きてから十数分と経たないうちに終了を知らせるチャイムが鳴った。そんな時間まで寝させてもらったことはありがたいんだが、瀬戸先生は教師としてそれでいいのだろうか。いや、まあ既に義務教育ではないので無理に起こす必要はない、ということなのだろう。

 俺は着席するや否や鞄からスマホを取り出して通知を確認する。校内でのスマホの使用を禁止する校則があるとはいえ、それはもう形骸化しており役割を果たしていない。実際、俺がスマホを触っているのを確実に見ていたであろう瀬戸先生も何も言わずに職員室へと戻っていった。

 特にめぼしい通知もなかったため、俺は眠りの姿勢をとる。短い休み時間とはいえ、貴重な睡眠タイムを無駄にはしたくない。と、そんな俺の思いを無視するように声がかけられた。

「晴彦」

「……眠りの邪魔すんな、柊志」

 声の主はクラスメイトの田原たはら柊志しゅうじ。数少ない俺の友人のひとりだ。

「四限にあれだけ寝ておいてまだ寝る気か」

「育ち盛りなんでね。きっとすぐお前の身長抜かすことになるぞ」

「言ってろ」

 柊志の特徴といえばその高身長。高校一年にして一・八メートルもあり、早くも剣道部の次期エースとして期待されているらしい。最近は上段の構えの練習を始めたとか何とか。対して俺は……惨めになるのでやめておこう。

「んで、何か用?」

「五限は移動教室だと伝えに来た」

「はよ言えや」

「俺なりの最速だ」

 移動教室だというのに眠ろうとしていた俺は慌てて次の授業の準備をする。次は……うげ、情報かよ。

「サボりたい」

「無茶言うな。ほれ、行くぞ」

「あいあい」

 何で文系志望なのにプログラミングやら学ばなければならないのか。学ぶのはネットリテラシーだけでいいだろうに。

 重い足取りでコンピュータ室に向かう。上履きを脱いで専用のスリッパに履き替えて入室すると、コンピュータ室独特の匂いが鼻の奥をツンと刺した。それと同時に、複数のコンピュータから発せられる熱がむわっと体を包み込んできた。この感覚や匂いも含めて情報の授業が苦手なのだが、唯一の救いは座席が自由であることだ。おかげで俺の席の周りには頼りになる友人がたくさんいる。

「あ、ちゃんと来たんだ」

「俺を何だと。優等生の岡崎だぞ」

「自分で言うかね」

 俺のボケに対してケラケラと笑っているのは美浜みはまりん。中学校の頃通っていた塾が同じで、その縁で今もこうして話し相手になってくれている。ちなみに成績は超優秀。だけど国語に限れば俺が勝つ。

「だけど柊志が起こさなかったら寝てたよね」

「何お前エスパー?」

「普段の行いから推測しただけだよ」

 まるでさっきのやり取りを見ていたかのように話すのは新城しんじょう叶多かなた。俺たちが所属しているクラスの委員長であり、その落ち着いた物腰ゆえに周囲からはお父さんと呼ばれている。本人も満更ではなさそうなので、こいつはきっといい父親になるんだろう。知らんけど。

「岡崎くん、そのうちやらかす」

「……授業すっぽかす的な?」

「そう」

 口数が少ないけれど痛いところを突いてくるのは江南えなみ千夏ちなつ。高校からの同級生なので未だに性格を把握しきれていないのだが、鋭い洞察力を持っていることは確かだ。情報を付け加えるならば、彼女は叶多と付き合っている。それはもうラブラブなカップルであり、見ていて面白いので末長く爆発して欲しい。

「ほれほれ、早く座らないとチャイム鳴るよ」

「そう言ってるお前もまだ座ってないけどな」

「細かいこと言わんでよ」

 四限の意趣返しのような発言をしてきた優を睨んでから自分の席に着く。普段の学校生活では俺、優、柊志、叶多、凛、千夏の六人で行動することが多い。男女比が全く同じだが、付き合っているのは叶多と千夏だけである。

 余談だが、優、凛、千夏の三人はまとめて『ゆーりんちー』という随分美味しそうな愛称で呼ばれることが多い。少し無理がある千夏だけが異を唱えているが、既に定着してしまっているためその抵抗も焼け石に水である。

「はーい、授業始めるぞ」

 チャイムが鳴ると同時に、情報担当の先生が合図をしたことで授業が始まった。今日の内容は正方形のマスから地雷が埋まっているマスを探し出す某ゲームの簡略版をプログラミングする、というものなのだが、はっきり言ってわけわからん。

「叶多、へるぷみー」

「僕も少し困ってるから無理」

「んじゃ凛でいいや」

「それが人に物を頼む態度か」

「神さま仏さま凛さま、哀れな子羊に救済を」

「棒読み丸出し……」

 そんなことを言いつつ、凛は懇切丁寧に教えてくれた。やっぱりできる人間は他人に教えるのが上手なんだなと感心していたのだが、そんな中で急に隣から小さな歓声が上がった。どうやら俺が教わっている間に優は一人で完成させたらしく、さっそく嬉々としてゲームを始めていた。そして──

「フリーズした!?」

 うん、ダメだこりゃ。

 俺以上にポンコツだった優は、授業の時間のほとんどを先生に手伝ってもらいながら進めることとなった。



 五限が終わり教室へ戻った俺は、ようやく訪れた休み時間で軽く寝ることにした。またかと思われても仕方がないが、むしろ五限でまったく眠らなかったことを褒めて欲しいくらいだ。

 それはともかく俺は眠りの体制を整え、いざ……というタイミングでまた邪魔が入った。安息の地は何処に。

「晴彦」

「今度は叶多か。何の用?」

「瀬戸先生から雑用頼まれたんだけど一人だとキツくて……手伝ってくれない?」

「テラスで何か奢りなら」

「はいはい……」

 言質を取ったので立ち上がって叶多について行く。用があるのは進路指導室らしい。

 俺たちが通う宮里みやさと高校──通称ヤリ高は県内有数の進学校であり、それはつまり進路指導に力を入れているということである。高校一年の段階から進路について考える時間を多くとっており、文理選択も一年の後期に行い二年次からコース分けされる。俺には理解できないが、今の時期から各大学の赤本を解き始める猛者も一定数存在しているらしい。

 そんな校風であるため、進路指導室には数多くのパンフレットや冊子が届く。今回叶多が命じられた雑用は、そんな一部の冊子を教室まで運ぶように、というものだった。

「これ……一人で運ぶ量じゃないだろ」

「だから晴彦に頼んだんだよ」

「左様で。そんじゃま、ちゃちゃっと運んじゃいますか」

「そうだね」

 よいしょ、と冊子がパンパンに詰められた段ボールを持ち上げて教室へ戻る。足元が見えない小さな恐怖と戦いながら運びきったのは、六限が始まる一分前のことだった。

「叶多、六限って何だっけ」

「生物基礎だね」

「サボりたい」

「無茶言わない。ほら、準備準備」

 四限の際に柊志と交わした会話を思い出しながら大人しく席について授業の準備をする。根っからの文系と自負している俺(理系科目がからっきしというだけ)であるが、生物基礎はまだマシな成績を取れている。言うほど苦手な時間ではないので眠る心配はなさそうだ。

 そんなことを考えていると生物教師が入ってきて、ぬるっと六限が始まった。

 眠らないにしろ、今は穏やかな秋晴れが広がる午後である。ぼーっとしてしまうのは仕方のないことだろう。そのせいで突然の指名に対して間抜けな反応をしてしまう俺は悪くないはずだ。

「岡崎くん」

「……っす」

「この問題答えてね」

 何で俺なのかと疑問に思ったが、そういえばこの教師は出席番号の書かれた籤で生徒を指名する人だった。

 あまりにも公平がすぎる指名方法を少しだけ恨みながら黒板を見ると、書かれていたのは細胞分裂の過程を図示したものだった。『 』期となっている部分を答えろということだろう。

 少しだけ頭を悩ませていると、太ももの当たりをつつかれる。視線だけそちらに向けると、優が教科書のとある箇所をシャープペンシルで指していた。黒板と同じ図が載っており、シャープペンシルが示しているのは──

「間期?」

「うん、正解。瀬戸先生も言ってたけど、ちゃんと授業は聞くようにね」

「……はい」

 瀬戸先生、余計なことを広めるな。

 それはそうと、俺は小さな声で優に感謝を伝える。

「すまん、助かった」

「いいってことよ。その代わり私が指名された時は助けてね」

「へいへい」

 とはいえ俺が助けられるのは国語関連の授業だけである。優もそれは理解しているはずなので、きっと冗談半分での言葉だろう。

 その後は特に指名されるようなこともなく、穏やかに六限の生物基礎は終わりを迎えた。



 そして下校の時間である。

 瀬戸先生は連絡事項もそこそこにホームルームを終え、クラスメイトは各々部活なり下校なりに向かう。ヤリ高は文武両道を謳ってはいるが部活は強制というわけではない。その証拠に俺は帰宅部であり、他にも叶多と千夏が所属しているのだが、この二人はおそらくイチャつきたいがために帰宅部を選んでいる気がする。ちなみに柊志は剣道部、優は文芸部、凛は吹奏楽部に所属している。

 俺は約束を果たしてもらうために叶多の元へ。

「叶多、この後暇?」

「うん。今日は千夏も予定があるみたいで」

「じゃあテラス行こうぜ。ポテト食いたい」

「あー、はいはい。クーポンあったかなあ」

 そんなやり取りをしながら教室を出ようとすると、柊志に呼び止められた。

「どこに行くんだ?」

「テラス」

「なら俺も行こうかな。顧問も副顧問も出張で部活休みなんだよ」

「お、いいね。今なら叶多がポテト奢ってくれるぞ」

「そりゃありがたい」

「ちょ、晴彦!?」

 聞いてない、というように悲鳴を上げる叶多を無視して、俺たちは学校を後にした。校門を出るまでにスマホを操作している姿を何人かの教師に見られたが、やっぱり見て見ぬふりをされた。

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