第19話 楽しかったあの日

「ところで」


千夏が身を乗り出す。


「篠原先輩の家での練習、どんな感じだったの?」


美桜と白石、一瞬顔を見合わせる。


「実は...」


美桜が少し照れくさそうに話し始める。


───────


陽太の家のキッチンは、思っていたよりも明るくて温かかった。

大きな窓からたっぷりと光が差し込み、木のカウンターには様々な道具が整然と並んでいる。


「まずは基本の生地作りから」


陽太が白いエプロンを締めながら言う。

美桜と白石も、用意されていたエプロンを着る。


白石は、いつもの慇懃無礼な態度とは打って変わって、真剣な表情。

美桜は、緊張と期待で手が震えていた。


「生地の温度って、すごく大事なんだ」


陽太が小麦粉を手のひらでふるいにかける。

その動きが、まるで芸術のようだった。


「冷たすぎても、温かすぎても、うまくいかない」


「どのくらいが、ちょうどいいんですか?」


白石が、珍しく素直に質問する。


「触ってみて」


陽太が生地を差し出す。


美桜と白石、交互に触れる。

白石は、いつもの冷たい指先で慎重に。

美桜は、恐る恐る。


「肌の温度くらいがちょうどいいんだ」


「肌の温度...」


白石がつぶやく。


「そう。生地は生き物みたいなもので」


陽太の笑顔が、優しく照らされる。


「温度に反応して、膨らんだり縮んだりする。だから、触れて感じることが一番大切なんだ」


美桜は、その言葉に心を動かされていた。

生き物のように。温度に反応する。

お菓子作りって、こんなに繊細なものだったんだ。


「あ、こうやって」


白石が、生地をそっと指先で触れる。

まるで、何かを読み取るかのように。


「そうそう。いい感じ」


陽太が褒める。

白石の頬が、わずかに赤らむ。


「練習の合間には」


美桜が思い出しながら語る。


「先輩のお母さんが、お茶とお菓子を持ってきてくれて...」


窓辺に座って。

陽太の母が入れてくれたハーブティー。

焼き立てのクッキー。

三人で笑い合う、穏やかな時間。


───────


「ええと...」


美桜が目を泳がせる。


「特別なことは...」


「特別なことなんてないわよ」


白石が咳払いをする。


「ただの、お菓子作りの練習」


千夏は目を輝かせている。


「嘘ー!もっと詳しく!」


二人は、また顔を見合わせる。

そして、小さく笑う。

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先輩との甘いひととき @yunomy

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