第9話 小さな1歩

「先輩!」


昼休み、図書室に駆け込むように入った美桜の声に、本を読んでいた陽太が驚いたように顔を上げた。


「早坂さん?」


いつもなら遠慮がちに入ってくる美桜の様子に、少し戸惑ったような表情を見せる。


「あ...」


自分の行動の唐突さに気づき、美桜は急に頬が熱くなるのを感じた。


「ご、ごめんなさい...その...」


「ふふ、どうしたの?」


陽太が優しく笑いながら、いつもの席を促す。


「白石さんと...話せました」


椅子に座りながら、小さな声で告げる。


「本当に?」


陽太の目が輝く。


「はい...昨日の放課後に...」


話し始めると、不思議と言葉が自然に出てきた。白石さんの意外な一面や、お互いの気持ちを少しずつ理解できたこと。ただし、後半の恋心についての会話は、慎重に避けながら。


「そうだったんだ」


美桜の話を聞き終えた陽太は、満足げな表情を浮かべた。


「早坂さんらしい話し方だったんだね」


「え?」


「相手の気持ちを考えながら、でも自分の思いもちゃんと伝えて」


その言葉に、美桜は目を伏せる。


(先輩は、いつも私のことを見ていてくれる)


「あ、そうだ」


陽太がカバンから紙袋を取り出す。


「今日のマカロンは、ラベンダーとハニーの組み合わせなんです」


「わぁ...綺麗な紫色...」


「落ち着く香りなんですよ。白石さんと話せて緊張した後だから、ぴったりかなって」


「...!」


そんなところまで考えてくれていることに、胸が熱くなる。


「先輩」


勇気を出して、顔を上げる。


「はい?」


「私...少しずつですけど、変われてきたと思います」


陽太は静かに頷いて、美桜の言葉に耳を傾ける。


「白石さんと話せたのも、きっと先輩が背中を押してくれたから...」


「いいえ」


優しく遮られる。


「それは、早坂さん自身の勇気です」


「でも...」


「確かに僕は少し背中を押しただけ。でも一歩を踏み出したのは、早坂さんじゃないですか」


陽太の真摯な眼差しに、うつむきそうになる衝動をこらえる。


(私、また逃げようとしてる)


白石さんの言葉を思い出す。

自分の気持ちから、逃げないで—


「先輩のおかげです」


真っ直ぐに目を合わせる。


「いつも私のことを見ていてくれて、認めてくれて...だから、私...」


「早坂さん...」


心臓が激しく鳴る。でも、今は言葉を止めたくなかった。


「先輩が...特別な...」


「篠原、資料の確認を...」


突然開いたドアから、村上副会長の声。


「...すまん、邪魔したな」


「む、村上副会長!」


慌てて立ち上がる美桜。


「い、いえ!私そろそろ教室に...」


「あ、早坂さん」


陽太が呼び止める。


「言いかけていたこと、また今度聞かせてくれますか?」


「...はい」


小さく頷いて、美桜は図書室を後にした。


胸の鼓動は、まだ収まらない。

でも不思議と、後悔はなかった。


(また、ちゃんと伝えよう)


白石さんの言葉が響く。

人は、少しずつ変われる。

だから自分も—


廊下の窓から差し込む日差しが、いつもより眩しく感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る