第7話 心の距離

翌日の朝。


「おはよう、美桜!」


「あ、千夏...おはよう」


いつもより早めに教室に着いた美桜を、千夏が明るい声で出迎えた。


「珍しいね、こんなに早いの」


「うん...」


実は、昨日の夜はなかなか眠れなかった。陽太先輩の言葉が、何度も頭の中で繰り返されていた。


(白石さんも、誰かと本音で話せたらいいんじゃないかな)


そう考えていると—


「おはようございます」


凛とした声が聞こえ、美桜は思わず背筋を伸ばした。白石麻里が教室に入ってくる。いつものように完璧な身なりで、知的な雰囲気を漂わせている。


(でも、本当の姿は...)


「あの!」


思わず声が出た。白石が振り向く。


「...早坂さん?」


一瞬、驚いたような表情が浮かんだ気がした。


「そ、その...今日の放課後、少しお話できませんか?」


教室が静かになる。千夏が息を呑む音が聞こえた。


白石は一瞬、戸惑ったような表情を見せた。でも、すぐにいつもの冷静な面持ちに戻る。


「...図書室で」


それだけ言って、自分の席に向かった。


「美桜...大丈夫?」


心配そうに千夏が寄ってきた。


「う、うん...」


「がんばれ!私、応援してるからね!」


放課後—


図書室に入ると、白石は窓際の席で本を読んでいた。午後の光が横顔を照らし、いつもより柔らかな印象に見える。


「あの...」


美桜が声をかけると、白石は静かに本を閉じた。


「座って」


促された席に座る。緊張で手が震えそうになるのを、そっとスカートを握って抑える。


「...なぜ?」


「え?」


「なぜ、私に話がしたいの?」


白石の声には、いつもの鋭さはない。代わりに、何か別の感情が混ざっているように聞こえた。


「そ、その...私...」


深く息を吸って、美桜は決意を込めて言葉を紡ぐ。


「白石さんのこと、もっと知りたいなって...」


「...なぜ?てっきり私の事嫌ってたのかと」


「違います!」


思わず強い声が出た。白石の目が少し大きくなる。


「私...白石さんのことを、ずっと憧れの存在だと思ってました。でも、それは本当の白石さんじゃないのかもしれないって...」


「本当の...私?」


白石の声が、かすかに震えた。


「白石さんって、完璧な人だって思ってました。でも、それって白石さんにとって、とても重たい期待なんじゃないかなって...」


図書室の静けさの中、美桜は自分の気持ちを精一杯言葉にしていく。


「私も、誰かと比べて自分を見ることが多かったんです。でも最近...自分は自分でいいんだって、少しずつ分かってきて...」


白石が黙って聞いている。


「だから...白石さんにも、肩の力を抜いて話せる人がいたらいいなって...」


言葉が終わった後、しばらくの沈黙。


そして—


「...ふふ」


小さな笑い声が聞こえた。


「白石...さん?」


「意外...」


白石は窓の外を見つめながら言った。


「早坂さんって、こんなに思いを込めて話せる子だったなんて」


その言葉に、美桜は顔を赤らめる。


「私ね」


白石が静かに語り始めた。


「本当は、早坂さんが羨ましかったの」


「え...?」


「いつも素直な気持ちで、周りの人と接している姿を見て...」


机の上で、白石の指が少し震えている。


「私は、期待に応えなきゃいけないって思いすぎて。本当の気持ちを見せるのが、怖くなっていたのかも...」


「白石さん...」


「最近、変わってきたよね?早坂さん」


突然の問いかけに、美桜は少し驚く。


「篠原先輩と話すようになってから。前より、自分らしくなった」


「!」


まさか白石さんが、そんなことまで気づいていたなんて。


「私も...変われるかな」


そっと呟かれた言葉に、美桜は思わず手を伸ばした。白石の手が、少し冷たかった。


「大丈夫です。私も...その、一緒に考えていけたらって...」


白石の目が、かすかに潤んでいた。


図書室の窓から差し込む夕暮れの光が、二人の横顔を優しく照らしている。


この瞬間、何かが変わり始めた。完璧だと思っていた相手の、新しい一面。

そして、自分の中の何かが、また少しだけ強くなった気がした。

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