第4話 特別な時間

最後の授業が終わる頃には、空が少し曇ってきていた。

美桜は図書室に向かう階段を上りながら、胸の高鳴りを感じていた。


(大丈夫、落ち着いて...)


図書室のドアを開けると、すでに陽太の姿があった。

窓際の席。前回美桜が泣いていた、あの場所に座っている。


「あ、早坂さん」


陽太が顔を上げて微笑んだ。机の上には、例の紙袋が置いてある。


「お待たせしました...」


「いえ、僕も今来たところです」


美桜が隣の席に腰掛けると、陽太は紙袋から二つのマカロンを取り出した。


「どうぞ」


「ありがとうございます...」


ピンク色のマカロンは、近くで見るとさらに愛らしい色をしていた。


「あの、先輩も一緒に...?」


「はい。お菓子は誰かと一緒に食べると、もっと美味しくなりますから」


陽太も一つ手に取り、美桜の方を見た。


「じゃあ、いただきます」


二人で同時にマカロンを口に運ぶ。

サクッとした表面を噛むと、中からふんわりとした甘い香りが広がった。


「わぁ...美味しい」


思わず声が漏れる。イチゴの酸味とバニラの優しい甘さが絶妙なバランス。


「本当ですね」

陽太も満足そうな表情を浮かべた。

「母に伝えておきます」


「え?」


「このマカロン、実は試作品なんです。来週から店頭に並ぶ予定で」


そう言って陽太は少し照れたように笑った。


「早坂さんに、一番最初に食べてもらいたくて」


「...私なんかに」


言葉が途切れる。また比較の呪縛が頭をよぎった。きっと白石さんなら—


「早坂さんは、『私なんか』という言葉を使いすぎです」


ハッとして顔を上げると、陽太は真剣な表情で美桜を見つめていた。


「だって...」


「この前も言いましたよね?人には人の良さがある。早坂さんには、早坂さんにしかない特別な何かがあるはずです」


「特別な...何かですか?」


「はい。例えば...」


陽太は少し考えるように言葉を選び始めた。

その時、外で雨が降り始めた。

静かな図書室に、ポツポツと雨音が響き始める。


「例えば、今の反応。素直に『美味しい』って言ってくれた表情」


「え...」


「白石さんなら、きっと冷静に味の分析をして、改善点を指摘してくれたかもしれません。それはそれで素晴らしい意見になったでしょう」


陽太は窓の外の雨を見つめながら続けた。


「でも早坂さんは、純粋に美味しいと感じたことを、まっすぐに表現してくれた。その素直さが、作り手としては何よりも嬉しいんです」


「そんな...大したことじゃ...」


「大切なことですよ」


陽太の声は優しいけれど、芯が通っていた。


「人の良いところって、案外その人自身は気づいていないものなんです。でも、周りにはちゃんと見えている」


雨音が少し強くなってきた。

けれど、この空間は不思議と居心地が良かった。


「先輩は...どうやって自分の良さを見つけたんですか?」


思い切って聞いてみる。


「僕はまだ、模索中です」


意外な答えに、美桜は目を丸くした。


「でも、それでいいと思うんです。一人一人のペースで、少しずつ。早坂さんも、焦る必要なんてありません」


その言葉に、胸の奥が熱くなった。

でも今回は、涙は出なかった。


代わりに、小さな希望のような温かさが広がっていく。


「あ」


陽太が立ち上がった。


「雨が強くなってきましたね。傘、持ってきましたか?」


「はい、大丈夫です」


「良かった」

陽太はホッとしたように笑う。

「もし持ってなかったら、僕の傘をお貸しするところでした」


その言葉に、美桜の心臓が少しだけ跳ねた。


「また...明日も」


「はい?」


「また、明日も...図書室に来ても、いいですか?」


思い切って言ってみる。

陽太は嬉しそうに頷いた。


「もちろんです。実は明日は、チョコレートとオレンジのマカロンの試作品が...」


外では雨が降り続いていた。

けれど美桜の心は、不思議なほど晴れやかだった。

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