第3話 甘い期待

「美桜、最近図書室通いすごいね」


教室の机に腰掛けながら、千夏が首を傾げた。昼休みが始まったばかりで、美桜はいつものように図書室へ向かおうとしていた。


「え、そう...かな」


「そうよ。この一週間、毎日行ってない?」


言われてみれば、確かにそうだった。


(先輩に会いたいわけじゃ...ないんだけど)


先日の夕暮れの出来事から、美桜は毎日図書室に足を運んでいた。篠原陽太先輩からもらったハンカチを、きちんと洗濯して返さなければという理由をつけて。


でも、タイミングが合わず、まだ会えていない。


「まさか...誰か気になる人とか?」


「ち、違うよ!」


思わず声が裏返ってしまい、千夏の目が輝きだす。


「あやしい~」


「本当に違うの!」


慌てて教室を出る美桜を、千夏の笑い声が追いかけた。


図書室に向かう階段を上りながら、美桜は紙袋に入ったマカロンのことを思い出していた。

あの日食べた紫色のお菓子は、ラベンダーの香りと優しい甘さが口いっぱいに広がって...


「あ」


階段を上り切ったところで、美桜は足を止めた。

廊下の向こうから、見覚えのある後ろ姿が近づいてくる。


生徒会長の篠原陽太だ。


(どうしよう...)


会いたかったはずなのに、実際に目の前にすると緊張で体が硬くなる。


逃げ出そうとした瞬間。


「あ、早坂さん」


声をかけられてしまった。陽太は優しく微笑みながら近づいてきた。


「図書室ですか?」


「は、はい...」


「よかった。実は、この前のハンカチのお返しについて気になってて」


(え...覚えていてくれたの?)


「あの、それなら...!」


美桜は急いでカバンに手を伸ばした。昨日も持ってきていた包みを取り出す。

真っ白なハンカチは、丁寧に洗濯をして、アイロンまでかけてある。


「わざわざありがとうございます」

受け取った陽太は、少し驚いたような表情を浮かべた。

「アイロンまでかけてくれたんですか?」


「あ、はい...一応...」


「嬉しいです」

陽太は包みを大切そうに胸ポケットにしまった。

「でも、まだ返してもらわなくても良かったんですよ」


「え?」


「これからも、また必要になるかもしれないですから」


その言葉に込められた「また会いたい」という気持ちが、美桜の胸をほんのりと温めた。


「あ、そうだ」

陽太が今度は自分のカバンから何かを取り出す。

「今日は、これを持ってきました」


小さな紙袋。前回と同じデザインだけど、中身は薄いピンク色のマカロン。


「今週の新作なんです。イチゴとバニラのマカロン。良かったら、感想を聞かせてください」


「え...でも...」


「あ、もしかして甘いものは...」


「違います!大好きです!」


思わず大きな声が出てしまい、慌てて口を押さえる。

陽太は楽しそうに微笑んだ。


「よかった。実は僕も、甘いものって好きなんです」


(先輩と、同じ趣味...)


「あ、でもこれから授業...」


「放課後、図書室で待ってます」

陽太はさらりと言った。

「今日は生徒会の仕事も早く終わりそうなので」


「は、はい!」


思わず返事をしてしまい、また顔が熱くなる。


「じゃあ、放課後に」


陽太が階段を降りていく後ろ姿を見送りながら、美桜は紙袋を胸に抱きしめた。

淡いピンク色のマカロンが、優しく光を透かしている。


(放課後が、来るのが待ち遠しい...)


そんな気持ちになったのは、久しぶりのことだった。


教室に戻ると、案の定、千夏が意味ありげな笑顔を浮かべていた。でも今日は、その視線も気にならない。


白石麻里が完璧な姿で宿題を済ませているのも、今は目に入らなかった。


だって放課後には—


ピンク色のマカロンと、

優しい笑顔の先輩が、

図書室で待っているから。

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