第2話 図書室の片隅で
図書室の奥、窓際の一番端の席。美桜のお気に入りの場所だ。
誰も座っていない机に荷物を置き、深く椅子に腰掛ける。夕暮れ前の柔らかな光が差し込む窓際で、美桜はゆっくりと目を閉じた。
(ここなら、誰にも邪魔されない...)
そう思った矢先、突然の衝動で込み上げてきた涙が頬を伝い落ちた。必死で堪えていた感情が、静かな空間の中でほどけていく。
「あの...大丈夫ですか?」
優しい声に、美桜は慌てて顔を上げた。
そこには見たことのある先輩が立っていた。生徒会長の篠原陽太。温かみのある茶色の眼鏡越しに、心配そうな眼差しを向けている。
「せ、先輩...!」
美桜は慌てて涙を拭おうとしたが、かえって顔中を涙でぐちゃぐちゃにしてしまう。
「あ、これ使いますか?」
陽太は胸ポケットからハンカチを取り出して差し出してきた。真っ白で、きちんとアイロンの跡がついている。
「そんな...申し訳ありません...」
「いいんです。困ったときはお互い様ですから」
陽太は自然な動作で美桜の隣の席に腰掛けた。押しつけがましさは全くないのに、なぜか心が落ち着く存在感だった。
「良かったら、話を聞かせてもらえませんか?」
「え...でも、先輩はお忙しいのでは...」
「生徒会の仕事は一段落ついたところです。それに...」
陽太は窓の外を見やりながら、少し考えるように言葉を選んだ。
「後輩が一人で泣いているのを見過ごすような先輩じゃ、生徒会長失格ですよね」
その言葉に、思わず小さな笑みがこぼれる。
「...実は、テストの点数のことで...」
話し始めると、不思議と言葉が自然と溢れ出てきた。白石さんと比べられること。どれだけ頑張っても追いつけない焦り。自分はダメな人間なんじゃないかという不安。
陽太は黙って、でも真剣な眼差しで美桜の話を聞いていた。
「...ごめんなさい。こんな取るに足らない悩みを...」
「そんなことないですよ」
陽太の声は、夕暮れの図書室に優しく響いた。
「早坂さんの気持ち、よく分かります。でも...」
彼は少し微笑んで、美桜の方をまっすぐ見た。
「人には人の良さがあるんです。白石さんには白石さんの、そして早坂さんには早坂さんの」
「でも私には...」
「たとえば、早坂さんは今、自分の気持ちを正直に話してくれました。それって、とても勇気のいることですよね」
その言葉に、美桜はハッとした。
「それに...」陽太は続けた。「さっき少し見せてくれた笑顔、とても素敵でしたよ」
「え...」
思わず顔が熱くなる。夕陽のせいだと思いたかったが、きっとそうではなかった。
「早坂さんの良いところは、他の誰とも比べる必要がないんです。ゆっくりでいい。自分のペースで、自分の良さを見つけていけばいい」
陽太の言葉は、長い間美桜の心を縛っていた何かを、少しずつほどいていくようだった。
「...ありがとうございます、先輩」
返そうとしたハンカチを、陽太は軽く手で制した。
「それは、またゆっくり返してください。これからも図書室によく来るので」
そう言って立ち上がった陽太は、帰り際にもう一度振り返る。
「あ、そうだ。差し出がましいかもしれませんが...」
上着のポケットから何かを取り出す。
「これ、うちの母が経営しているカフェの新作なんです。良かったら」
差し出されたのは、小さな紙袋。中にはラベンダー色のマカロンが入っていた。
「甘いものは、気持ちを落ち着かせてくれますから」
夕陽に照らされた陽太の後ろ姿を見送りながら、美桜は不思議な感覚に包まれていた。
胸の奥の重たい何かが、少しだけ軽くなったような気がした。
手の中のマカロンの優しい香りが、図書室の静けさの中にふわりと漂っていた。
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