第156話 とある会議室の混乱
その日、会議室は荒れていた。
セイントザッパの聖人会議。巨大な宗教国家の方針を決める聖職者たちの会議であり、その参加者は海千山千の老獪な者ばかりが揃っているが、今日に限っては高位の聖職者たちも混乱を露わにしていた。
「――――これはどういう事だッ! 周辺の軍勢は何をしていたッッ!」
ドンッ、と脂肪を蓄えた手が円卓を叩く。
聖職者らしからぬ脂ぎった男は、顔を真っ赤にして激昂していた。それに痩せぎすの男が冷たい声で返す。
「一夜にして兵士と虜囚が消失――――どういう事だ、と聞きたいのは我々の方だ。これは卿の主導で進めていた計画だろう」
聖人会議の面子は一枚岩ではない。教義を信じて疑わない狂信的な者、教義を建前にして私欲に生きる者など様々だ。
それぞれの仲はお世辞にも良いものではなかったが、宗教国家の運営では信仰心も集金力も必要とされていた事から、両者は相反しながらも最低限の関係は保っていた。少なくとも、これまでは。
「私は当初から性急なやり方に反対していた。勇者様が天命を果たされる時を待つべきだ、と。卿が個人的に献金を受けている商会連合は、事態の早期解決を望んでいたようだがね」
「そ、それとこれとは関係ないッ! 聖民の心に一刻も早く安寧を取り戻さんとしたまでだ!」
魔王の影が見えている地域は人の動きが鈍る。商会連合から大金で急かされた事を知っている痩せぎすの男は、あまりにも白々しい言い分に顔を歪めて鼻を鳴らした。そこで別の男が口論に口を挟む。
「それよりも、捕虜収容所で何が起きたかが重要だ。魔王の襲撃を受けたかどうかすら判然としないのでは全く話にならない。何か手掛かりは残っていなかったのか?」
「……はっ、現時点では何も見つかっていません。夜の定時連絡が最後の足跡です」
捕虜収容所に駐在していた兵士、老人と子供ばかりの魔族の一団。それらが一夜の内に消えたという異常事態に、報告役の声音には混乱と恐怖が混じっていた。
「ワシの立てた計画に不備はなかったッ! 魔王と言えども騒ぎを起こさずに魔族共を拾うことは不可能だった!」
脂ぎった男は自身の正当性を声高に主張する。実際のところ、男の主張には一定の理があった。
魔族を人質にするという反魔王計画。
魔王が魔族を見捨てれば求心力が下がる、魔族の救出に現れれば軍勢で取り囲める。極大魔術を想定して分散配置された布陣は盤石なはずだった。それ故に、脂ぎった男の顔には疑念が浮かんでいた。
「変事を外部に悟らせないばかりか痕跡すら残していない。……魔王の仕業にしては手際が良すぎる。ワシの計画に反対する者が手を回したのではないか?」
「巫山戯るのも大概にしろ! 栄えある聖国兵を誑かしたとでも言うつもりかッ!」
「大体からして、今回の魔王災では実質的な被害は出ていなかった。わざわざ虎の尾を踏むような真似をする必要はなかったのだ」
男の発言を皮切りにして始まる言い争い。そもそも人質を取るという卑劣さもあって、今回の計画は立案時から意見が分かれていた。
失敗の許されない万全を期した計画、それが失敗に終わったとなれば各所から不満が噴き上がるのも無理からぬ事だった。
「……しかし連絡の一つもなく消息を絶ったのはあまりに不可解。或いは、守備兵の中に魔王への協力者が居たのやも知れぬ。内部から連絡手段を抑えた上で賊を引き入れた、という話ならまだ筋が通るのだ。少なくとも、兵が一斉に離反したと考えるよりは現実味があろう」
聖職者たちの聞き苦しい口論を止めたのは、豊かな白髭を蓄えた最年長の老爺。
軍の内部に不心得者が存在したという説には不満げな者も居たが、それなりに筋が通っている事と顔役の言葉という事もあって大きな反発はなかった。そして老爺は粛々と話を続ける。
「我らが論ずべきは本件の始末。ありのままを公表すれば魔族の逃亡を許したと思われかねん。魔族共の公開処刑は大々的に喧伝しているが故、国の威信を損なわぬように処理せねばなるまい」
「……な、ならば、代わりの魔族を仕入れるのは如何でしょうか? 魔族の中身が変わったところで誰も気付きますまい。新しく仕入れた魔族を処刑すれば国の面目は立ちましょう」
「それをするには時が足らぬ。公開処刑の期日までに集めるのは難事であろう」
敬虔な聖教徒にとって魔族は神敵に等しい存在。彼らのそれは余人が聞けば眉を顰めるようなやり取りだったが、聖職者たちは疑問を抱くことなく人倫に欠けた協議をしていた。
結果として公開処刑の直前に事が為されたのは魔族にとって幸運だったと言える。
「…………止むを得ん。魔族共が逃亡を図ろうとしたが故に先立って処断した、そのように取り計らうしかあるまい」
「左様ですな。守備兵の縁者には箝口令を敷いておきましょう」
熟議の果てに公式発表の概要は決定した。
予定していた公開処刑を取り止めた事で憶測を招くのは避けられないが、肝心の魔族が存在しないとなれば聖人会議の選べる選択肢は限られていた。
喫緊の議題に片を付けた後、聖職者たちは長い息を吐いて次の議題に移った。
「して、勇者様捜索の進捗はどうなっている? あれから連絡はあったのか?」
議題が変わっても魔王関連の議題である事は変わらない。次の議題は、ある日を境にして消息が途絶えた勇者一行。
異常事態の真相を確かめるべく聖人会議では調査員を派遣していたが、その調査員からの連絡も完全に途絶えているという状況だった。進捗を尋ねる声に苛立ちが含まれているのは致し方ないところだろう。
「……いや、依然として連絡はない。セントルからサードに向かうという報告が最後だ。途上で不測の事態が起きたと判断せざるを得ないだろう」
勇者捜索を手配した男は仏頂面で答えた。
それは更なる追求を牽制しているかのような刺々しい様相だったが、当然の事ながら不機嫌な態度に物怖じするような列席者は居なかった。
「まったく、なんという体たらくか。やはり調査に回した人員が過小だったのだ」
「然り然り。この世に二つとない【導きの黄金針】を失ったとなれば大問題だぞ」
会議の列席者たちは口々に責任者を責め立てる。聖剣の場所を指し示す神代の魔導具、導きの黄金針。
その行方が分からなくなった事は確かに大問題だったが、彼らが政敵の失点を喜んでいる事も歪んだ笑みから見て取れた。
「調査に回した人員に不足はなかった。セントルを治める司祭に加えて一級戦士が二人、それにブレイブシールズの腕利きが三人同行していた。盗賊や魔物の類に遅れを取ることはあり得ない。そもそも多くの人員を動かせば不必要に耳目を集めかねなかった。腕の立つ小勢に任せたのは妥当な判断だろう」
大国セイントザッパでも一級戦士の称号を持つ者は百人に満たない。その一級戦士を二人も同行させていた事は、公正な目で見れば誹りを受けるような方策ではなかった。そして男は追求の言葉を挟ませないように長口上を続ける。
「無知で愚かな大衆が好き勝手に騒ごうとも、この場に勇者様の存命を疑う者はおるまい。如何なる事情かは知る由もないが、おそらくよんどころない事情で連絡が滞っているだけだ。労を取って捜すまでもない、遠からず報せが届くはずだろう」
それは勇者捜索の不首尾を開き直っているかのような発言だったが、しかし聖人会議の面々から反論の声は上がらなかった。
その理由は他でもない、男の言葉が正しいと誰もが思っていたからだ。根底にあるのは、勇者に対する絶対的な信頼。
世間でまことしやかに流れている勇者死亡説を、下らないと一笑に付せるだけの確信がそこにはあった。
「ふん、当然だ。あの勇者様が魔王如きに敗れるはずがないのだ」
「致し方あるまい。大衆は伝聞でしか勇者様の事を知らぬのだからな」
どこか誇らしげに勇者の事を語る聖人会議の面々。勇者と面識があるという事実に、彼らが優越感を抱いている事は明らかだった。
「今でも思い出す、練兵場での勇者様の御姿を。選定の儀を経なくとも、聖剣を手に持たずとも、あの御方は間違いなく当代の英雄であった」
「勇者様は聖剣を持たずとも優れると伝承に残されておったが、よもやセイントザッパ軍の精鋭がまるで相手にならぬとはな」
それはまるで英雄譚に憧れる子供のような様相だった。何かと感性が合わない聖人会議の面々は、勇者という一点では確かに繋がっていた。
「あれほどの輝きを見ればセイントザッパの最強――戦士長が心酔するのも無理はない。あの特級戦士ですら手も足も出ないとは誰が想像しただろうか」
「さりとて、勇者様に及ばずとも戦士長も純人の至宝。勇者様の露払いを務めるには申し分ない武人だ。魔王征伐が成功に終わるのは時間の問題であろう」
「しかも此度の征伐には歴代最優と名高い聖女も同道している。魔王が卑劣な罠を仕掛けようとも、転移魔術で容易く仕切り直せるのだ。勇者様が魔王に遅れを取ることなど万に一つもあり得まい」
「聖女の裏をかいても勇者様には聖剣がある。その切れ味は万物を斬り裂き、宿した神性は極大魔術すら凌ぐ。聖剣に選ばれた勇者様に太刀打ち出来るはずがないのだ」
楽観材料を並べている内に安心感を抱いたのか、会議が始まった時の重苦しい空気は霧散していた。
もはや彼らに集団失踪事件に関する不安はない。元より問題にしていたのは兵士の犠牲ではなく対外対応だったという事もあるので、聖職者たちは遠からず届くはずの吉報を穏やかな心で待ち続けるのだった。
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