第86話 干天の慈雨

 僕たちは順調に山道を進んでいた。


 当座の目的地であるタメイケに近付いている事もそうだが、カナデさんが精霊術に慣れつつあるという意味でも順調だった。訓練がてら頻繁に発動しているので、今では切り替えもスムーズになっていた。


「カナデさん、お疲れ様です。またウインドスネークが狩れましたね」

「向こうの世界の魔物と比べると厄介だが、ようやく精霊術を使う魔物にも慣れてきた。魔物が風や水で攻撃してくる事は未だに不可解だが……」


 精霊術の扱いに慣れてきたのかカナデさんは落ち着いている。発動時の高揚感はあるようだが、初戦闘時のようなテンションには至っていない。


 喜びを爆発させているカナデさんも新鮮で微笑ましかったので、少し残念な気持ちがある事は否定できない。隙あらばウッキウキになってほしいものである。


「僕としては精霊持ちの魔物の方が戦いやすいんですけどね。まぁ、サイズが小さいので実入りが少なくなるのはネックですが」


 僕はカナデさんと比べれば火力が不足しているので、耐久力の高い大型魔物より小技に長けた精霊持ちの方が与し易い。この辺りは戦闘スタイルによって意見が分かれるところだろう。


「……ただ、特異個体には気を付けてください。同じウインドスネークでも別種の精霊術を使ってきたりしますから」


 ウインドスネークは風精霊持ちが大半だが、中には別種の精霊を宿している個体――土弾や水弾を放ってくる個体も存在する。固定観念に囚われていると予想外のダメージを負いかねないので油断は禁物だ。


「コール君の言う通りだね。場合によっては森林で火の精霊術を使われる事もある。この世界では相手の出方を見る前に片付けた方がいいよ」


 僕を肯定しながら補足してくれるフィース君。お姉さんは精霊術が珍しいのかプロレス精神が強いのか、相手の攻撃を受け止めてから反撃するという形を取っていた。フィース君が心配して苦言を呈するのも無理はない。


「魔物は有無を言わさず即殺する。それがこの世界の基本だよ」

「ま、まあ、その通りなんだけど…………カイゼル君の例もあるから、敵意の無い魔物には声を掛けたいかな。魔物の大半は好戦的だけど、一応ね」


 フィース君の言い分は正しい。圧倒的に正しいが、僕はカイゼル君と出会ってからは『こんにちは!』と声掛けを試みるようにしている。


 残念ながら『やあ!』と返事が返ってきた事はないし、こちらの存在を認識するなり敵意を向けてくるばかりだが、魔物即殺論には異を唱えざるを得なかった。


「ふふ、コール君は下等生物にも優しいね」

「その発言は魔物差別である!」


 そんな事を賑やかに話しながら歩いている内に、僕たちの行き先に小さな変化が見えてきた。


 通路を確保するように刈られている草木、何度も通過する事で踏み固められた大地。それは、そこはかとなく人の息吹を感じさせる痕跡だった。


 この近くに村落でもあるのかも知れない……と思いながら歩いていると、時を置かずして予想通りに小さな村を発見した。


「こんな辺鄙な場所に村があるんだね……」

「どこにでも物好きな輩はいるものだ。ここで巡り合ったのも何かの縁、酔狂な輩の暮らしぶりを検めさせてもらおうではないか」


 見聞を広げる為に旅をしている王子君という事で、このまま素通りするという選択肢は存在しないようだ。


 この手の村落は余所者を敬遠する傾向があるが、最も敬遠されそうなワーム君がその気なら否やはない。堂々と臓物スタイルで入村するとしよう。


「…………んん? なんだろう、心なしか慌ただしい空気だね」


 村人たちが目に入ったところで違和感を覚えた。バタバタと忙しなく走っている若者、深刻な面持ちで向き合っている老人。


 場所が場所だけに牧歌的な村だと思っていたが、村人たちにはどこかピリピリした雰囲気が感じられた。


 何か大きなトラブルでも起きたのだろうか? と思いながら足を踏み入れると、村の若者が目を丸くしてこちらを指差した。


「おおっ、あんたは天修羅の御方か!?」


 曇天の中で光が差したような笑みを浮かべる若者。例によってカナデさんが天修羅家の人間だと勘違いされているが、それを否定する間もなく村中からワイワイと人が集まってきた。


「皆の衆、静まれ。客人に無礼であるぞ」


 そんな騒然とした空気の中、村の責任者らしき威厳のある壮年男性が顔を見せた。静かな声で場を静めたおじさんは「ともあれ私の家に参られよ」と招いてくれたので、よく分からないままに僕たちはお招きに預かった。


「…………先程は村の者が失礼した。天修羅の御方が村の危急に訪れた故、干天の慈雨が思いであったのだろう」


 折り目正しく正座して頭を下げる村長さん。この場で畏まっているのは彼だけではない、傍らには奥さんと息子さんも神妙な顔で佇んでいる。


 そんな重苦しい空気に堪えかねたのか、このままでは詐欺師になると思ったのか、カナデさんが誤解を解かんと口を開いた。


「まず最初に言っておく。私は、お前たちの言う天修羅の人間ではない」

「…………成る程、委細承知した。貴女は天修羅家とは無関係という事にしておきましょう」


 明らかにカナデさんの主張を信じていない村長さん。あたかも複雑な事情を汲み取ってもらったかのような様相である。


 これには何かと言い包められやすいカナデさんも「いや違う、そうではない」と反論の声を上げる。


「実際の血縁関係は定かでないが、少なくとも私は天修羅の人間とは面識がない」

「私の知る天修羅の御方と風貌も似通っているが……いや、尊き一族には下々の預かり知らぬ事情があるのだろう。余計な事を言ったようだ」


 おおっと、またしても血縁説を補強する材料が増えてしまった。天修羅家の人間と風貌まで似通っているとなれば疑いの余地はない。もはや外堀が埋まっているどころか天守閣に『当確!』と旗が立っているレベルであった。

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