第84話 持病の克服
イーオンが世界に港を開いたのは約百年前。それまでは一切の外交を断っていた閉鎖的な島国だったが、世界と繋がった事でイーオンは急速に発展を遂げつつある。
その中でも特に変化が大きいのは、世界と直接繋がっている二つの貿易港。現在の僕たちが向かっているのはその内の一つ、イーオンの南方に位置する『タメイケ』という港街だ。
「ふむぅ……。海を渡ってコールの故郷に向かうはずが、よもや険しい山脈を超える事になろうとはな」
自然に溢れすぎた山道にカイゼル君が不満そうな声を漏らした。まぁ、その気持ちは分からなくもない。
彼は魔導モービルや魔導トレインといった乗り物を楽しみにしていたので、山道を徒歩で歩くという原始的な移動手段に不満を覚えているのだ。ちなみに王子君は首に巻きついているので体力的負担はない。
「まあまあ、この山道が最短ルートなんだから仕方ないよ。整備された街道を進むと大回りになるらしいからね」
僕の母国に帰還する為には貿易港を経由する必要があり、最寄りの貿易港であるタメイケに向かうには山脈越えのルートが最短との事だ。体力に自信があるなら最短ルートを選ばない手はないだろう。
「これから向かうタメイケは大きな港街。観光地としても有名な都市だから、そこに着けばカイゼル君も楽しめるんじゃないかな?」
「ふ、ふん、現状に不満があるとは言っておらぬ。ここは生物も違えば植生も違う、余が見るべき物は限りないのだからな」
駄々っ子扱いされたのが不服だったのだろう、不満そうな声を漏らしていたのに一転して山道肯定派になってしまった。
まぁしかし、カイゼル君は強がりを言っても嘘は吐かない。この様子からすると物足りなさを感じながらも未知の場所を楽しんでいるのだろう。
「――――さて、カナデさん。そろそろ頃合いでしょう。鬼の精霊術を試してみませんか?」
人里から十分に離れた辺りでカナデさんに提案した。この世界の空気に慣れて余人に迷惑の掛からない場所に移動したとなれば、カナデさんの精霊術を実践する時だ。
カナデさんは鬼精霊を制御する為に旅をしていたのだから、多少の不安があろうとも先延ばしを続けるわけにはいかないのだ。
「……あ、ああ。そうだな」
カナデさんもその事を自覚しているのか異を唱えない。これまでがこれまでなので緊張した面持ちだが、今回ばかりは自力で乗り越えてもらうしかない。僕に出来るのは安心の笑みを絶やさない事だけだ。
「この世界ならきっと上手くいきますよ。仮にカナデさんが暴走したとしても、僕とフィース君が確実に止めますから」
「うん、そうだね。いざという時は、必ずカナデさんの息の根を止めてみせるよ」
僕と同じように揺るぎない笑顔で激励するフィース君。物理的に動きを止めると言ったはずなのに息の根を止めるという話になっているが……フィース君の軽口で緊張が解れたのか、お姉さんは安堵したように小さく頷いた。
「ふぅっ…………」
静かに息を吐くカナデさん。
精霊持ちは精霊術の使い方を本能で理解していると聞く。だから、精霊術の行使方法が分からないという問題は無い。
実際に向こうの世界で意識的に発動した事もあったらしいが、我に返った時には周りに魔物の死体が散乱していたとの事だ。意識的に発動するのはそれ以来らしいので緊張するのも無理はないだろう。
僕たちが離れた場所で静かに見守る中、お姉さんの髪が徐々に赤くなっていく。そして髪の色がある彩度まで変化した時点で、赤色の上限に達したかのように変容が止まった。だが、僕の記憶にある赤色より彩度が低い。
この世界は魔素が薄いので、鬼の精霊術の『深度』が浅くなっているのだろうと思う。ここまでは良い意味で予想通りだ。
「…………へぇ、面白い。これほど顕著に見た目が変わるんだね」
フィース君は初めて目の当たりにする精霊術に興味津々だ。ただそれでも、好奇から警戒を疎かにしている訳ではない。
万が一の事態に備えているのだろう、周囲に無数の尖った氷柱を浮かべて臨戦態勢を維持している。……以前に僕が殺されそうになった事を聞いてしまったので必要以上に警戒しているようだ。
「ええっと、どうですかカナデさん。意識はしっかりしてますか?」
荒々しく尖った不穏な氷柱群から視線を逸らし、荒い呼吸を繰り返しているカナデさんに声を掛けた。
精霊術の制御が辛そうな様子だが、それでも僕たちは襲われていない。この状態なら返事が返ってくるのでは? と期待を抱いての問い掛けだ。果たして、顔を上げたカナデさんの瞳には理性が宿っていた。
「…………ハハ、ハハハハハハッ! 大丈夫だ、私は呑まれていない!!」
ふ、ふむ、なるほど……。いつになくハイテンションな様子ではあるが、鬼の精霊術は感情を昂ぶらせると聞くのでその影響だろう。少なくとも受け答えはしっかりしているので問題無い。
そんな歓喜に満ち溢れたカナデさんに釣られ、僕も自然と顔を綻ばせてしまう。王子君も嬉しそうに僕の首を絞めている。
「いやぁ、よかったよかった。鬼の精霊術の制御は成功したようですね。……おっと、これは。その魔物を任せても構わないですか?」
カナデさんの大声に引き寄せられたのだろう、一匹の魔物――『ウインドスネーク』が姿を見せていた。この世界で初めての魔物戦という事になるが、鬼精霊の試運転には手頃な相手だと言えるだろう。
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