第6話 鬼の精霊術
そして襲撃者は姿を見せた。
赤い着物に赤い髪、そして――――血の赤。全身が真っ赤に染まった長身の女性。しかし返り血に塗れながらも、凶悪な殺気を放ちながらも、彼女はある種の芸術品のように美しかった。
……いや、呑気に見惚れている場合ではない。部屋に近付いてくる段階から分かっていたが、この女性が発している殺気は異常だ。
視界に入る生物を全て殲滅するかのような圧倒的な殺気。心臓を鷲掴みにするような鬼気に子供たちが震え上がっている。ここは僕が重苦しい場の空気を変えなくては。
「どうもこんにちは! お姉さんは僕たちを助けに来てくれたんですよね?」
「――――」
僕の爽やかな挨拶を受け、お姉さんは無言のままギラリと檻に視線を向けた。お姉さんと目が合って、髪だけでなく瞳も赤いことに気付く。燃えているような美しい真紅の瞳だが……しかし、その視線に温かみは欠片も感じられなかった。
それでも僕は挫けない。
僕は図書館中の本に目を通しているほどの本の虫。ご機嫌斜めな女性の扱いについても勉強済みだった。
「ところでその服、それは着物ですよね? お姉さんにとてもよくお似合いですよ」
とりあえずまず褒める。
露骨なお世辞でもなければ褒められて不快になる女性は居ない。かく言う僕も褒められるのは大好きなのだ。
それにしても着物とは珍しい。僕の母国ではまずお目に掛かれない、辺境の島国である【イーオン】で着られている民族衣装だ。
そうなるとこの国はイーオンの近郊なのだろうか? ……いや、今は現在地を気にしている場合ではない。今はコミュニケーションを優先すべき場面だ。
「おっと、勘違いしてはいけませんよ。着物が似合うとは言いましたが、それは貴方の胸が小さい事を
着物は貧乳体型の方が似合うと言われている。そして僕は気配りに長けたジェントルマン。お姉さんは貧しい胸元を気にしているかも知れないので、軽やかなフォローを飛ばしてしまうのは当然だった。これにはソウカちゃんも「はわわ……」と感心の声である。
「――――」
そこでお姉さんが動いた。お姉さんは無言のまま――――ドゴッ、と僕の檻に蹴りを入れたのだ。
その蹴りの威力は凄まじい。頑丈な檻の扉が紙切れのように吹き飛んでしまった。危うく僕も巻き込まれるところだったが、もちろんこれは敵対的な行動ではない。
多少乱暴な手段ではあっても、結果的に僕を閉じ込めていた檻の扉が消えている。つまりこれは『これで檻から出られるね!』というお姉さんの善意に他ならない。
「いやぁ、どうも。おかげ様で……!?」
僕の言葉は途中で止まった。
お姉さんの殺気が増している時点で嫌な予感はしていた。気のせい気のせいと自分に言い聞かせていた僕に返ってきたのは、お姉さんの無慈悲な拳だった。
なんとなく危険を察していたので難なく躱すが、その殺意の塊のような攻撃は恐るべき破壊力を持っていた。
――――ドゴンッ!
間近で聞こえる爆発音。その強烈な拳撃は、僕の背後の壁を粉々に砕いていた。……な、なるほど。最初に聞いた爆発音の正体はコレだったようだ。
コンクリートの壁を砕くほどの轟拳は気になるが、しかしこの状況を座視しているわけにはいかない。
「まあまあお姉さん、こちらに来てください。落ち着いて話し合いましょう」
開放された扉から外に飛び出し、バイオレンスなお姉さんに呼び掛ける。
この部屋でお姉さんと相対すれば子供たちが巻き込まれる可能性が高い。落ち着いて話し合える場所に移動するのは急務だった。
幸いと言うべきか、僕が移動するとお姉さんも殺意を漲らせながら追尾してきた。なぜ僕の命が狙われているのか? という疑問を抱きつつも、僕はお姉さんが切り開いてきた通路をダダッと駆け抜ける。
通路に点在するのは奴隷商人たちの死体。遠からず僕も仲間入りしそうな流れだが、この状況はそれほど絶望的なものではない。
直接相対した事で気付いた。
今のお姉さんの状態には心当たりがある。
恐ろしい死を連想させる赤い髪、全てを焼き尽くすような赤い瞳。そしてなにより、常人離れした異常な怪力。これはおそらく――『鬼の精霊術』だ。
四大元素系の精霊などと比べると珍しいので鬼精霊持ちには会ったことがないが、今のお姉さんの状態は文献で読んだものと全く同じだ。
髪や目が赤くなるという外見変化に加え、精霊術の行使中は精神が高揚状態になる。これだけ符号が一致していれば鬼の精霊術としか思えない。
精神が高揚状態どころか完全に我を失っているのが少々不可解だが……もしかすると精霊術が制御不能になって正気を失っているのかも知れない。
なんにせよ鬼の精霊術を解くことが先決となるが、問題はその手段だ。
外部から刺激を与えれば正気を取り戻す可能性はあるが、今のお姉さんに生半可な攻撃が通じるとは考えにくい。それになにより、我を失っているだけのお姉さんに攻撃したくはなかった。……たとえ僕の命が狙われているとしても、だ。
どうしたものかと悩みながら逃走している最中、僕はある場所に解決策を見出した。そこは死体が転がる食堂。食堂に隣接しているのは――――食料庫。
――――ここだ。
僕は迷わず食料庫に駆け込む。そして目的の物を見つけて食料庫を出た直後、死神のようなお姉さんが食堂に現れた。何度か追いつかれて殺害されそうになってしまったが、ここで鬼ごっこは終わりだ。
食堂に現れたお姉さんに、僕はえいっと食料庫で手に入れた果物――完熟したモモを投げつけた。これをグチャッと顔に当てれば『あまーいっ!』と正気に戻ってくれるだろうという作戦だ。
しかし、それは文字通り甘い考えだった。
お姉さんは虫を払うように――バシッと、モモを払い飛ばしたのだ。どうやら理性は失っていても本能で身を守っているらしい。
作戦のハードルが上がってしまったが、まだ想定の範囲内だ。次なる一手は接近戦。僕は恐れることなくお姉さんに向かって踏み込んだ。
逃げ回っていた相手が向かってくれば戸惑うものだが、本能で動いているお姉さんに動揺はなかった。一瞬の迷いもなく、無条件反射のように拳撃が返された。
物理的に首を吹き飛ばすような拳撃。その攻撃の軌道を見極め、あえて前に踏み込むことによって紙一重で躱す。そしてお姉さんへの道が開いた直後――僕は口から液体を噴射した。
「――ック!? な、なんだッ……!?」
よしよし、成功だ。
殺意の化身となっていたお姉さんが言葉を発している。真っ赤だった髪はあっという間に黒く染まり、命の危険を感じさせる異常な殺気も霧散してくれた。
「大丈夫ですか? そこで目を洗えますよ」
「う、ぅうむ……」
お姉さんは唸りながら流し台に向かう。
その足取りは弱々しいので罪悪感を刺激されてしまうが、こちらも命が危うかったので許してもらいたい。僕とて可能ならばモモ投擲で解決したかったのだ。
しかし、万が一に備えて次善の策を用意しておいたのは正解だった。僕が用意していた次善の策。それは他でもない、僕が口から放った液体――レモン汁だ。
レモンを事前に齧っておいて、接近戦で突然のレモンスプラッシュ。このビタミン攻撃を狂乱状態で避けられるはずがない。噴射の余波で僕の目も痛いくらいなのだ。
少々ヒールな感があるような気がしないでもないが、平和的に解決する為には手段を選んでいられない。結果として無事に解決出来たのだから上出来と言えるだろう。
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