第2話 気が付けば奴隷


 僕は奴隷になっていた。

 海で溺れて溺死したはずが、何がどうなったのか奴隷にジョブチェンジしていた。

 

 その事実に気が付いたのは、寝ているところを蹴られて「うぐっ」と強制覚醒させられた後の事だった。


「やっと起きやがったかウスノロが!」

 

 寝起きでぼんやりした頭を起こすと、でっぷりと太った男が肩を怒らせて見下ろしていた。男は愛想笑いを浮かべて背後を振り返る。


「へへっ、すみませんね。こいつは入ったばかりの新入りなんで」


 男の視線の先には年輩の女性。

 なぜこの人は鉄格子の中にいるのだろう? と思ったが、鉄格子に囲まれているのは僕の方だと気付く。僕は鉄格子越しに舐め回すような視線で観察されていた。


「顔は端麗で悪くないわね。身体も鍛えてるみたいだし……。でも、もっとギラついた感じの子がいいわ。反抗的な子を屈服させるのが好きなのよ」


 どうやらダメ出しをされてしまったらしい。状況が飲み込めずに困惑している中、太った男は「それでしたら……」と揉み手をしながら檻から出ていった。


 最初から最後まで僕への説明が無いままだったが、とりあえず落ち着いて考える時間が出来たので構わない。


 現在の僕は鉄格子の中、檻の中だ。


 清廉潔白に生きているので逮捕されるような心当たりはないが、そもそも罪を犯して捕まっているわけではないと思う。


 先の不躾な訪問者の言動からすると、ペットショップの動物のような扱いを受けている節があった。だが、なぜこんな状況になってしまったのか。


 僕の最後の記憶は、全てを塗り潰すような暗闇の世界。生者の存在を許さない暗い海中だ。


 状況的に生存は絶望的だと思っていたが、こうして生きているという事は幸か不幸か助かったという訳だ。積極的に死ぬつもりはなかったので喜ぶべきなのだろうが……しかし、この現状では素直に喜べない。


 なにしろ今の僕は服すら着ていない。上半身裸でパンツ一枚という野生味溢れる格好。ポジティブに考えればパンツがあるだけ幸せとも言えるが、僕の服や人権は何処に行ってしまったのか不思議でならない。


 僕の現状は明らかに――奴隷。

 奴隷制度は過去の悪習となっていたはずだが、嘆かわしい事に世界の片隅では現存していたようだ。


 しかし……ここは一体どこなのだろう?

 

 漂流して流れ着いた場所のようだが、同じ奴隷仲間の容姿を見ても人種が判別できない。相当遠くまで流れ着いてしまった事だけは何となく分かる。


 そしてそう――奴隷仲間。この部屋に居るのは僕だけではなく、人間を入れた檻がずらりと並んでいる。


 しかも檻に入れられている者の多くは幼い子供。おそらくこの部屋の中では僕が最年長だ。とりあえず、現状把握の為にも情報を得ておくべきだろう。


「やあ、こんにちは。僕の名はコール=ヤヴォールト。よかったら君の名前も教えてくれるかな?」

「あ、えっ……」


 僕が話し掛けたのは、お隣の檻に入っている女の子。見たところまだ八歳くらいだろうか。声を掛けられたのが意外だったのか混乱している様子だ。


「大丈夫、僕は怪しい者ではないよ。僕の故郷では『あいつは怪しくない!』って評判だったんだから」


 半裸で少女に話し掛ける姿は怪しいどころではないが、そんな些事は取るに足らない事だ。ここは少女の警戒心を解くのが先決である。

 そして僕の言葉の何が可笑しかったのか、お隣の少女はくすりと笑った。


「ふふっ……お兄さん、ここに連れて来られたばかりなのに落ち着いてるんですね」


 僕が取り乱していない事に感心しているらしい。少女は僕に胆力があると誤解しているようだが、僕の場合はいつ死んでも構わないという想いが根底にあるだけだ。言うなれば自暴自棄のようなものなので褒められた事ではないだろう。


「私はソウカです。お兄さんは旅の方ですか?」

「うん、そうだよ。旅行で船に乗ってたら沈没しちゃってね。海で溺れたと思ったらここに居たんだよ」


 複雑な想いを抱えつつも質問に返しておく。こちらから話を振っておいて自虐的になっている場合ではない。相手が愛想良く接してくれているのだから誠実に応えるべきだろう。


「ふ、船が沈没ですか……」


 ソウカちゃんは返す言葉に迷っていた。

 なにしろ状況的には幸運とも不運とも言い難い状況だ。ソウカちゃんとしては『無事に助かって奴隷になって良かったですね!』と言うわけにもいかないので困っているのだろう。


「命あっての物種だからね。僕は命が助かっただけ運が良かったよ」


 だから僕は晴れやかな笑顔で告げる。年長者として幼い少女に気を遣わせるわけにはいかないのだ。


「ところでソウカちゃん、ここは地理的にはどの辺りになるのかな?」


 僕の笑顔に釣られて少女が表情を緩めてくれたところで、当初の目的である情報収集に入った。なんと言っても現時点では情報が少なすぎる。

 現在地すら把握していない状況では逃亡すら覚束ないというものだ。


「ここですか? 私にも正確な場所は分からないのですが……多分、まだノルドミードの中だと思います」

「んん? それは街の名前なのかな?」


 聞き覚えのない単語だったので聞き返すと、困惑顔のソウカちゃんから「国の名前です」と返ってきた。


 僕は躍起になって勉学に励んでいたので世界の地理にも詳しく、世界中の小国を知っているという自負もあったが、それでも『ノルドミード』という国名は聞いた事がなかった。


「それは別の呼び名があったりするかな? あと、ノルドミードと隣接した国の名前も教えてくれるかな?」

「ノルドミードのことを単に『ノルド』と呼ぶ人も多いです。……他の呼び名は、ちょっと分かりません。お隣の国はテイスグルドとセイントザッパになります」


 国が別名で呼ばれている可能性を考えて聞いてみたが、ソウカちゃんの反応からすると知っていて当然クラスの国のようだ。もちろんテイスグルドやセイントザッパという国にも聞き覚えはない。


 ――――これは明らかにおかしい。僕がどこまで漂流したのかは分からないが、あまりにもソウカちゃんと話が噛み合わない。


 ソウカちゃんの個性的な感性――『国名のフォークラフトを略してノルドミードです!』という可能性も疑ったが、聞き耳を立てている子供たちの反応もソウカちゃん寄りの雰囲気だ。

 

 こうなれば致し方ない。とりあえず現在地の把握は保留としておこう。

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