26◇背中を押して

 学校に着くと、早朝からまたシンディがコーネルを遠くから見ていた。今日はうずくまらずにちゃんと立っていたので踏む心配はない。


「……気になるなら挨拶くらいしに行けよ」


 ディオニスがシンディの背中に声をかけると、飛び上がりそうなほど驚いてへたり込んだ。


「は、背後から女性に声をかけるなんて失礼ですわ!」

「正面に回っても、どうせ他の男なんて目に入らないだろうが」

「もちろんそうですけど!」


 シンディは勢いよく立ち上がり、ふんぞり返って言った。どうでもいいというのがディオニスの意見である。


 自分でよくわかっているが、ディオニスは目立つ。皆の視線が自分たちの方に向いたせいでシンディは焦っていた。


「嫌だ! 先輩がこっちを見ているわ!」

「よかったじゃないか、目を向けてもらえて」

「よくありませんわ! 私、あなたになんて興味ないのに、あなたが目当てだとか先輩に思われたくありませんもの!」

「……俺も、お前にそういう感情は持ち合わせていない」

「あなた! 私みたいな美人になんてことを仰いますのっ?」

「お前が先に言ったんだろうが! 大体、俺にはちゃんと決まった相手が――」


 と、そこで言葉を切ったのは、コーネルがニコニコしながら横に立っていたからだ。


「へー。ディオニスには誰かいるんだね? どんな人?」


 シンディが生意気なので、ついムキになって言い合いをしていたら気がつかなかった。


「せ、先輩……っ」

「おはよう、シンディ」

「おはようございます!」


 ディオニスには生意気で可愛くないが、コーネルには素直である。

 顔を赤くして、朝の挨拶に今日の全エネルギーを使ったような気合だった。これが恋する乙女というヤツだ。


「コイツとは真逆の、素直で淑やかなタイプだな」


 少し照れつつ言った。

 前半が余計だとばかりにシンディが睨んでいる。


「ふぅん? いつか会えるといいな」


 そんなことを言うけれど、コーネルに会わせるつもりはない。他の男になんて会わなくていい。独占欲の塊だと言われようとも構わない。


「必要ないだろうが」

「友達の恋人だし、挨拶くらいはしたいな」


 話を逸らしたかったのもあるが、ふとコーネルに尋ねてみた。


「……そういうお前は?」

「うん?」

「誰かいないのか?」


 正直に言うと、コーネルに恋人がいるかどうかなど関心はないが、シンディが気になるだろうと思って訊いてやったのだ。これは親切心からだったかもしれない。

 自分が満たされているから、少しくらいは他人に気を遣ってみてもいいかと。


「僕? あ、うん。親が決めた婚約者らしき人なら」


 これを聞いた時の、シンディの表情が虚無という二文字で表せる。ディオニスまであまりの気まずさに消えたくなった。

 それでも、コーネルはそれが自分のせいだとは気づいていないようだった。


「まあ、先のことはわからないんだけど。なんせまだ相手には会ったこともないし」

「それは迷惑な話だな」

「でも、家の事情ってのがあるから。あっ、じゃあ、また――」


 そこまで言うと、コーネルは遠くに別の友人を見つけたらしく、ディオニスたちに断ってから手を振りつつ駆けていった。


「先輩に、婚約者が……」


 シンディは涙ぐんでいるが、それを慰めるのはディオニスの役目ではない。


「あいつが自分で選んだ婚約者なら仕方ない。でも、親が決めた縁組で、しかも会ったことすらない。確定じゃないなら、これからどうとでもなる」


 ――と、思う。

 本気でどうにかなるかどうかは、正直なところわからないが。


「だけど、家の事情があるって。先輩みたいに優しい人が家族を裏切るようなことはしないでしょう?」


 自分で言いながら、今にも零れそうなほど涙が溜まっている。

 ディオニスは、そんなシンディを前にして言い放った。


「泣くのはお前の勝手だ。それで諦めがつくなら泣いていろ。でも、後悔したくないならやれることはすべてやれ。今みたいに眺めているだけなら、あいつの卒業を見送っておしまいだ。俺は何もしないヤツの手助けなんてしないからな。協力してやろうって思えるくらいの根性は見せろ」


 自分で何もしないのなら、それまでの気持ちだったということだ。

 ディオニスは首席であり続けるために努力をした。誰にも負けたくないと、強い気持ちを切らさなかった。アンにもできる限りの本音を語った。


 シンディが眺めるだけから踏み出すのなら、手を貸す。役に立つかは知らないけれど。駄目でも努力した相手なら、多少の労りは向けられる。


 シンディは呆然と立っていた。

 どうするかは彼女次第だ。

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