25◇日進月歩
自分の過去も含め、全部話した。ディオニスはアンに対してもう、秘密という隔たりがない。
だからこそ、心を開くこともできるようになった。アンも同じかもしれない。
口約束だけれど婚約をして、キスをして、距離が縮まった。
けれど、そうすると歯止めも利かなくなってしまうところである。
「……帰りはパッと帰ろう。もう暗いから」
「はい」
にこりとアンが笑いかけてくれる。その笑顔を見たら離れがたい。
一緒の屋敷へ戻るだけなのだが、屋敷がもっと狭かったらいいのにと思った。
アンの手を握り、帰りはパッと瞬間移動で帰った。
戻った先にいるのは自動人形たちだけで、生身の人間はいない。それでも、アンはディオニスがいつもよりも身を寄せていて、半ば抱き寄せるような恰好でいるからか自動人形の視線を気にしているように見えた。
そんなところも可愛い。照れているのがわかるから、つい意地悪をしたくもなる。自覚はあるが、性格が悪いので。
「じゃあ、着替えてくる。後でな」
そう言って、アンのこめかみにキスをした。自動人形たちがそれをじっと見つめている。
「えっ、その……っ」
「着替えてから食堂で」
「…………はい」
こめかみを手で押さえ、アンは顔を赤くしている。その間も自動人形たちはじっと見守っていた。
部屋で一人になった途端、ディオニスも言いようのない多幸感に包まれていた。
それは学校に首席入学した時にも、誰に褒められた時にも感じたことのない気持ちだった。
魔力がありながらも回復魔法が使えないほど人間性に問題があったディオニスだから、純粋に誰かに愛情を抱くのは無理だと思っていた。それでは家庭を持っても不幸な子が産まれるだけだと、結婚を回避したがっていた部分もある。
それが、アンとなら生きていけると思えたのだから、自分は案外凡人だったのだなと笑いも込み上げるのだった。
◇
感情の起伏がありすぎて夜はよく眠れなかったけれど、眠れない夜が幸福だという体験は初めてだった。
こんな夜にはさすがに父の亡霊も出てこられないことだろう。もし出てきても笑ってあしらえそうだ。
アンも眠れなかったのかもしれない。いつもならずっと先に起きていて朝食の支度をしているのに、ディオニスが階段を下りきった時に慌ててやってきた。
「お、おはようございます、ディ――」
あまりに慌てたからか、昨日の疲れが足に残っていたのか、アンは階段を下りる途中で足首を捻った。
「アン!」
ディオニスがとっさに駆け寄ってアンを抱き留めたので、転倒は免れた。ディオニスに寄りかかりながらも、アンはまだ驚きから覚めないらしく、そのまま固まっている。
「怪我はないか?」
「すみません。……足首が少し、痛い、です」
アンを階段の上に座らせ、具合を確かめる。
「歩けそうか?」
「折れたりはしていないと思いますが……」
捻挫くらいはしたのだろう。アンの足首は見る見るうちに腫れてきた。
「ライエ名誉教授のところに行こう」
「でも、これくらいでフリーデル様を煩わせては申し訳ないので」
彼女なら治せるだろう。アンのためなら惜しまず回復魔法を使ってくれるはずだ。
そう考えたが、ふと思う。
今のディオニスは、アンのことを愛しく思い、気遣っている。この気持ちがあれば、回復魔法が使えるのではないのか。
以前、小さな火傷を治そうとしてできなかった。それでも、あの時以上に気持ちは育っている。今のディオニスは、アンのことが自分よりも大事だった。
少し考え、ディオニスは屈んだ。
「アン、少し触ってもいいか?」
「え? は、はい」
短い靴下を下げてずらし、ロングスカートの裾から出ている足首に指を添える。
――原理はわかっている。
ふぅ、と息を吐き出し、集中力を高める。
アンの痛みが引くように、苦しみから解放されるように、祈るような気持ちで回復を試みる。
すると、柔らかな白い光が溢れ、ディオニスの中から魔力が削られた感覚があった。
ドキドキと緊張しつつアンに尋ねる。
「どうだ? 少しは楽になったか?」
「あっ! 本当ですね、腫れが引いています。痛みもほとんどないくらい」
完全にとまでは行かずとも、かなり和らげることはできたようだ。
つまり、心が伴えばディオニスにも回復魔法が使えるようになる。これからはもっと上達していくだろう。
学校の成績や卒業のために喜ばしいというよりも、可能性が見えたことが嬉しい。ディオニスもこのまま精進していけば回復魔法がもっと使えるようになる。
だとするのなら、いつかはライエ名誉教授さえも超えられるかもしれない。そうしたら、アンの古傷を治してやれる。
そのために、もっと学びたい。力をつけたいと思える。
自分のためにも努力は惜しまなかったけれど、アンのための努力ならばもっと励んでいけるだろう。
アンのことは幸せにしたいから。
「でも、やっぱりライエ名誉教授のところへ行こう。学校が終わってから迎えに来る」
「私の足ならもう大丈夫ですよ?」
「少し話をしたいんだ。でも、俺だけで行くと多分あのフィニアに串刺しにされるし」
アンと婚約したと話したら、少々恐ろしい目に遭いそうなのだ。アンがいてくれたら、それが一方的な思いからではないとわかってくれるだろう。
「フィニアちゃんが、串刺し?」
そんな危機に直面したことのないアンにはわからないだろう。
――直面しなくていいけれど。
「ライエ名誉教授もアンの幸せを願ってるってことだ」
「フリーデル様は私のたった一人の味方になってくださいました。でも、これからは心強い味方がもうお一方増えたのですよね」
アンからの信頼が心地よい。
回復魔法と同じように、ディオニスの不器用な微笑みも、アンの前でだけ多少の上達を見せたのではないだろうか。
「その二人だけで全人類を敵に回しても大丈夫だろ?」
「そうですね、本当に」
――この時の自分の脳天気ぶりには後で呆れかえることになるのだ。
それでも、この時はまだ何も知らなかった。
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