16◇ただの通りすがり
蹴っていたらディオニスの方が悪者になった。腹立ちを込めて問いかけたら、その塊はやっとディオニスに気づいて顔を上げた。
女生徒だが、同じ学年ではない。
学年章のバッジが三年生だった。下級生らしい。
長くまっすぐな茶髪、小顔で細身。そこそこに美人ではあった。
けれど、その女生徒はディオニスを見上げて顔をしかめると、立ち上がってスカートについた砂を払った。
「別に。ただの通りすがりですわ」
高飛車に言われた。
「こんな丸まった通りすがりは、ダンゴムシ以外では初めてだな」
そう言ってやったら、見るからにイラッとされた。体調が悪いということもなさそうだ。
「あなたには関係ございませんので、どうぞお構いなく」
「頼まれても構うか」
年下の女を相手に本気で喧嘩をするものではないけれど、どうにも腹の立つヤツだった。
さっさと行こうとしたのだが、そんな時に限って呼び止められる。
「ディオニス!」
向うからコーネルが手を振りつつ、犬のような人懐っこさで駆け寄ってくる。嫌な顔をしてやったのに、いつも気にしない。
「僕も教室に戻るところなんだ。一緒に行こう」
「別々に戻ればいいだけだろ」
「行き先が一緒なのに?」
コーネルは心底不思議そうに言うけれど、ディオニスは何が不思議なのだかさっぱりわからない。
そして、コーネルが来た途端に高飛車な女生徒が固まっていた。まだそこにいる。
コーネルは彼女を知っていたらしい。
「ああ、君。この間の?」
「そうです! 三年生のシンディ・グラフです! その節はありがとうございました!」
「そうそう。シンディはディオニスと知り合いだった?」
「いいえ、まったく! 微塵も興味ありません!」
えらくでかい声で言われた。
コーネルはディオニスをじっと見て、それからシンディに目を向け直して苦笑した。
「僕の友達なんだ」
未だに一方的な友情だが。
シンディはそれを言われた途端に顔を真っ赤にした。
「あ、いえ、その、お友達? お、おとも……」
あんなにきっぱり言うから、ごまかしようがないのだろう。面白い。
コーネルは邪気のない笑顔でシンディに接している。本当に愛想のいい――。
「ディオニスはすごいヤツなんだ。誰より勉強熱心だし、弱音も吐かないし、身分をひけらかさないし」
コーネルはディオニスをそんなふうに見ているらしい。
いつでも雑に扱われているくせに、どうしてこう懐くのだろう。
「……お前、先に教室に戻ってろよ。俺は寄り道してから帰る」
「ふぅん? じゃあ仕方ないな。あんまり時間ないし、早めに戻りなよ」
「ああ」
コーネルは手を振って校舎へ戻っていった。
チラリとシンディを見遣ると、とても名残惜しそうにコーネルの背中を追っている。さっきの高飛車はどこへ行ったのか、瀕死の重傷でも負ったように見える。
「あいつが目当てか?」
ボソッと言ってみると、睨まれた。ディオニスにはやたらと厳しい。
「べ、別に、コーネル先輩を目で追っていてあそこにうずくまってたわけじゃありませんわ!」
「どっちでもいいけど。次に同じ状況になったら、間違いなく踏むからな」
「あなた! 先輩のお友達のくせに、優しさの欠片も持ち合わせていませんのね!」
先輩先輩とうるさい。
つまり、この女はコーネルに片思い中だが、まったく気づかれていないということらしい。
黙っていれば美人だが、性格が悪いようだ。自分のことを棚に上げて思った。
「グラフ――グラフ商会か?」
この気位の高さからして考えられる。
グラフ家は今のところ商家で爵位こそないが、幅広く事業を展開している。シンディはそのグラフ商会の令嬢かもしれない。商家でも下手な貴族より資産はある。
「なんですの? ……あなたって、そういえば、
何か引っかかる言い方なので答えなかった。
「グラフ商会のお嬢様の相手としては、あいつは妥当とは言えないが? 貧乏でも准男爵の長男だ。兄弟が多いらしいことは言っていたから、弟に家督を譲らせて婿にしても、ああ人が良くては商売なんて向いてない。まあ、商売上の伝手がほしいだけなら仲よくして損はないかもしれないか」
すると、シンディは目をつり上げて怒った。
「そんな打算で好きになったりしません! 先輩は、商人の娘だって貴族令嬢から馬鹿にされていた私のことを庇ってくださいましたっ! その優しさに惹かれたのですわっ!」
コーネルなら、息をするくらい簡単に人助けをしそうだ。それでいちいち惚れられていたら、非常に危険である。
「まあ、俺には関係ないから口は挟まないけどな」
「……お、お友達なら、先輩の好みとか知りませんの?」
「知らない」
役に立たないとばかりにため息をつかれた。
けれど、シンディは両手で頬を包むなり、急に萎れてしまった。見た目通り気の強い女のようなのに。
「私、こんな気持ちになったのは初めてですの。いつでも先輩のことを考えてしまって、見かけるとずっと目で追って周りが見えなくなるし、何より心臓がドキドキし通しで痛いくらい。先輩に意地悪する人のことは許せないし、かといって馴れ馴れしくされているのも駄目で、私に話しかけてくれたり、名前を呼んでくれたらそれだけで嬉しくて、でも浮かれてから我に返ると切なくて」
「…………」
滔々と恋心を語られた。
きっと、友達が少なくて話し相手に飢えている。
「ねえ、あなたには微塵も興味ありませんけれど、先輩のお話を聞かせて――」
「断る。じゃあな」
ディオニスはさっさと教室に戻ることにした。
認めたくはないが、あの女はディオニスと同類かもしれない。
プライドが高く、性格が悪くて、友達が少ない。
だから、真逆の人間に惹かれてしまう。
――いつでも相手のことを考えて。目で追って。心臓が痛いほど高鳴る。
話しかけてくれて、名前を呼ばれると、嬉しい。
『ディオニス様、あの――』
ふわりと微笑み、名を呼ぶ。
アンのことを今、どうして思い出したのか。
それは深く考えない方がいいことだ。
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