13◇アンの頑張り
「――だから、ちょっとだけだって言っただろうがっ!」
その声は随分と下品にがなり立てており、ディオニスは顔をしかめた。
「嘘! 全部取るつもり!」
精一杯声を上げた子供。大人しいザーラらしくない声だったが、違うとも言いきれなかった。
ディオニスは続けて転移するをやめ、辺りを見回す。
そこは水場のある林のそばで、アメンボが雨のような波紋を水面に作り上げている。沈みかけた夕日が周囲を赤く染めていて、そんな風景の中に人がいた。
いかつい男が三人ほど立っていて、誰に向かって怒鳴っている。
「うるせぇガキだな! 荷物が重たそうだから俺たちがちょっともらってやるって言ってんだよ!」
「泥棒! 返して!」
男たちが垣根のようになっていて見えないけれど、男の一人が持っているリュックは、いつもザーラが担いでいるもののようだ。
小さな子供が道を行き来すると、こういう馬鹿に絡まれることがある。大抵の大人は子供相手にひどい仕打ちはしないものだが、それを教わらずに生きてきた馬鹿も存在するのだ。
ザーラがここにいるということは、アンもいるのかと思ったら、やはりそこにいた。
ザーラを庇うように抱き締めているが、アンの小さな背中では庇いきれない。ザーラはどうしても荷物を盗られたくないようで、敵うはずもないのに飛びかかりそうになっている。アンはそれを力を込めて抑えているらしい。
男たちは明らかに調子に乗っていた。
「人様を泥棒扱いするなんて、躾のなってねぇガキだな」
「オレたちが世間ってモンを教えてやらなくちゃならないなぁ」
「そこのツレの姉ちゃんにもな」
アンは恐怖で体が強張っているらしい。声が出ないのか、顔も背けたままだ。それでもザーラのことを精一杯護ろうとしている。
それを見た瞬間に、ディオニスのこめかみの辺りでブチリと音がした。
相手が弱い女子供だから恫喝する。頭に詰まっているのは
「お前たちは旅の者か? 女子供相手にみっともない。すぐにここを立ち去れ」
感情を押し殺して言うと、男たちは慌てて振り返った。他に人がいると思わなかったのだろう。
しかし、振り向いた先にいたのはまだ若い細身の男一人だ。余裕で勝てると思ったらしい。
「なんだこの偉そうなガキは」
逆に吐き捨てられた。もう許さない。
「領主の顔も知らないようなら、この辺りの者ではないな」
そう返してやると、さすがにギクリとしたようだった。それでも、ディオニスは手心を加えてやるつもりはなかった。
「俺の領地でぶざけた行いをしたことを後悔させてやろう」
薄く笑うと、赤い光を掌に集めた。この光はディオニスの魔力で、魔法を使うその時だけ可視光となる。光は炎となって燃え盛り、ディオニスが怒りと共に腕を振ると、輪になった炎が次々に爆ぜていく。
学校で三年生までは創立始まって以来の天才と謳われたディオニスの魔法だ。
実技試験では威力を測るための装置もろとも破壊してしまい、計測不能の満点を叩き出した。こんなチンピラなど骨も残さず焼き尽くせる。
男たちはこれだけで腰を抜かした。
「す、すみませんでしたっ! すぐに出ていきますから、お許しくださいっ!」
脚が震えて立てないのか、尻で後ずさる。魔法を目の当たりにしたことがなかったらしい。
「二度とこの地に足を踏み入れるな」
ディオニスは低く吐き捨てると炎を消し、男たちをそれぞれ殴るようにしながら転移魔法をかけて飛ばした。
行き先は断崖でいい。潮風に吹かれながら頭を冷やせ。
ザーラの荷物まで燃やしたり一緒に飛ばすようなヘマはしない。荷物は無事だ。魔法の火はただの火とは違い、ディオニスの意志を反映するのだから。
――下手な使い手だと一緒に燃やすかもしれないけれど。
ディオニスはザーラの荷物を拾い、ついている砂を払った。
男たちが消えてしまっても、アンは顔を背けたままだった。
「もう大丈夫だ」
声をかけても、アンの緊張は解れなかった。抱き締められているザーラの方が困惑したようにディオニスに目を向ける。
――これはもしかすると、あのチンピラのせいだけではなかったりするのだろうか。
チンピラたちを怖いと感じた以上に、それを魔法で蹴散らしたディオニスはもっと怖かったのだ。
助けたつもりが余計に怯えさせてしまったのだとしたら、これは不可抗力だ。
「アン、これは……」
助けてやったのに、礼も言えないのか。
放っておいてよかったのか。
二人が責め立てられているのを見て、ディオニスは助けなければと感じた。あの気持ちは間違っていなかったはず。
アンだからではなく、ザーラだけでも腹が立ったと言えなくはない。弱い者苛めは胸糞が悪いから。
アンは動かない。
そんなにも、ディオニスのことが怖いのか。
――助けたことを感謝してくれると思っていた。
朝、また余計なことを言ってしまって別れたままだったから、また普通に話してほしかった。
それはディオニスの勝手な思いであり、アンは振り回されるばかりなのだ。ライエ名誉教授のところへ帰りたいと願っていても不思議はない。
これ以上の課題の続行は無理かもしれない。
それではいけないはずなのに、アンから怯えた目を向けられ、化け物のように避けられるのなら、課題が失敗しても出ていってくれていいと考えてしまった。
それはどう考えても自分らしくない思考だ。
何故、課題を優先できないのだ。
大体、アンのことは散々傷つけておいて、そのくせ自分が傷つくのは耐えられないなんて愚かしい。
アンからの返事はなく、ディオニスも言葉を探せなかった。とても息苦しい。
そうしたら、ザーラがおずおずと言った。
「あの、アンお姉ちゃん気を失ってるみたい、です」
「えっ?」
まさかと思って近づくと、ザーラが身じろぎした途端に腕が解けてアンの体が滑り落ちる。ディオニスはとっさにアンの体を抱き留めた。――これは不必要に触っているわけではない。
アンはぐったりとしてまぶたを伏せていた。本当に気を失っている。
「そこまで怖かったのか……」
ディオニスがつぶやくと、ザーラも心配そうにアンの顔を覗き込んだ。
「あたしのこと庇ってくれて。でも、アンお姉ちゃんもすごく震えていました」
そうまでして必死で庇ったザーラが無事に家まで辿り着けなかったら、アンの努力が無駄になってしまう。
「お前の家はどこだ? 送っていく」
「い、いいんですか?」
「ああ。転移魔法を使えばすぐだ。忘れ物は受け取ったか?」
「はい。……えっと、じゃあツィーゲの町の南口まで」
「わかった」
ディオニスはアンを背負い、片手でザーラの肩に手を置く。ディオニスの魔力も無尽蔵ではないが、この程度の消費ならばひと晩眠れば回復できるだろう。
町の南口の門はまだ閉まってはいなかった。
ザーラは家族と喧嘩をして落ち込んでいたらしいが、さっきの出来事で色々と吹き飛んでしまったらしい。暗い顔はしていなかった。
「ありがとうございました! アンお姉ちゃんにもありがとうって伝えてください。また会いに行きます」
「わかった。またな」
またな、なんて似合わないセリフだと自分でも思った。そんなことを口にするのは珍しい。
それから、珍しいついでに言った。
「――あと、これから俺の屋敷に来た時は俺が帰るまでアンと茶でも飲んでいろ。今日みたいなことがあるから、帰りは送ってやる」
この程度の距離ならば負担などない。
またアンがザーラを心配して飛び出すくらいならその方がいい。
ザーラは驚いたように目を瞬かせたが、少なくとも嬉しそうだ。
「お気持ちが嬉しいです。ありがとうございます、伯爵様」
最初は自動人形のようだと思ったザーラだったが、今は子供らしい笑顔を浮かべていた。
ディオニスは父から爵位と領地を受け継いだが、正直なところ領民の顔など思い浮かべたことはなかった。今は学業優先を理由に領地のことは人任せだ。
それでも、これからは一番にザーラの顔が浮かぶのかもしれない。人と関わるとはこういうことだ。
――背中にいるアンはまだ気がつかない。
「……帰るぞ」
小さく囁いたが返事はなかった。
ただ、何かあたたかい雫が首筋に落ちた。
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