21◇休日
あれほどの傷を負い、それでもアンは優しい。
世間を恨んだようなところがない。
どうしたら、あんなふうにいられるのだろう。ディオニスだったら、目に映る何もかもを憎んだ。
それがアンのすごさだ。
人に対する好意というものは、尊敬から生まれる。
アンのために何かができたら、力になれたらという思いを今のディオニスは抱いていた。
「アンはここへ来てから屋敷の外へはほとんど出ていないから、一度どこかに出かけないか?」
晩餐の時に思いきって切り出してみた。屋敷の中で話すよりも、外の方が開放的で話しやすい気がするのだ。
アンはディオニスの意外な提案に驚きつつも嫌ではないようだった。
「はい。でも、学校は……?」
「明日は休みだから」
学校は、年に二度、ふた月ほどの長期休暇がある以外は基本的に休みではない。
けれど、休むと決めた。だから休みで合っている。
アンと向き合うには、それくらいして時間を作らなくてはならないと思っている。
「そうなのですか? でしたら、明日。何か用意するものはありますか?」
今からソワソワとし出した。それがとても可愛い。
「どこへ行くかにもよるな。アンはどこへ行きたい?」
町まで新しい服を買いに行ってもいいし、装飾品や雑貨、ほしいものがあれば言ってほしかった。
アンは少し考えた後で答える。
「お花がたくさん咲いているところに行きたいです」
「花が好きなのか?」
「はい。栽培された豪華なものではなくて、小さな野草の方が好きです」
野草と言われてもピンと来ないのだが、この季節なら丘にでも行けば何かは咲いているだろう。予想とは違うことを言われたので、ディオニスは下調べをしてから場所を決めることにする。
「何か手軽に食べられるものを作って、そこで食べてみたいのですが、どうでしょうか?」
「いいよ。じゃあ、明日」
「はい! 楽しみにしています!」
そんな状況下なら、アンの心も癒されるだろうか。
そうであってほしいと思った。
◇
翌朝。
ディオニスは久しぶりに学校の制服以外に袖を通した。
日差しがあたたかいから、自動人形が出してきた薄手のジャケットを羽織るくらいでいいだろう。
アンはバスケットにランチセットを詰めたものを携えていた。
ベージュのドレスにボンネット。アンの持ち物はやや古びているが、アンが可愛いのでそれも似合って見える。ただし、ディオニスに女性の容姿や装いを褒めるような芸当はできない。
「……丘へ行こう。でも、先に町で買い物とかしなくてもいいか?」
「買い物ですか? あっ、ザーラさんのおうちはお店ですから、そこで何か?」
「それもいいけど、生活雑貨とか食料品だろ? 服とか装飾品は?」
気を遣って言ったつもりなのだが、アンの顔が曇った。
「それは、持ち合わせが……」
「俺が買うから、アンは欲しいものを言えばいい」
恩を着せるのではないが、アンにはそう受け取られたのだろうか。少しも喜ばない。
「いえ、間に合っていますので」
ひと昔前のデザインのドレスのどこが間に合ているのだろう。借りを作りたくないだけか。
――もしくは、試着をしたくないからか。
「そうか。それならいい」
気まずくなって話を切ったけれど、アンはディオニスの厚意を無にしてしまったのだろうかと不安そうに見えた。
ディオニスはなるべくアンを気遣いながらバスケットを受け取り、転移魔法を使うために彼女の手を握った。
そうしたら、アンは少し慌てた。
「歩いていきませんか?」
「歩いて?」
「遠くでしたら無理かもしれませんが」
「いや……」
そこまで遠くはない。歩いて二時間というところだろうか。
普段、ディオニスは馬車でさえ必要としておらず、歩いてどこかへ向かうとしてもほんの近くに限られる。
ディオニスに手を握られたまま、アンは恥ずかしそうに言った。
「パッと魔法で行ってしまうと、すぐに終わってしまって勿体ないですから」
「いいけど、疲れたら正直に言ってくれ」
「はい!」
アンだってそんなに普段歩いていないはずだ。途中で疲れても無理をしそうに思える。
それでも、アンは今日を楽しみにしていてくれたのだと伝わった。
このままずっと笑っていてほしいから、ディオニスはアンの願い通りに歩くことにする。
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