11◇上手くいかない

『お前は常に完璧でありなさい。この家にいる限り、ただの子供に値打ちはないのだから。わかるだろう?』


 顔を合わせるごとに繰り返された父の言葉。


 知っている。わかっている。

 ただの子供では駄目だ。愛嬌なんてなくていい。

 優秀で誇らしい、そんな息子を望んでいる。


 人に見下される存在であってはならない。

 常に完璧に。隙など見せずに、生きて――。




 そこでディオニスはハッと目を覚ました。

 またうなされていたらしく、息苦しさが残っている。


 父が亡くなってもう二年。まだ二年。

 未だに存在が生々しい。


 終ぞ好きにはなれくて、むしろ嫌いだった。

 だとしても、ディオニスの価値を一番認めていてくれたのは間違いなく父だったのだ。


 その父は亡霊のように、今もディオニスの心に住み着いている。

 こうして亡父の夢を何度も繰り返し見てしまうのは、重責の表れだ。家督を継げた幸運のおまけと言えなくもない。


 それでも、耐え抜いてやろうと自分で決めたのだ。手に入れたものをすべて手放さないために。


 フラつく頭を振って起床する。




「おはようございます、ディオニス様」


 アンの清々しい声と、出来立ての朝食の匂いがする。

 この頃は食堂に足を向けるのが嫌ではなかったはずなのに、夢見が悪くて気分が上がらない。こんな時には煩わしさもある。


「おはよう」


 今日の笑顔はまたひどいのだろう。アンがどこか心配そうにしていた。アンは他人の気分に敏感過ぎる。


「朝食の支度はできています」

「ありがとう」


 うわの空で返し、昨日はあんなに美味しく感じたオムレツを食べたが、味がよくわからなかった。それでもなんとか食べるが、アンはディオニスの横に来て言った。


「体調がよろしくないのではありませんか? 今日はお休みした方が……」

「そんなことはない。それから、どんなに具合が悪くても休むなんてあり得ない」


 そう言いつつも、胃が痛んで少し吐き気もする。

 夢見は確かに悪かったが、そればかりではない。アンと――他人といることで、独りに慣れているディオニスは心労が嵩んでしまうらしい。


「でも、あまり無理をされては回復が――」


 心配してほしいわけではない。

 これはディオニスの問題で、アンが悪いとまでは思わないけれど、それでも放っておいてほしい時だってある。


「大丈夫だから」

「……お勉強が大切なのはわかりますが、お体はもっと大切ですよ」


 このセリフに、ディオニスは思わず失笑してしまった。

 ただの子供に価値はないと言われ続けた人間の気持ちなど、アンにはわからないだろうから。


「体よりも勉強が大事だ。無能な俺にはなんの値打ちもないからな」

「ディオニス様はご立派なお方ですのに……。値打ちがないだなんて、どうしてそんなふうに考えてしまわれるのですか?」


 アンはとても悲しそうだ。本当に善良すぎて、馴染めない。


「そんなこと、あるはずがないって? あるんだよ。俺はそういうふうに育ったんだから」


 もう会話を切り上げたい。それなのに、アンがしつこいことを言うから。

 アンのようなのんびりとした人間には決してわからない。


 ――なんでこんな話をしているのだろう。

 いけない、抑えなくてはと思うのに、つい乱暴な物言いをしてしまうのは、やはり具合が悪いせいだろうか。


 目の前のアンはやはりしょげ返っていた。また傷つけたのだろう。

 上手くいかないことばかりでイライラする。このイライラは自己嫌悪なのだろうか。


 アンもどう言えばいいのか困っている。

 静かに頭を下げてテーブルの向こう側に座った。いつもより、うつむいている。


 また、あの砂糖が必要だ。

 あれがないと本当に駄目なのだ。こんなことばかりが続く。


 他人との関係を築ける者でないと回復魔法が使えないという理屈にも納得が行く。他者を思い遣れないディオニスには他人の痛みを理解できない。


 ――出かける前に自動人形に指示をしておく。

 アンに食後の紅茶を出し、そこにこの砂糖を入れるようにと。


 学院から戻る頃には効果が出ているはずだ。



     ◇



 教室では弱みを見せないように平然と振舞っているつもりだった。

 それなのに、コーネルはディオニスの顔を覗き込んで言った。


「顔色が悪いねぇ。保健室行く?」

「行かない。うるさい」

「そう。ごめん」


 睨まれただけで謝る。コーネルはどうして怒らないのだろう。

 一度背中を向けたのに、コーネルはまた振り返った。


「でも、行きたくなったらいつでも言って?」


 どこまでも優しくしようとする。そんなに貴族に恩を売りたいのかと考えてみるが、これが別の生徒であってもコーネルは同じように接するのだ。


 コーネルのような人間は、理屈だけで言うなら回復魔法を使えるはずなのに、四年生でも劣等生クラスにいる。それは魔力の値が低いせいだ。

 ディオニスの魔力とコーネルの心があったらどんな魔法も使えただろうに、世の中はちぐはぐにできている。


 それでも、コーネルはディオニスの魔力を羨まないのだ。力と心のどちらかしか持てないのなら、心の方に値打ちがあるものだろうか。


 急に負けたような気分になって落ち込んだ。

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