10◇ザーラ

 放課後、屋敷のエントランス前へ転移すると、ディオニスが使っている自動人形一体とアンが表階段の先にいて、その他にもうひとつの小さな人影があった。


 荷物を背負っていて、どうも行商人らしいが、小さい。一見して十二歳程度の子供に見える。

 見た目が愛らしいからと、子供型の自動人形も作られているのだが、そういうものを好むヤツは大抵が変態だとディオニスは思っていた。


 ディオニスの自動人形が包みを手に持っていることから、商品を買ったのだとわかった。

 ただ、アンはここで何をしているのだろう。子供の自動人形は珍しいから興味があるのかもしれない。


 アンはディオニスに気づくと笑いかけた。


「おかえりなさい、ディオニス様」


 機嫌はよさそうだとほっとした。


「ただいま」


 ディオニスも精一杯笑って返した。ぎこちないとしても、努力はしている。


 子供の自動人形は振り返り、ペコリと頭を下げた。やはり子供の自動人形では性能に問題がありそうだ。動作が洗練されていない。


「アン、外に出てどうしたんだ? この子供が珍しいのか?」


 問いかけてみると、アンは軽く首を傾げた。


「珍しい、とは……?」

「いや、子供型の自動人形を使うところは少ないから」


 それを言うと、子供の自動人形は顔を真っ赤にした。そんな芸当ができるなんて、思った以上に性能がいい。どこの製品だろう。

 まじまじと観察していると、アンが慌てていた。


「自動人形ではありませんよ。ザーラさんといって、おうちの手伝いをしている立派なお嬢さんです」

「えっ?」


 そう言われてみると、自動人形にしては着ている服が粗末かもしれない。体に対してスカートの丈が短い。細すぎる脚が竹のように伸びている。成長に合わせられて買い換えないからこうなったのか。


「…………」


 絶句した。人間だった。

 けれど、本当に自動人形ほど表情がない――と思っていたら、顔は赤いまま目にはうっすらと涙を浮かべていた。


「え、っと……」


 さあ、ここでどうするのが正解だろう。

 ここで間違えれば、アンは怒るかもしれない。アンがディオニスに愛想を尽かせば、ライエ名誉教授にあの男には見込みがない、時間の無駄だと思われる恐れがある。


 まるで動けなかった。正解がわからない。

 情けないことに、涙ぐむ子供を前にディオニスは固まっていた。そうしたら、何かが手に触れた。


 とっさに手を引っ込めそうになったが、それがアンの手だとわかって堪えた。アンの手は手袋をしていなかった。柔らかい、あたたかい肌が触れる。


 アンは片手にディオニスの手を、もう片方の手でザーラの手を取り、その両方を重ねた。そして、自分の手で包み込む。


「ほら、ザーラさんの手はあたたかいでしょう? 人の体温です」


 そう言って微笑みかけてくる。

 労働者の手は、子供でも硬かった。蝶よ花よと大事にされて育ったのではない、労力なのだ。こんなにも小さい手なのに。


 ザーラは怯えた目をした。ディオニスはそんな顔をさせたいわけではなかった。

 何故、どうでもいいことだと割りきれなかったのか、自分でもよくわからない。そう思わせたのは、やはりこの手から伝わる体温のせいなのだろうか。


 以前、人の体温を感じたのはいつだ。

 その時、相手のディオニスに対する感情は何か特別なものであっただろうか。そうではなかった気がする。


「……ごめんな」


 ポツリ、と言葉が漏れた。

 ザーラはハッとして、一生懸命に首を横に振った。こんな仕草をする自動人形はいない。

 不器用に、それでも精一杯この謝罪を受け入れてくれた。


「気にしてません」


 とても小さな声で返してくる。

 アンが二人を取り持つ手を放すと、ザーラは体をふたつに折って礼をして駆けていった。その背中にアンが声をかける。


「ありがとう! またお願いしますね!」


 ザーラは手を振り、はにかんだ笑顔を見せた。


「はい!」


 辛うじて泣かさずに済んだらしい。

 それから、アンのことも怒らせなくてほっとした。ただし、呆れはしたかもしれない。

 自動人形と生身の人間を間違えるようなヤツがいるなんて、と。


 労働者は自動人形だという発想がすぐに出てきてしまい、ディオニスは深く考えなかった。敗因はそこだ。

 区別をするつもりがなかった。どうでもよかった。関心がなかったのだ。


 他人に興味がなく、労わりを知らない。それが露呈した瞬間だった。

 また株を下げてしまったのかもしれない。ため息をつきたくなった。


 けれど、アンの雰囲気は柔らかいままだった。


「ザーラさんは商品を持って来てくれたのです。とっても美味しいチーズだそうで、楽しみですね」


 自分で言うのもなんだが、結構な人でなしぶりだったと思う。

 それなのに、アンは大目に見てくれるらしい。それが不思議だった。


「……人間と人形を間違えるって、ひどいよな」


 どう言い訳をすべきなのかと考えたが、アンはそれを求めていないようだった。

 奥の深い瞳がディオニスに向いている。


「でも、謝ったのですからザーラさんも許してくれますよ。私は、ディオニス様ならわかってくださると思いました」


 そう言って笑っている。

 それが理解できなかった。


「わかってくれるって、何を?」

「ザーラさんを傷つけたかもしれないということと、そんな時にどうしたらいいのかをですね」


 あっさりと返された。

 学校の生徒が聞いたら嗤うだろう。


「俺は人に謝るのが苦手だ」


 本音が漏れたが、アンはそれすら包み込んでくれているように思えた。


「それはきっと、心の籠っていない軽い謝罪ができないからですね。それから、謝られるのも苦手ですか?」

「どうだろう……?」


 謝るのが苦手なのは間違いないが、謝られた経験もこれといってないかもしれない。だから慣れないことではある。

 謝ってまで、ディオニスに許してほしいと考える人間がいなかったのだ。そのことにも気づかないでいた。


「大丈夫。ディオニス様の謝罪はちゃんと届いていますよ」


 アンはこの短い期間にディオニスから何を感じ取ったのだろう。

 とっさに言葉が返せなくなる。完全に調子が狂った。

 アンのようなタイプとは接し慣れない。アンはどんな人間にも長所を見出してくれるのだろう。


 あいつは性格が悪いとか、傲慢で底意地が悪いとか、慈悲の欠片もないとか、そんなセリフならば受け止められるのに、どうしていいのか戸惑ってしまう。

 アンといると、自分がいい人になってしまったように錯覚しそうだ。


 そうではなくて、アンを気遣い、満足させてこそ課題の成果となるはずだ。こちらがおだてられてどうする。

 ――それなのに、嫌ではなかった。

 見え透いた世辞ではない、アンの言葉が。


 彼女は本当に自分が感じたものを信じているから。

 その不当な評価が、どうしようもなく恥ずかしい。


 柄にもなく赤面したディオニスに、アンは小さく声を立てて笑っていた。

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