終章

「そう、でしたか……」

水戸徳川家の江戸上屋敷は今の東京文京区にある。小石川後楽園と人々に知られるこの屋敷は、元は沼と丘しかなかったが、徳大寺左兵衛という高屋出身の人物が、水戸徳川家初代頼房の依頼を受け安土桃山時代風格の築山泉水回遊式庭園として完成した。その次代の光圀に、「文昌堂」、「得仁堂」という中華風の建物を加えた。それは光圀が儒教思想有していることを示す建物と言われる。

その文昌堂に、今腰が曲げる老者を光圀は招いた。

「儂が国姓爺様から聞いたのは、そのような話でございます……」

厦門の時と変らぬ儒服を着ているが、儒者、朱魯璵シュロウ(舜水)の髪と髭も完全真っ白になり、顔の皺が深く彫って来た。彼は鄭成功の頼みで、明から日本へ乞師しに来たのは、もう五年の月日を経った。

舜水を招いきた文昌堂には日本式の部屋ではない。椅子と机がある唐風の部屋である。その机の上にあるのは、清国から来た火腿ハムと餃子、野菜の炒め物。茶でも抹茶ではなく、白磁の杯と紫砂の急須から仄かの香りを漂う煎茶である。

「俄かに信じられない話じゃのう、舜水先生」

白い羽織袴を着る者を背中から回り、厳しい顔と、虎と思い出せる炯々の大眼で舜水を見ている。

「儂が噓偽りなど申しませぬ。水戸宰相様」

水戸の宰相、徳川光圀が暫く考えると、舜水の向こうに座った。

日本へ乞師しに来た五年後の寛文五年に、舜水は亡命した長崎から、光圀が彰考館員の小宅処斎を派遣して舜水を招聘し、同年七月に江戸に移住した。

「もしそうでしたと、国姓爺の鄭殿はいずこの手か存じぬが、有馬殿の形見の脇差を見つけて、その脇差を証として、大員を日本の物と主張し、我々の支援を求めると?」

「そう、その大員を基地に、日本と彼の力を合わせて、そして……」

舜水が語り継こうとすると、何故か止めてしまった。彼は恐らく鄭成功のこれからの行動を予測できないだろう。明から離れる前に、鄭成功は明らかに「反清復明」の旗を掛けて戦った。だが……

――わしらが永暦帝様を神輿にして、自分の国作りをやる。

もしかして彼の本音は、自分で大名でもなりたいのか?そう思う時に、舜水は時々背中にゾッとした。

「彼は成功した、なれど」

光圀から聞いた話だと、三年前に鄭成功が二万五千の兵で、大員にある阿蘭陀人の城を攻め落とし、大員に政権樹立したが、大員の風土病をかかり、その年に病没した。

「宰相様!お願い申し上げます!どうか宰相様の力で、大樹様、いえ、宰相様だけでも、兵を出し、国姓爺様を助けくださいませ!」

舜水が頭を下げて、光圀へ願い、その声はもう慟哭に近い物である。

「だが、鄭殿は……」

「彼はまだ息子がいます、その息子殿を助けてくださいませ!」

鄭成功が死後、彼の嫡男鄭経が彼の跡を継ぎ、その鄭経は意気揚々と大員を豊かにして、機会を伺って中国へ反攻すると聞き及んでいる。

「だが、我らは、太閤殿下の轍を再び踏まないようにと決めた」

だが、光圀の答えは固かった。

「だが、義がある戦がおると!」

「いつか、いつかきっと。だが、今の我は……」

光圀は頭を横に振った。彼は舜水の気持ちが分かるが、自分は太閤の唐入りの失敗を絶対しない事。幕府の威信を傷付く事がいけないのも同等分かるのである。

大名は、哀れな者だからじゃ」

光圀はそう言った。

「どうか、どうか……」

舜水はただひたすらにお願いして、いつの間にか彼はもう光圀の前に跪いて泣いていた。

「我はいつか史書を作る。人々たちに何か善、何か悪か教えよう。その思想は皆の心に染みる時に、きっと……」

光圀は舜水を手を取り、彼を支えて立った。その眼に光を満ちて、一点の曇りも見えなかった。

「先生は我を、力を貸してくれぬか?」

日本の軍勢は後に、再び大員の土地に踏み込んだのは、凡そ二百六十年後の明治の時になった。


甲斐国、初鹿野に目を上げる、周りは緑の山々に囲まれている。

「大員の山に似ておるの」

晴信はそう言ったが、声はもう気力がなく、体はもう大変瘦せていた。

「ハハハ、ハ、ハ」

笑ってくれ。謫居地に謹慎している晴信は干笑しながら傍にいる角兵衛に言った。

「旧領恢復の口実を信じて、賄賂をやって、長崎奉行まで殺そうとする愚かな主君を笑ってくれ!」

「殿は、何も間違っておりません!」

晴信は、後にノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件の功績で、岡本大八へ旧領回復を求め、大八へ多額の賄賂を贈ったが、大八は家康の偽の朱印状を晴信へ与えてしまった。だがいつもでたっても褒賞の連絡がないとおかしいと思うので、晴信は自ら正純のもとに赴いて恩賞について問い合わせた結果は、大八の虚偽が発覚することとなった。

駿府に尋問した結果、大八は朱印状の偽作を認めたものの、晴信の失言で、「晴信は長崎奉行の長谷川藤広の暗殺を謀っている」と言った。

「儂が何もやっておらん!」

「だが、有馬殿は儂という取次がいるのに、本多殿と繋がったじゃないか……」

結果として、晴信を落としたのは、頼み綱である大久保長安である。

晴信と大八のやり取りで、元は有馬の取次である長安の逆鱗を触れた。長安は晴信の自派を離れ、本多正信たちの派閥に入ろうと思った。

「前にもう言ったじゃないか?本多上野介に気を付けよと」

利用価値がないと判断する時の大久保長安は、その相手にいきなり無情になる。

あるいは、有馬の所領を召し上がる事は、もう幕府の総意かもしれなかった。

「有馬殿は、もう長崎奉行の暗殺を事実として認めた!」

最終的に、大八は朱印状偽造の罪により、安倍河原で火刑に処せられたが、 翌日、晴信も旧領回復の画策と長崎奉行殺害の罪で甲斐国に流罪を命じられた以上、所領である日野江四万石は改易された。

「すべては台無しになった」

晴信は体を崩れて、床に座った。

「後は左衛門佐に託した」

晴信の嫡男左衛門佐直純は家康の側近であるから、彼はきっと父のやらかしを挽回するだろう。晴信はそう信じている。そう信じるしかない。

「誰かがこの件で責任を取らなければならぬからな」

この言葉を合図で、角兵衛は刀を抜いた。

晴信の眼は、遠く彼方へ見ている気がする。

「もう一度、旅をしたものじゃのう……」

「ごめん!」

刀を振り下ろた時、角兵衛は「ユイラ―……」と呟いた声を聞こえた気がする。

有馬晴信は、慶長十七年(1612)五月七日に流刑地である甲斐に自害させられた。

切支丹である故、一説、妻子を見守るなかで家臣に首を切り落とさせたと言う。


ユイラ―は、あれからの晴信の事は知る由もなかった。

新港に帰った数か月後、原田孫七郎の家に産声を上げた。

「生まれたのか!?」

孫七郎は慌ただしく家に入ると、頷いた妻と汗がかきながら、赤ん坊を抱きついている彼女を見ている。

「ああ!阿立祖のおかげじゃ!」

川水を持って来なさい!孫七郎は家の外にいる息子をそう命令したと、ユイラ―の傍に行き、その赤ん坊の顔を見た。

「有馬様、困る問題を私に投げ来たのう」

「いえ、困る事はない」

だが、ユイラ―は愛しくて、この日本の血を引く赤ん坊を見る。

彼は父の顔は一生見ないかもしれない。

彼は社の人たちの祝福も得られないかもしれない。

だが……

「彼はいつか日本へ渡海し、この大員を、自由の国になる。」

そうだろう、理加。ユイラ―は強い願いを込めて、この赤ん坊の、祖父から受け継いだ名前を呼び続いた。

慶安三年(1650)に、浜田弥兵衛から徳川秀忠、家光両御所を謁見し、大員事件に関わる理加が亡くなった。

その年にオランダの《台湾城日誌》に、「新港社、またタカロロの理加、前に日本から台湾王と冊封された。前日薨去」云々という記録があります。

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