一 有馬
初,日本足利氏之末葉,政亂民窮,薩摩、肥前諸國之氓相聚為盜,駕八幡船,侵掠中國沿海,深入閩、浙,而以臺灣為往來之地,居於打鼓山麓,名曰高砂,或曰高山國。高砂為日本播州海濱之地,白沙青松,其境相似,故名;或曰是番社之名也。當是時,日本徵夷大將軍豐臣秀吉既伐朝鮮,謀併臺灣。二十一年十一月,命使者原田孫七郎至呂宋,途次賜書高山國,勸其入貢。
《臺灣通史》
――自分は恵まれたものだ。
有馬氏は古来、肥前島原半島に土着した一族である。
晴信が父、義貞に家督を継ぐとき、有馬はもう転落していた。後に「五州二島の太守」と称される肥前の熊こと、
だが、天正十二年(1584)、ようやく逆転の機会を迎えた。晴信は九州三国志のもう一家、九州統一を目指す島津を通じ、龍造寺に反旗を翻した。そして沖田畷での戦いに、「軍法戦術に妙を得たり」と称される
だが、ただ三年後、島津は惣無事令の違反に問われ、上方の軍勢は九州に押し寄せた。島津征伐をきた
二十万の大軍を拒みようもなく、勝ち馬を乗るのは一番安全だと。そういう風見鶏のような見る目は、有馬などの国衆たちの哀れみでもあり、生き方でもある。
豊臣のもとに、本領安堵を得た晴信は大名として認めた。国替えをした秋月、そして一揆を起こして、滅ぼされた数多の肥後の国衆たちより、よっぽどいいと思った。
唐入りの時も、太閤(秀吉)の身に罷った時も、晴信は忠実に勢力の大きいものの命令の従い、それをやり通れば、家は安泰だと信じている。
関ヶ原の戦の折には、晴信もいち早く
こうやって、この日野江の城と四万石の所領の安堵を得た。晴信は自分の眼力を驚くほど自慢した。
これもデウスのお陰様じゃ。晴信は首に飾った十字架を撫でつつ思った。
城下の民たちも豊かに暮らしている。小さな日野江城には、規模に不相応な富が蓄えられている。これは、バテレン(宣教師 )たちと南蛮の貿易から齎された利益だ。
晴信は最初から
島原半島には雲仙火山がありますので、有馬の領内は大半農耕に向いてない火山岩土地である。
さらに、領内は度重なる戦、そして国衆たちの反乱が相次いだので、有馬領内には度々戦火が見舞いされる。畑仕事は無理なら、貿易で民草を潤そうと、父はそう考えた。そのために、商いをする相手を理解しなければならない。後に織田前右府様と対面したアレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父も、父に神学と南蛮事情を講解し、一変熱心な切支丹となった。晴信も父のため、民のため、
その結果は…晴信は身に着ける胴服を撫でている。金襴、銀襴、天竺(インド)の更紗、ヨーロッパの羅紗、
領民も晴信を慕っている。日野江の侍と百姓は、七割以上、切支丹となった。
まるで異国のようなこの地は、太閤の伴天連追放令を受けでも、領民が信仰を捨てる様子もない。皆神の愛を信じ、神を与える試練だと耐えて、こうやって再び信仰を続ける日を待ってた。
このまま忠節を尽くせば、千代八千代まで、有馬家はこの地を治め続けるだろう?そして、最後の審判にくるまで、武士と百姓にもかかわらず、信仰がある皆さんは一緒に天国へ行き、永遠の幸せに暮らせましょう。
だが、それは足りぬ。
戦国乱世に生き抜く晴信には、たかが島原半島ばかりでは満足しきれない。有馬家は家格をもっと上げ、所領をもっとデカくしたい。それは戦国大名の性根というものだ。
天下は流石に大きい過ぎるが、政を牛耳る一廉の大名になりたいものじゃ。と晴信は思った。
そのために、色な手を尽くせなければなりません。
「殿、お呼びなされましたか?」
ちょっとこの折、一人の男を広間に入ってきた。
武士らしい日焼け肌だが利発な顔を持つ、顎に短い髭を蓄える武士は晴信に聞いた。
「そうじゃ、谷川。最近、大坂から何かしら動きが起きる気配はないか?」
谷川角兵衛。有馬の家臣には、計数の才だけではなく、情報分析能力を持つ人として晴信に取り上げ、奉行職となる男だ。最近何をやる時、晴信はこの人を相談して決めることが多い。
「
「そうですか?ああ」
晴信はどこか惜しい声色で言葉を発した。
「まず戦での道は無理かぁ」
「どうしましたか?」
「いや、それはねぇー」
先心に湧いた思いを角兵衛と話した、彼はしばらし思案したと、言った。
「それは大名として当然な勤めですが、ただの商奉行の私がその儀へ口を挟めるべきことか……」
「いや、構わん。遠慮なく申せ。わしはそなたの才を見込だからじゃ。今、この有馬をもっと上げるやり手がおるのか?」
先祖、有馬肥前守貴純は現在本拠たる高来郡を中心にして、藤津・杵島・彼杵三郡を手に入れた、有馬最大版図を築き上げた男。たとえご先祖様を超えることが出来ないとしでも、せめてこれを並びとしての事をやり遂げたいだ。
「ですが、お家存続しか考えていない殿はこのような思いがあるとは…殿も変わり申したか?」
「お家存続のことは今心配する必要がないから、さらに上を行きたいだろう?」
合戦の世が終わる、今後は我らのように、政才と商魂があるものの時代じゃ。晴信は得意げに言った。
「それに、戦ではわしの力が弱いだが、政の駆け引きなら、わしは誰でも負けない自信がおる。」
「それは得意するべきものでござろうか…?」
コホッ!無駄なことを言わないと決め、角兵衛は軽く咳払いした。
「ならば申し上げます。当世は、御所様が公儀を取り仕切りようやく太平となり申した。たとえ大坂と駿府・江戸に隔意があったとて、天下静謐を壊す訳にはいきますまい。戦で手柄を立てというやり方はこれよりどんどん少なくなるでしょう」
だが、角兵衛は声を変わって言った。
「最近きな臭い噂がおりますが、殿はお聞きますか?」
「きな臭い噂?」
「手前は琉球から商いをする商人から聞いた話だが。島津様、琉球へ出兵したいと…」
「琉球へ出兵?」
それはどういうことじゃ?琉球王国は薩摩の島津には長年の誼があります。何でいきなり…?
「いきなりなことではございません。殿もおるではございませんか?名護屋にいる時に」
名護屋という単語を言い出したから、晴信は思い出しました。
そう。あれは、ただあの大戦に起こる最中に、些細な事でしたが……
天正十八年(1590)年、関白、太政大臣羽柴秀吉は小田原征伐と並行して、唐入りの下ごしらえをやっていた。その一つは、近隣諸国にも書状を出し、朝鮮、そして明国討ち入りに際して、加勢の要求をしたのである。
勿論今すぐではないもせよ、秀吉はこの入貢要求で、自分の武威はどこまで通るか試したのではと、晴信は当時を振り返り推測している。
近隣諸国の一つは琉球王国。
明国の冊封国たる琉球王国としては勿論嫌がるが、当時琉球と長く付き合う薩摩の島津龍伯入道は何とか誤魔化して、関白へ臣従する使節を出させた。
「その時、誤魔化した理由は、『琉球は島津を足利の公方様(足利将軍)より頂いた地、つまり付庸』でございます」
晴信はここまで、何が悟った。
「このことわしはまだ覚えているぞ。わしが屈服した島津殿はそこまで狼狽えるなど…」
(もし万が一あれば、亀井殿の国になりかねなかったはずじゃ)
記憶が蘇った晴信が笑った。
「つまり、この理由がよろしくない、という訳だろう?」
「はい」
関ヶ原の戦後、新しい天下人は豊臣から徳川へ移った。
幕府を開いた初代
「そこで、安堵された島津少将(
――琉球を利用して、日本と明国への関係を打開すればいかがにござろう?
琉球は薩摩の付庸、同時に明の冊封国、それをうまく使えば、琉球を中継として、日明貿易を復活させる。
「あの悪久、中々頭いいじゃないか!血気盛んな悪童と思ったのに」
「だが、琉球の返事は曖昧でした」
琉球の尚寧王は朝鮮へ出兵したことを未だ生々しく覚えている。貿易を求める要求については何か裏があるとか思って、躊躇うだろう。
だが、それは家久と家康の怒りを買った。関ヶ原の一件で、島津家の立場は危うくなってしまい、当主である少将家久としては、家康への信頼を得る事が第一義だった。このことは島津に商売利益をもたらす同時に時の権力者家康を媚びる、まさに一石二鳥の策。故に、琉球への返信が曖昧ということは、島津にはお家の危機。家久は先代義久と違い、いざという時があれば、一戦を辞さない態度を取る。
一方、家康もイライラと怒りは尋常じゃない。彼は異国へ興味があるが、秀吉同様琉球を島津の付庸と見なし、つまり陪臣である琉球は天下人の自分を無視することは言語道断。さらに、琉球との外交関係は捗らないと、明との貿易、国と幕府を豊かにする夢もまた遠くなる。
琉球はこうして幕府と薩摩の逆鱗を触れた。
「…ということで、こんないつか戦になる話と相成り申した」
「そのことは分かった。ですが、これは有馬をもっと大きくなるとは、何の関係があるか?」
「それは」
角兵衛は前に出て、広間の書院造の腰板に、あるものを取った。
地球儀である。
「徳川様の貿易の国作り、わが有馬もそれに噛みましょう。」
「いや…加えも何も、わしはもうやっているではないか?」
まんざらでもないが、晴信は必要がなさそうみたい顔で言った。
有馬晴信は朱印船貿易に熱心な大名の一人だ。
昔の戦国時代、各大名は器量次第で、自力で異国と交易が可能だ。
日明貿易は室町殿が独占したが、その勘合貿易の勘合符も有力大名の手に流れた。そのせいで、各大名、特に西国の大名達は貿易で利を得て、領地に分不相応な財力とともに武力を成長した。
例えば、長門、周防を中心に西国を掌握した大名大内氏、堺を手にした細川氏を勘合貿易で莫大な利を得て、京で覇を競う。美保関で貿易を行う尼子氏も、石見銀山の銀で、中国地方八か国の太守となった。更に尾張の織田弾正忠家も、津島・熱田の町を手にし、その財をもって守護代奉行の身から戦国大名へ至った。
しかし、日ノ本の大半を掌握した統一政権によって、大名たちの交易の利は制限を受けた。特に羽柴(豊臣)秀吉は天下統一の過程で海賊禁止令を出し、私掠を働く海賊を
豊臣と代わり天下を取った家康も海外交易に熱心し、積極的朱印船制度を取り込んでいる。そして発行した人も商人だけではなく、大名、武士、異国の明人、ポルトガル人などに発行した。
今年、慶長十三年正月、家康は昵懇な京都商人、角倉了以に朱印状を与え、西洋(マレー半島附近)へ渡海した。それを皮切りに、七月二十五日に田辺屋又左衛門にシャムへ、木屋三右衛門にカンボジアへの朱印状を発行しました。
日本はルソン、カンボジャ、安南、シャムから帰った朱印船から莫大な利益を得た。
勿論、祖父の代からずっと貿易を続いている晴信は、それを分からない筈がない。
日野江から派遣した朱印船の回数は、薩摩の島津、平戸の松浦とともに、九州大名には最も多い一人である。
「今は貿易の国作りを加えるなど、わしは何をやるべきか?」
「世界は広いでございますよ、殿。手前は今南蛮への取引をもっと広げて、新しい貿易国を見つけたら、幕府はきっと快くなると考えております」
「新しいと…角兵衛、わしらの船は南蛮でもいけるぞ。今津々浦々まで回した有馬の船は、まだ行ったことがない場所がおるのか?」
冒険者気性な晴信はこんなことを聞き捨てられません。もし未知な道があるなら行ってみたい、その相手を見て、話して、場合によって戦い、力があればそれを勝ち、ないならその膝元に屈服する。晴信はこういう苛烈な世に生きてきた。
ですが、角兵衛の言葉はその時に淀だ。
「それは……あの太閤殿下でさえ、征服していない土地でございます」
「ほぉ?これはますます面白くなったのう。どこじゃ?」
唆るぜ、これは。煽られる晴信は思わず立った。
「それは…」
角兵衛が地球儀に指したのは、琉球のさらに南にある島だ。
また何も書いていないこの島は、昔「高山国」と呼ばれたことがある。
ただ一度だけ、太閤秀吉に、目に付けられた国です。
「お主は、高山国へ行きたいと?」
江戸の北西、武蔵国多摩郡八王子。
武蔵野平原と隣国の屏障が少ない。特に甲斐国とは、小仏を越えるとすぐ侵入できる。故に、戦国時代、関東を治める北条氏が武田氏を備えるために、滝山城、そして八王子城を建てた。
北条が滅びた直後、徳川家康は関八州を秀吉から拝領いたした時から、甲斐からの国境を守る意味でも、交通の要を整備するためにも、旗本の屋敷をここに構え、八王子千人同心となった。
「それはいささか難しいのう…」
「何の難しいよ!それは貴公が大好きな銭話ではないか?」
関ヶ原の後、幕府を開いた家康は道路整備によって、八王子を甲州街道最大な宿場町へと発展した。
この八王子にある小門陣屋に、今ある会談を行っている。
一人は有馬晴信。
もう一人は、徳川家臣らしくない豪華な衣装を身に着け、丸い顔と太い眉と髭、精力旺盛な大柄を持つこの男は、徳川家中にも特異な人物。
新参から加判年寄衆まで這い上がった稀有の人。
徳川の大蔵省、令和の御代なら徳川の総務大臣と財務大臣を兼ねた如き出頭人、
「修理殿、お主は少しこの長安に、誤解があるのう」
いつもの笑顔で、長安を言った。
「わしは銭が好きではない、『利益』が好きじゃ」
「道徳など家柄云々、そういう形もないものは人に対して縛りしかない。士と民へ鎖をつけ、やがて発展を止まり、流れ水を死水となる。それは外来の脅威がくると、国はあっという間に滅びる」
「だが、利はそういうものじゃない。利は人を動かし、求めるもの。いかに利益を上げ、
「やはり武士の出ではないなぁ、貴公は」
長安の眉は僅かに跳ねた。
長安の先祖は猿楽金春流の猿楽師。長安の父、大蔵信安は甲斐に流れ、武田大膳大夫晴信(信玄)に召し抱えて、初めは猿楽師、後に家臣(武士)として取り立てた。
長安は武田家が滅亡した後徳川家康を見つけて、その財政手腕を買い。徳川譜代の大久保忠世の与力となり、後大久保苗字も賜った。
「飛ぶ鳥を落とす徳川の老職が、左様なことを言うのはいいのか?」
「構わん。何しろそれがしを一番分かっているお方は、今の上様(秀忠)と大御所様じゃ。」
「ならば、益々分からなくなる。どうしてわしに高山国へいく許しを難しいと思う?」
利益好きな貴公なら喜んで、大御所様へその許しを下されるでしょう?天下の総代官様よ!と晴信を質問した。
「あれも、利益のため。」
「お詳しくに。」
「町割り、宿場町の建設、人を増やし、川の氾濫を防ぐために治水を行う。それは新田開発と鉱山採掘と違い、金が出ない働きは、なぜわしが手を出すと思う?それは国を豊かにーーひいては民に富をもたらすためじゃから。ひと時は見えにくいじゃが、いつか数多の利を生み出す。それは建設というものじゃ。」
「だが、利を追求するのも危険が含めておる。これは武田の御屋形様と太閤殿下から学んだ経験じゃ。お主の旅も同じ、この未知への旅には、得る利と相応な価値を絞り出せるのか?」
「ある!これは有馬のため、幕府のため、そして日ノ本のためにも、その価値、必ずや見つけて見せまする!」
「たとえ、異国と一戦を交えるでも?」
顔の変化が分からない長安は、平気で問う。
「異国と一戦を交える?」
「そうじゃ。明と高山国が近い。高山国へいくことは、たとえお主はそういうつもりがないとしでも、明国への弓矢の沙汰と見做されかねぬ。唐入りより十年ばかりしか経ておらぬでの」
「それは……」
「もしそうしないような確信がなければ、わしも、徳川も、そうような危うい投げ銀をやれぬ!」
太閤殿下の轍を踏みにじる訳には参りませんぬ!と長安が言い切った。
「確かにこの話は上手いがの、危うさが利につりあうかこの石見守でも計りかねる。お引き取りお願いいたす。」
と言ったところ……
「それは…」
「申し訳ございませんが、ここは手前も一言を言わせていただけますでございましょうか?」
「?」
突然、晴信の背中に、正確に言うと、その背中の障子に声が出る。
「おい!控えよ!石見守様の前じゃぞ!」
「いえいえ、障子を開け」
障子の後に侍るのは谷川角兵衛。
「お初にお目にかかります、石見守様。私、有馬修理大夫家臣、谷川角兵衛でございます」
「堅苦しい挨拶はいらぬ。わしはそれを好かん」
「ならば、僭越ながら申し上げます。石見守様、手前はルソンにいく商人から聞きましたが、今の高山国には、日ノ本の人たちを住んでいるらしいと。さらに、南蛮人もいるという風聞もありまする」
角兵衛が小声で言う。
「つまり、明国は高山国を、王土王民とは思わん…?」
そうしないと、易々と異国のものたちを自分の地に
「流石石見守様、理解早いでございます。そして」
角兵衛は懐から折り紙一枚を取り出した。
「これをご覧くださいませ。これは有馬の朱印船から運んだ品々でございます」
日本はその時、絹織物、屛風、刃物、甲冑、槍、刀、鉄砲、金銀などを輸出し、白糸(絹糸)、香料、砂糖、羅紗、猩々緋、唐織などの織物などを輸入している。
「この中には、高山国には、非常に安い値段で砂糖と鹿皮を買った人がおります。砂糖は甘味には肝要、鹿は鎧兜、行縢を使える。作用に手前は推測しております、もしかして高山国には、銭の沙汰が分かる人が少ないかと……」
それを耳に入るとき、長安の眼が光った。
角兵衛はその機会を見逃せない。
「今度わが殿は戦ではなく、新しい商売相手を見つける腹でございます。そして、上首尾と相成れば、日ノ本は高山国を手に入れまする。高山国は明―琉球―ルソンー南蛮の商売道の要石。仮に高山国を日ノ本が抑えれば、琉球なぞを頼らず、高山国を中継として、明を始めとする諸国と貿易が出来まする。それによって、日ノ本は三国一、いえ、世界一の巨富となれます」
「高山国を制するものは海を制する!」
パ!と、長安の拍手は大音を鳴らした。
「相分かった」
長安を言った。
「よくぞ申した。なら、この儀、しっかと駿府におわす大御所様に言上奉りまする。許しを得た後、すぐに出発せよ」
「はい!」
礼をしながら、晴信と角兵衛は大声で応じた。
「いや、先誠に冷や冷やしておったわ、石見守殿に断った時」
「殿はやはり手前がなくではなりませんなぁ。その願いを叶わないと、私たちは何のために江戸まで上るでございますか?」
「それはそうじゃ!」
陣屋の玄関で帰る準備をしている二人は、大変嬉しかった。
「これから朱印船と水夫、護衛なども用意しなければならないなぁ」
「手前も、もちろんご相伴致しますよね?」
ちょっとその時…
「あの…先からお二人方は面白い話をしていますが、もしかして大久保様と相談するのもこの件ですか?」
「そうじゃそうじゃ、高山国へ探索し、貿易を行う…」
話を半分話すと、晴信は我に戻った。
「何者じゃ!」
ふっと見ると、鼻が高い、俊美な顔を持つ青年が陣屋の一角に立っている。質素な裃を着ることは彼も武士ということが明らかだが、その身に飄々として雰囲気がどうも武士とは似合わない。
「…傾奇者か?お前は?」
「いや~チャラとかよく人々に言われたが、傾奇者と呼ぶなど心外だなぁ、俺はちゃんとした家に奉公してだぜ!」
確かに喋り方も武家らしくない。と晴信と角兵衛も同時に思っている。
「お前は大久保石見守様の御家来衆か?」
と、角兵衛を問った。
「いえ、俺は石州様の家臣ではない、ですが彼は面白い方だ、奉公する家もゆかりがあってなぁ、ゆえに時々邪魔しに来た」
青年は満面の笑みで応えた。
「ならば、名を名乗れ」
「いや、俺は今名乗れるものか…?」
その前に、青年は思案しているそうで、手で顎を撫でながら言った。
「他人の名前を聞く前に、自分の名を名乗るこそ礼儀でしょうか?」
「この…!」
角兵衛は怒りを起こしそうだが、晴信は彼を止めた。
この人、何だか面白い…と、晴信は心に思った。
「わしは肥前日野江の城主、有馬修理大夫晴信じゃ。こっちはわが家臣、谷川角兵衛。」
「やっはり筑紫から来れた方か?」
青年が言う。
「俺は大久保治右衛門忠佐様家中、
「其方はあの膏薬様の…」
駿河沼津城主大久保忠佐は長篠の戦で敵と粘り強く戦う戦ぶりで、織田信長に「膏薬」つまり敵方に貼り付いて離れぬ意味とその武勇を賞賛された。
確かに長安の妻は大久保忠佐の弟、大久保権右衛門忠為の娘、つまりこの人の主君は長安義理の叔父。確かに縁があります。
「わしに声をかけて、何用じゃ?」
「へへ、それはなぁ、先有馬様と石州様との話、聞きおりました。だがら…俺を同行させて頂けますでしょうか!」
お願い致します!この山田長政という若い人、いきなり土下座して、叫んでいた。
「お、おい!」
「それは他人の門前だぞ!」
「何だ?!お主らは?騒がしいぞ!わしは代官の所務はまだ忙しいじゃ!」
飛び出した長安は怒鳴したが、長政の顔を見ると、怒った顔は一気に崩れてしまった。
「……はぁ、仁左か?」
ため息で言った。
「はい、面白い話を聞きましたから」
「八王子には茶屋などおるので、お願いしますが、有馬殿、もしこの者の話が聞きたいなら、こっちにはご遠慮ください。」
はい……弱い答えしたが、晴信の心にこの山田長政を気になって仕方ないとなってしまった。
あの大久保石見守でも、そこまでこの人に弱いのか……
「俺はさぁ、大久保治右衛門の駕籠かきですが、元々ウチはもっともっと~偉い方を仕えるだよ!」
茶屋に着いたと、長政はさっそく飲み始めた。
この人、本当に遠慮がないなぁと思うが、自分の懐から金を出した。
実は金持ちか…ならばなぜ六尺(駕籠かき)を…?
疑問だらけだ。
「偉い方?」
「故、織田前右府様と太閤殿下です。」
「何…だとッ!」
飲んだばかりの酒が吹き出した。
俺の父、山田平左衛門長尚。元は尾張の人間だった。
織田家臣の端くれですが、信長公の馬廻りとして、奉公しました。
名前の「長」の文字も、信長公から貰った一文字です。
「その時、父上はよく、前右府様から、異国のことを語られておりました。」
堺に会ったあの伴天連たちの国に行きたい、その美しい国を見てみたい。
それを語る信長公は、覇王ではなく、子供のような目であられた。父はそう言った。
だが、天正十年、本能寺の変。信長公が斃れた。
安土にいる父は変の後、変わって羽柴筑前守こと太閤殿下に仕え、天正十八年の小田原征伐の後、駿河の蔵入地代官として派遣された。
「俺はその時駿河に生まれました」
そして父は、太閤殿下と伴い、肥前名護屋の城に行きました。
「…唐入りか?」
「そうです。だから異国に行きたいと話を聞いた時、俺はきっと鎮西の大名と思いました」
「父上にとって、前右府様と太閤殿下が語られた異国へ行くのは、年来の願いでした。だが、その父上も、去年亡くなりました」
長政は言った。
「文禄、慶長の唐入りで、俺は異国へ征服するのは如何に難しいことをようわかった。俺は朝鮮、明に行きたいとお願いはせぬ。だが、今の世は、合戦は少なくなる。戦の世が終わる。もののふたちの、
正直、晴信は唐入りにはあまり良い経験と思わない。
小西摂津守とともに、知らない土地で、寒い天気を過ごし、明軍の砲火と耐え、いつかどこか出るか分からない朝鮮義軍を備えなければならない。海上でも敵の水軍が襲い掛かるかどうかを心配している。
そのような土地で七年過ごした。太閤殿下の身罷りまで。
結局、明ところが、朝鮮の土地さえ一寸も得られなかった。
有馬の兵力と財力を費やしただけだ。
あんな戦、二度は御免だ。
「俺は父上、そして前右府様と太閤殿下はずっと見てみたい異国へ行きたい、そしてもしかすると、俺は異国の前右府様と太閤殿下の如く、なってみたいと思います!」
「断る」
長政の言葉は晴信を切られた。
「其方のような若造は、立身出世と戦は何たるものと思う?わしらは、幾つかの修羅場を潜り抜け、政治の駆け引きを繰り返し、辛うじて万石くらいの領地を保った。日の本が戦がなくなったから異国へ行きたい?そんな甘い考えも持つものは、どこへ行っても、出世できなきぬわ!」
突然の怒鳴は流石この若者も驚くだろう?と晴信を思うが、自分の言うことは正しいと思う。
自分は所領を守るために、ここまで戦っているだ。だが、目の前のこの人は、戦を出世の道具と扱い、人の命を自分の踏み台と見做している。それは、万千の人を蔑ろにする獣の行いと思う。
「それでも構いません」
だが、長政は顔色変わらずに言った。
「今の時代には、俺の望みは正気ではないと自覚しているが、立身出世の欲望こそ、時代を進む原動力じゃないか?有馬様も、出世のために、未知なる異国へ行きたいではないか?」
「……ッ!」
返す言葉がない。
晴信はそれを意識しないように、自分もそれを無視しているだろう。民のため、国を豊かにするため。どんなに美辞麗句を飾っても、その源は己が国を大きくする思いではないか?
やり方は違うが、わしもこの山田仁左衛門長政とは同じ人じゃ。
「気が付きましたか。戦国時代に生きている人ならではの、
長政は、すべてを見通した目で言った。
「有馬様のような歴戦の大名たちは分からないかもしれませんが、我々は戦国最後の世代は、合戦がないと出世の道がなくなり、もはや第二の太閤が世に出て来まいのだ」
「
太閤殿下はその人々のため、海外に打って出た。だが今もうそうはさせられぬ。ならばどうする?
「一緒に、この国から出てもらうしかないだろう?」
「…然り」
これは戦国の世を終せる形の一つかもしれない。
「だが、やっぱりわしは其方が気に入らぬ!」
歯を食う気で晴信を言った。
「我々は戦がないと生きられぬものという言い方が腹立つ、ならば、わしは必ず高山国から国を帰って見せる!」
「俺は?」
「どこぞで野垂れ死ぬがよい!」
長政の口元は上げた。
「覚えておきます」
宜しくお願い致します。有馬の旦那。
だが、虫は光がある場所へ向かうとは同じ、俺たちのような人間は、心底戦国の世を愛してるということは、お前はすぐに分かります。
「別に、よいではないか?許す」
丸薬を宝石のように大事に扱いながら軽く言ったのは、恰幅がいいご老人です。
老人の前に薬研と幾つかの小鉢を置いた。養生を重視する老人には、この薬は弓矢より強い武器だと思っている。だから還暦を過ぎた老人は、白い髪も艶さを保って、肌も脂っぽく見えている。武士より豪商の映えを漂いでいる。
大御所、徳川家康。
これは恵比寿のようなこの老人の名だ。
「それは、誠でございますか?大御所様。」
平伏した長安は驚きが隠せなかった。
「高山国はかの太閤殿下でさえ応えを貰わなかった国。そこは果たして人がおるかどうかも分かりませぬ。どうして……」
「もし、徳川は自ら船を出せという話なら、余は許しませぬだろう……」
家康はタヌキのような体を揺れて、薬研を動きながら言う。
「だが、有馬如きなら、成果を出せばそれでもよい、なんも得られないなら別に徳川にかゆくも痛くもないだろう?」
「それに……」
薬研の動きが止まった。
「前年関ヶ原で、石田方の大名や家臣など、幾人か今まではまだ見つけておらぬ。戦後、それをきっかけに、世の中の牢人も増えてきた」
「それを機に、奴らを徐々に海外に送り出すもよい……」
なるほど。と長安を思った。
唐入りの経験を見て、大御所様もそれを「限度があるもの」で重現したいのか…
だが、それは正しい。大阪の豊臣も今もまだ健在、もし世にいる牢人や石田方の残党が豊臣恩顧の大名たちと手を結び、大阪城にいる秀頼公を奉って、徳川を挟む打ちすれば……
その前に防ぐしてなければなりません。
「かしこまりました」
ああ、何が思い出したように、家康を言う。
「
医薬好きな家康は生薬の素材になれる沈香、奇楠香の入手へ執着している。東南アジア諸国に書状を遣わし、買い求めたことは、広く知られている。
「大御所様は誠に薬好きでございますなぁ」
「命の伸びられるものならわしは何でも好きじゃ。生きれば俟てる。待ってれば楽しいものと出会える。次はどんなものを余を待っておるか?敵か?天下か?異国の人か?それども……」
家康は手の中の丸薬を前へ出した。
「うぬも一服でどうじゃ?余自ら調合したものじゃぞ。飲めば仕事も良くなるぞ」
「ありがたき幸せ。それならば頂戴致します」
もし黄金で作った薬ならもっといい。長安がそう思いながら丸薬を懐に納めた。
「では、失礼仕ります」
長安が出ると、廊下で呟いた。
「まさか同意したと…」
別に困難なことではないが、海に出ると、予想できぬことが起きかねない。
それを考えないと。
「何が同意したでございますか?」
「!」
ふっと顔を上げると、いつも不機嫌そうな顔している若者が長安を見つめている。
「考えることなら部屋にいけ。石見守殿。」
「あいにくわしは多忙の身故、いつも歩きながら考えるのじゃ。上野介殿。」
「ところが、先『まさか同意したと』と言ったでござろう?大御所様は何を同意したか?」
チッ、余計なことを知られたか。長安は心に舌を打った。
「わしのそばめを増えることを同意した。ただそれだけじゃ。」
適当に誤魔化した後、長安は振り返せずに去った。
「果たしてそうですかな…?」
翌年、慶長十四年(1609)二月。
「よっしゃー!」
有馬晴信は幕府の書状を受け、高山国へ渡航の許しを得た。
「待ってやるぞ!未知なる国を!」
晴信の眼が輝いている。
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