第零章 第一幕 セツボウ(二)

 走り続けて十数分後。校門を通り抜けた瞬間、先ほどまで後ろにあった数多の怪異の気配が一瞬で消えて、代わりに賑やかな生徒たちの声が耳に飛び込んでくる。一瞬で散っていった外の怪異の気配に疑問を抱く。

 学年が一個上がり、新しい生活が始まる四月。校舎もそんな季節を感じさせるように、明るく清々しい色合いをしている。そんな校舎に棲みつく無数の異形の怪異。学園の見学の時にも思ったけど、この場所は異様に怪異の数が多いように感じる。やっぱり私は、どこに行っても怪異がいる人生なんだろうか。

 校門の近くで学園の先生から資料を貰い、体育館へ歩きながらクラス割が書かれた紙に目を通す。


『私は……一年二組か。えっと、担任の先生は……』


 「一年二組」の文字の横には、「担任 参木矢守」と書いてある。名前からして多分男性だろう。


『えっと、まいき……?さんき……?』

よ。参木みき矢守やもり


 至近距離で声が聞こえ、バッと顔を上げる。

 上から私の紙を覗き込む不審者一名。目の前の不審者は、この高校の制服ではない真っ黒なセーラー服を着ている。黒曜石のように真っ黒な髪は、彼女の妖しさを増幅させた。

 血のように赤い目には光がなく、ずっと見ていると飲み込まれそうな恐怖を感じる一方で、それが彼女の端正な顔立ちをさらに引き立てているようだった。

 思わず見とれてしまうほど綺麗な顔をしている目の前の女子生徒。だけど、彼女から感じるのは人間の気配ではない。それは、私が此の世で最も恐れている怪異のもの。重力に逆らい、宙に浮いているのが何よりの証拠だ。


『しっ……つれいしました!』


 上ずいた声で言葉を言い終える前に、猛スピードでその場を離れる。彼女の横を通り抜けて、急いで体育館へと入った。意思疎通の出来る怪異なんて、今まで会った事がないからだろうか。女子高生の姿をしたあの怪異がいつもより恐ろしく感じる。

 走ったせいで早まってしまった呼吸を歩きながら整えていると、眼鏡をかけた若い男の先生に話しかけられた。


「おはようございます。始まるまでは自分の席に座って待っていてくださいね」

『分かりました。ありがとうございます』


 先生の指示に従い、クラス分けされている席に向かうも、席が多すぎて自分の座る席が分からない。座席表とにらめっこをしていると、トントンと肩を優しく叩かれる。後ろを振り向けば、そこにいたのは顔がそっくりな男女二人組。


「ごめんね。その前の席、俺の席なんだ。ちょーっとだけ避けてくれる?」


 目の前の男子高生が申し訳なさそうに言う。どうやら、私は知らず知らずのうちに、前列のすぐ後ろに立ってしまっていたらしい。


『こっ、こちらこそごめんなさい!』

「えっ、別にそんな過剰になることないよ!?!?」


 勢いよく頭を下げた私に、男子高生は頭を上げて!と焦った様子で言う。私が頭を上げると、男子高生の隣にいる女子高生は、私の持っている座席表を横から覗き込んだ。


「ねえ、貴方の名前は?」

『えっと、私は此内このうち叶向かなた。一年二組だよ』

「あら。じゃあ、私と一緒ね。私は安部あべ千歳ちとせ。こっちは……」

「俺は安部千紘ちひろ!一年四組で、千歳の双子のお兄ちゃん!」


 元気はつらつとした安部千紘君と、落ち着いた雰囲気の安部千歳さん。安部千紘君が自分で「双子の兄」だと言わなければ、きっと安部千歳さんが姉だと思っただろうな。

 和やかな時間の中、視界の端で黒い布のようなものが不規則に揺れているのが見えた。その瞬間、背筋がひやりと冷たくなる。視線を僅かに逸らし、そっと確認してみると、さっきの怪異がまるで浮かぶように一人分ほどの高さから私たちを見下ろしていた。先ほど感じた底知れぬ不気味さが再び胸の奥でざわめき、不意に恐怖がこみ上げてきて、私は反射的に目を逸らす。


「……。ねえ叶向ちゃん!君の席は、右から四列目の前から二番目じゃない?」

『え……あ、そうかも』

 

 傍から見れば挙動不審だったであろう私の行動に何も言わず、安部千紘君は私の席を見付けてくれた。「見つかってよかったね~!」と彼はニコニコと満足気に笑う。

 二人と別れて席に着く。改めて体育館の中を見渡すと、此の世ならざる存在達があちらこちらに漂ってい、怪異同士で不可解な行動を繰り返している。いつもみたいに寄り付かれないのが不思議ではあるけど、それは私にとって嬉しいことだ。だから、そこまで気にすることじゃない。

 ずっと気になっているのは、やっぱりさっき出会ってしまった怪異。未だに視線を感じる。でも、他の怪異と同じで、何もしてこないのなら別にいい。

 ガコンッという鈍い音とともに、マイクのスイッチの入る音が体育館中に響き渡る。春の暖かな気温と名状しがたい恐怖を胸に抱えながら、私の高校生活初日が幕を開けた。

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