第2話【自宅のリビング・ホットパンツ・食べる】
「いえ、そういう訳ではなくてですね――」
土曜日の昼下がりだというのに、目の前にいるこのメガネの男は僕にその商品の良さを熱心に語っていた。前髪を糊か何かで額に貼り付けでもしているような、完璧な分け目で整えられた七三分けが僕の興味を惹いた。それが間違いだったのだ。
はじまりはちょっとした好奇心だった。インターホンが鳴った時、僕は自宅のゲーム機で高校の友だちに借りたゲームを進めていた。
両親は買い物中で不在だった。家の中には僕一人。玄関の靴箱上で飼っている金魚を頭数に入れて良いのなら、合計4人。大事な来客ならまずいと思い、僕は駆け足気味でそのインターホンを鳴らした張本人の正体を確認しにいった。不用心なことに、受話器に向かうでもなく、直接扉を開けてしまったのだ。
「こんにちは、お坊ちゃん。失礼ですがご両親はご在宅でしょうか」
抑揚のない淡々とした口調でその男は僕にそう言った。まるでスーツを着るため“だけ”に生まれたような、絵に書いたようなビジネスマンだった。ステレオタイプ“過ぎて”令和の今、どこを探しても逆に見つけられないようなコテコテの装い。
僕は両親が不在の旨を伝えた。そしてちょっとした好奇心もあって来訪の要件を訊いた。
「どのようなご用件ですかね。訪問販売とかですか?」
「いえ、そういう訳ではなくてですね――」
こうした受け答えのあいだも彼は一切の表情筋を動かそうとすらせず、ただメガネの中心を右手の中指でスマートに触って位置を調節する。
「困りましたね。本日のお約束でしたのに、不在とは」
僕は何も言わず彼の出方を伺った。まあいいでしょう、とスーツの男が表情を崩さずに軽く鼻で息を吐き出しながらそう言うと、左手に持ったオフィスバッグから何かを取り出した。それから何も言わずに、僕にそれを差し出した。
「……何ですかこれ」
僕は手渡されたものを
「ホットパンツです。ご存じない?」
「いえ、見れば分かりますよそんなこと。そうじゃなくて、何で僕にこんなものを?」
僕はデニムの真新しいホットパンツを両手で広げながら、至極まっとうな反応を示す。しかし、次に彼の口から出てきた言葉は、至極まっとうではなかった。
「あなたのご両親が半年前に当社へ発注した品ですよ。完全受注生産限定のホットパンツです」
「はあ」と僕はため息まじりに言った。かまわず男は続けた。
「そのホットパンツは革新的です。あらゆるホットパンツを過去のものにした、と言っても過言ではない。正確には
「はあ」
「ホットパンツのパラダイム・シフトを体験したことは?」
「ある訳ないじゃないですか。なんですかホットパンツのパラダイム・シフトって」
「それなら、おめでとうございます。すぐにその衝撃を味わえることでしょう」
僕はどうリアクションしていいか分からなかった。こいつは何を言っているんだ。
「あなたは幸運だ」
単純にいらっとした。彼のこの人を食ったような言動はわざとなのか、それとも彼の個性なのか――いずれにせよ、これは何かの
「それは凄いですねえ。僕はラッキーだ」
「早速、ご理解頂けたようで何よりです」
「そう、僕は幸せ者ですよ。それはもう最高に。でも、これは一旦お返しします」
「何故です?」
「こう言ってはなんですけど、うちはこの地域で右に出る家族がいないと確信できるほど家族仲が良いんです。僕は両親を心から尊敬していますし、家族全員同じ気持ちなんです。そんな僕が、両親が“こんな素敵なもの”を購入していたことを知らなかった、というのは何か引っかかるんです――ということは、もしかしたら何かの理由があって“あえて知らされていなかった”のかもしれないからです。例えば、僕へのサプライズ・プレゼントだったとか、子供に知られてはいけない用途で購入したとか――ほら、分かるでしょう?」
「いえ、分かりかねます」
なるはやで分かれよ。というかこんな自分でも訳の分からない嘘をこれ以上続けさせるなよ。
心のなかで僕が彼を非難していると、
「分かりかねますが、承知はいたしました。であればまた日を改めて引き渡しに
話の分かる奴でなによりだった。良い人だ、とさえ思った。
やがて完璧な七三分けの男は「それでは私はこれで」と、
数分後、両親が買い物から帰ってきた。僕はというとその時、自宅のリビングで何気なくテレビで福岡放送の番組をなんとなく眺めていた。それによると最近ここ福岡で、家畜の牛に感染する流行り病が増えてきているらしい。
――突然、臨時ニュースが流れ始めた。何やら最近起こった事件の容疑者が、逃亡先の東京のホテルで緊急逮捕されたらしい。なんでも、たまたま出張に出ていた警官が彼と同じホテルに宿泊していたらしく、その男がチェックアウトする様子が何気なく目に入り、その時に持っていた物と、男の容貌に確信を得てその場で取り押さえたようだ。
「ああ、この男か」
僕がニュースを見ていると、リビングにやってきた父が買い物袋を置きながらそう言った。続いて、母も顔を覗かせる。
「あら、これこの間の――」
「あぁ。ようやく逮捕されたようだよ」
「これで一安心ね。あなたの会社の人だったんでしょう?」
「違う違う、取引先の研究所の総括主任だよ。長い間あそこにはお世話にはなったな。なんでも研究上、どうしてもうちの製造する
「工業用ミシンなんて、そんなにたくさん使うことあるのかしら」
「さあね、知らんよ。それにしても普通の学者先生だと思っていたんだがねえ――まさか外患誘致罪で捕まる人間なんて、お目にかかれるとは思わなかったよ」
「まだ若そうなのに、何を考えてたのかしらね」
「それも知らんが――ここだけの話、うちの機材を研究所に搬入していた人間から聞いた噂なんだがね。なんでもあの研究所で未知の元素が発見されて、その振る舞いについての実験を行っていたんだとさ」
「なんだか胡散臭い話ね」
「聞いて驚くなかれ。その元素にかかれば、なんと空間の一部を歪ませることすら――つまり、瞬間移動みたいな事が出来るかもしれないって話だよ」
「まあやだ」
そう言って父と母はくすくすと笑いあった。その時、僕が考えていたのは全く別のことだった。
どうして、この家だったのだろう。どうして、僕に“それ”を託そうとしたのだろう。どうして、本当の事を言わなかったのだろう。どうして? あるいは本当に? いくつもの疑問が湧き出ては、また新たな疑問にかき消されていった。
両親はまた違う冗談を言い合って笑っていた。僕は笑わなかった。何故ならテレビに映る、遠く離れた東京で逮捕された容疑者の顔は、紛れもなくついさっきまで玄関にいたはずのメガネをかけた七三分けのスーツ男だったからだ。
習作、三題噺。 @kusyami0
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