習作、三題噺。

@kusyami0

第1話【真っ赤な鳥居の下・麦茶・聴く】

 わたしが故郷の田舎を出て、遠く離れた大都会にやってきてかれこれ3年が経つ。月日が流れ、いくつかの出会いと別れを経験し、生きていくために必要な心構えの大切さを身にしみて理解し、自分という存在のちっぽけさをよく理解するには充分な期間だった。

 あの時わたしは偶然、とある旅客機に乗ってこちらにやってきたのだが、そのめぐり合わせに今では感謝さえしている。

 同郷の仲間に別れを告げる暇も無く、全てが目まぐるしい速度で展開した。機内で考えていたことは今はもう覚えていない。惜別の悲しみか、あるいは新しい生活への期待と不安か――概ね順調に生活を維持している今から考えると、何とも取り越し苦労なものだと思えた。故郷で見たり、、触ったりするもの全てが、この瞬間に過去のものになった喪失感は、今も時折感じたりはする。

 そうして、およそ800km以上も空を旅した挙げ句に降り立った空港は、新鮮な空気と匂いで溢れんばかりだったことを今でも覚えている。

 ここでは全てが異なっているのだと、当時の私は意味もなく確信していた。あるいはここでは私の地元とは違う種類の太陽が登り、見たこともない人種が街をうろついているのだとも――ようするに私は“オノボリさん”だった。今思うと恥ずかしくて悶絶してしまう話ではあるが、多分これは誰にでも起こり得るんじゃないか、とも思っている。

 とにかく、新しい扉を開いた私ははっきり言って調子に乗っていた。今の職場で大勢の仲間に囲まれて仕事をしていると、あの時の私を知っているものに良くからかいの的にされる。肩で風を切って歩く一人の無知な若者。それが私だった。それも今ではいい思い出だと、笑い飛ばせるのは気分がいい。仲間と一緒に笑って過ごす日々は、ここでしか手に入れられない宝物だ。

 ……突然、職場の入り口から液体の奔流が襲いかかってきた。為す術もなく濁流に飲まれる私たち。何が起こったのか。どうすればいいのか。分からなかった。突然の出来事に私たちは叫び、恐怖した。入り口の外にいた仲間の一人が叫んだ。

「麦茶だ! 人間がをこぼしたぞ!」

 この大洪水の原因が分かった。そして、恐らくここにいる殆どの者が助からない事も。どうしようもなかった。この神社は人気ひとけが少なく、故に私たちの働く、にあるこの巣がいたずらされる心配は殆どなかった。我々、働きアリにとって夢のような環境だった――はずだった。

 その思惑は大きく外れた。巣穴に人間が麦茶を流し込んだのだ。それも、とてつもない量を流し込むという、悪意あるいたずら。

 私は体じゅうのあちこちを周りの土にぶつけながら、やがて薄れゆく意識の中で、優しい麦の香りに包まれながら自分の半生を回顧した。

 私は旅客機に乗りたいわけじゃなかった。私は偶然、乗客の鞄の中に紛れ込んでしまっただけだったのだ。こんなことなら、都会になんて来るんじゃなかった。いや、これが運命だったのだ。少なくとも私は一匹で死ぬわけではない。

 私が最後に聴いたのは空港から旅客機が離陸する時の、そのけたたましい駆動音だった。

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