3)



――なあ、天架、相談に乗ろうか? 


 作戦を変える。このペースでは、一方的にやり込められるだけだ。

 まるで違う方向から彼女を攻めてみる。


――随分と困っているようだな。手早く現金を手にしたい。君は焦っているんだ。こんな恥ずかしい手段に訴えるくらいだもんな。


 驚いたね。君は恥知らずだよ。よくもまあ、自分の下着をこんなことに利用出来たな? 


――勝つためには手段を択ばないだけだよ。


 こんな反論が返ってくるが、今度はこちらの攻撃ターンだ。


――わかった、中絶費用か? 


 僕はそう言ってやる。


――はあ? 


――君の胎内で新しい命が芽生え、それが日々、成長している。その恐怖に慄いているわけか。


 反吐が出る。まだまだ学生の分際で。勉強や部活以外のことで悩みを抱えやがって。

 しかしこれは思春期らしい迂闊さとも言えるのだ。避妊に対する意識の低さが招いた悲劇。

 まさにガキがガキゆえにしでかす失敗! 


――勝手にそう思っていれば? 私がそのお金をどの目的に使おうが、あなたには一切関係ないことですから。


――もちろんそうだよ。関係ない。しかしそのまま放置し続ければ、その命は君の子宮を食い破るくらい成長する。やがて君の人生を台無しにするだろう。早いうちに処置が必要だよな。


 だから天架、君は一刻も早くお金が必要なんだろ? 妊娠という恐るべき現実に焦ってる。ビビっている。




 しかし本当に中絶費用なのか? 

 ということは、この脅迫のバックには男がいる可能性も生じるぞ。

 僕はその疑惑の前に、立ち止まってしまう。


 妊娠しちゃったみたいなんだけど? 


 はあ? マジかよ、ヤバすぎっしょ、それ。


 もちろん堕ろすよ。でもさ、お金がいるじゃん。


 俺、ねえし。


 うん、それも心配ないよ。私の身内に間抜けな男がいて。そいつは浮気を繰り返している男でね。うちの家族に婿養子に来た癖に。


 そいつ、ヤバくない? 人間のクズっしょ。


 離婚となれば、全てを失う。少し強い言葉で脅迫すれば、それなりのお金を支払ってくるはずよ。


 よし、そいつを脅そうぜ。


 天架に向かって、同年代の若い男がそう答えたのだ。天架を抱き、快楽を貪り、孕ませた男。

 金髪か、もしかしたら青色の髪の、最近流行の刈り上げキノコスタイルの髪形の男が。




 このとき僕に初めて、怒りらしき感情が到来する。

 そんな男に脅迫されて溜まるか! 天架を抱くなんて、生意気なことをしやがって。

 本当にムカつく若造だ! 

 一円足りとて、払うものか。


 いや、まだこれは妄想に過ぎないのだけど。


――本当に中絶費用なのか? 


――さあ、どうでしょうね。


 そんなわけないでしょ、なんて言葉で彼女は僕を安心させてくれない。

 それどころか、こちらの不安に気づかれたかもしれない。天架のバックに男がいるかもしれないという不安。そんな男に脅迫料をせしめられるという苛々。

 天架は僕のその苛々に勘づいて、勝ち誇ったような気分を味わっているに違いない。


 優位に立たれた。

 またしても、である。

 その命が成長しているのは、彼女の胎内ではなくて、僕の脳の中だ。

 彼女は本当に妊娠したのか? 


 違う、違う。僕の脳の中に現れた幻影は赤子なんかではない。

 今風の若者のほうだ。

 天架の恋人かもしれないその男だ。その男の存在が脳の中に生じて、僕を苛つかせている。


 その男、いるのか、いないのか、

 その金髪キノコヘアーの男がいて、そのお金は中絶費用に充てられるとすれば、本当にこの脅迫に屈服したときは屈辱的で、僕はこれまでの人生で最大の屈辱を味わうことになるかもしれない。




 いない、はずなのだ。その気配はなかった。

 何せ我々は一緒に住んでいる。男の気配は濃厚に漂ってはいないはず。


 ましてや妊娠しているなんて! 


 しかし彼女の私生活のことなんて何も知らないことも事実で。


――いないのならば、いないといっておいたほうがいいと思うけどな。


――何が? 


――男だよ。


――さあ。


――男がいるのなら、尚更、払いたくないね。


――いないよ、だから払って。


 わかった、と答えそうになるくらいの安堵感を覚えてしまうが、その軽すぎる返事を鵜呑みにするわけにもいかないだろう。証拠も何もない。


――本当にいないんだな? 


――いない、いない。実は今ね。近くにいるんだけど。


――はあ? やっぱりいるのか。


 しかも近くにだって? その男が僕の近くにだって。


――もしかして勘違いしてる? お兄ちゃんの近くにいるのは私ね。


――え? 


――この電車にいるってこと。

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