4)



 天架はクールである。呼吸をしているのかどうか、不安になるほどクールな奴だ。

 顔の造作が驚くほどに繊細な感じで、小さな鼻の穴や、ツルツルした肌や、妙に艶やかな唇に視線が吸い寄せられてしまう。

 目は小さいわけではないが大きくもなく、切れ長というほど切れ長ではないが、どちらかと言えばそっちの分類に入るだろうか。

 少し斜視っぽいが、それが妙にミステリアスでもある。

 薄く化粧をしている。上手いのか下手なのかわからない化粧。

 それのせいで更に天架の顔はドールめいて、可憐さと不気味さの間を往復しているのだけど、かわいらしい女子であることは確実で、結局のところ僕はこの妹と一緒にいることが嬉しくて、何もかもが笑えてくるのだ。たとえ脅迫されていようと。


  「しかし最も怖いのは人間関係だ。金魚鉢の中の金魚のようなものさ。逃げ場がない。嫌な奴らと四六時中顔を合わせていなくてはいけない。そこで交わされる言語は日本語ではなくて、暴力なんだぜ」


 僕は更に少年院なる場所の恐ろしさを滔々と語る。地獄について説教する、牧師か僧のように。

 そうやって天架をからかっているのだ。

 しかし天架は生欠伸をしている。お前の話しは退屈だと、容赦なく表明してくる。まあ、僕だって自分の話しに欠伸したくなってくるのだけど。




 「あっ! そうだった、写真を撮るの忘れてた。もう一個、さっきの頼んでよ。写真撮らないと」


 天架が何の脈絡もなく、唐突にそんなことを言い出した。


 「写真だって?」


 「そう。チョコレートパフェの写真。だからもう一つ追加で」


 「はあ?」


 天架が心なしか恥ずかし気に笑う。その一瞬、天架の中の幼さがヌッと顔をもたげてきた。

 それはたかが写真を取り忘れただけで、もう一つ同じものを注文しようとする自分の厚かましさを笑っているのか、それとも、そんな無礼なことをしても許される自分の立場の優位性、それがおかしくて笑っているのか、あるいは別に笑っていないのか。


 「すいません、ウェイトレスさん! チョコレートパフェ、もう一つ追加で」


 僕は黙って彼女の行動を見る。

 この行動は何を意味するのだろうか。何を狙っているというのか考えながら。




 注文されたもう一つのチョコレートパフェは、速やかにやって来る。

 天架は「いただきます」と手を合わせてから、スプーンを持って、そのつるりとした艶やかなアイスクリームに突き刺そうとするが、「おっとおっと」などとわざとらしい小芝居を見せてから、スプーンを置いてスマホに持ち替えた。

 天架は二枚三枚と写真を撮る。そしてその美味しそうなパフェを放っておいて、スマホを熱心にいじり始めた。


 「ああ、なるほど、何かのSNSを更新しているわけか」


 僕は言う。「君はネットに上げる写真を撮り忘れただけで、もう一つ注文をした、と」。


 余裕を見せているつもりなのだろうか。この脅迫も片手間でしかなく、いつものルーティーンをこなすのも忘れない、天架はそういう態度を見せているつもりなのだろうか。




 僕は天架と一緒に住んでいるから、日頃から彼女が熱心にスマホをいじっているのは知っていた。

 夕食のときだってスマホを触っている。

 それをいじくって、テーブルに置き、しばらくするとスマホが振動で揺れ始める。 天架は満ち足りた表情でそれを見つめている。そういう光景を何度か見ている。

 食事中にこんなことをするなんて無礼である。マナー違反だ。

 彼女の両親、僕にとっての義父母であるが、彼らに天架が叱られている場面だって何度も目撃している。

 とはいえ彼女は末っ子、皆に甘やかされてもいて、その悪癖を一向に矯正されてもいない。


 「けっこうフォロワーがいるわけか」


 「うん? これ? まあね」


 天架は「ハッシュタグ、パフェ、美味しそう。嘘、もう食べた。美味しかった、実はすでに二つ目」と口に出して、文字を打ち込み始めた。


 そんなのをやっているのか。

 こいつが何をしていようとまるで興味ないという態度を僕は見せるが、実のところ心は好奇心で騒めき、それを覗きたいという欲望に襲われている。

 俺もフォローしてやるよ。なんて冗談めかして言える関係でもなく、彼女だってきっと、フォローしてほしいなんて思っているはずがない。


 だったら方法は一つだ。彼女のIDを見つけ出そう。

 そんなことは簡単だ。彼女はちょっとしたミスをしたと思う、彼女がさっき口に出したハッシュタグの文章を検索すれば、それでヒットするはずなのだ。

 フォローするわけにはいかないが、密かに覗いて、彼女の振る舞いをこっそり監視することはきっと容易。


 「ねえ、お兄ちゃん」


 天架はスマホを触りながら、一切こっちには視線を向けずに、何やら気だるげな態度すら漂わせ、僕に言ってきた。


 「何だよ」


 「やっぱり気が変わった。五万って言ってたけど、十万に変更ね。お姉ちゃんに内緒にしてほしければ十万」


 僕はもう、いちいちリアクションをしない。




 天架はいわゆる、世間でいうところの反抗期とやらを迎えているのかもしれない。

 もしかして父や母に向けるべき反抗を、この僕に向けているのではないか? 

 だとすれば、とんだ迷惑である。僕はこの子に何の責任もない。確かに親類ではあるが、血などつながっていないし。

 天架が教育する義務なんてないはずだ。きっと、その権利だってないだろうが。

 つまり無関係な相手なのである。それなのに思春期の不安定な衝動を、バシバシと向けてきやがる。

 やめてくれ、そんなこと。甘えるのは肉親だけにしてくれよ! 


 「請求額は十万。十万円を払わないと、お兄ちゃんの人生を破滅させてやるから」


 最初に大人しく三万を払っていれば、こんなことにならなかったのにね。天架は脅迫する者が口にする常套句を言う。

 「残念だったね」と憎々し気な口調で付け足してくる。




 「馬鹿だね、君は」


 十万なんて非現実的な金額を請求しやがって。

 これでこの脅迫はファンタジーになった。リアリズムを失ったのだ。払うわけがないではないか。

 というか、払えるわけがない。

 浮気相手とのホテル代も馬鹿にならない。僕には自由に使えるお金は少ない。それが結婚するということである。

 天架こそ、三万円でストップしておけば良かったのである。可愛げがあった。

 だからこそ、しばらくの間その脅迫ごっこに付き合ってやったのである。しかしもうこれは遊戯でもなんでもなくなった。

 呆れ果てるね。


 「もうこの茶番劇は終わりだ」


 僕は滅多に使わない「茶番劇」なんて言葉を使う。


 「茶番劇か何か知らないけど、お兄ちゃんに終わらせる権利はないよ」


 天架は冷静に言い返してくる。「十万円、支払うまで終わらないよ」 




 僕はにらみつけるが、彼女は視線をそらさない。

 なかなか度胸のある女の子だ。それとも心底、僕のことを舐めているのかもしれない。

 これはいよいよ本気を出さざるを得ないようだ。


 天架のことは嫌いではない。憎んでなんかいない。しかし彼女がどれだけ愚かなことをしているか教え諭して、「ぎゃふん」と言わせなければいけないようだ。

 ぎゃふん? いったい語源は何だ? 茶番劇の語源も知らないが。

  そんなことはどうだっていい。とにかくガツンとかまして、「ぎゃふん」と言わせて、颯爽と席を立つ。


 「じゃあ、私は帰るから」


 しかし先に席を立ったのは天架のほうであった。「明日までに十万を用意しておいたね」


 「おい、待てよ!」と、僕に言わせる余地も与えず、天架は何の迷いも見せずに去っていった。


 しまった、先を越されてしまった。

 僕はまたもや駆け引きで大きなミスをしてしまったに違いない。

 ここまでまるで主導権を握れてはいない。

 彼女を言い負かせるのは難しかったとしても、こっちが彼女の話しの腰を折って、「君の話しなんて聞くもんか」という態度で無慈悲に立ち去るべきであったのに。

 それなのに何もかも逆。

 彼女と一緒に居る時間を楽しんでしまったせいだ。僕は一人残された哀しい男の顔で、名残り惜し気に彼女の後ろ姿を見送ってしまっている。


 SNSの投稿の写真に撮られるためだけに注文された、手つかずのパフェが虚しい。

 その横にはヨレヨレの伝票。

 僕は天架のように、それをスマホで撮影することにする。今日という不思議な日の記念だ。

 まだまだこれくらいの冷静さというか、情けない自分を笑うくらいの落ち着きが、僕にはあるのだ。


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