第25話 求めて

 必要最低限のものだけを詰め込んだかばんを持ち、電車や新幹線を乗り継いで高速バスの車内にいる透華。時刻は既に五時半。線路上で何やら事故があったらしく、想定よりも遥かに時間がかかった。もっとも二日以上ほとんど絶眠状態だった透華は車内で寝てしまったために、感覚としては一瞬だったが。


 そろそろ目的地に着く。窓の外の景色がフッと黒に変わる。どうやらバスがトンネル内に入ったらしい。


 ──笹宮トンネル。


 十年ほど前に崩落事故で全国的なニュースになっていたのを、透華も報道で目にしたことがあった。


(あれ、なんか引っかかる……)


 笹宮トンネルという名前を聞いて、名状しがたい謎の引っ掛かりが透華の心に生じた。


 そんな透華の心情も知らずに、バスはずいずいと暗いトンネルを進む。


 数キロのトンネルを抜けて着いた光の下には、広い砂浜と水平線に沈む太陽があった。


「着いた……」


 海沿いのバス停で下車し、長時間の移動に凝り固まった体を伸びでほぐす。


 残念ながらストーカーから与えられた情報では町名までしかわからなかったので、ここからは足で探していくほかないのだ。


「あの、すみません。観光客で、二十代前半くらいの女性を見かけませんでしたか?」


「さぁ……? 観光のお客さんもたくさんいるからねぇ」


 行きすがりの妙齢女性に話しかけてみるも、手ごたえはない。


「色白で、ちょっと髪色が淡くて、華奢な女性なんですけど……」


 こんなことなら一枚でも写真を撮っておけばよかったと後悔する。特段写真を撮る機会もなかったので、結衣の写真を持っていなかったのだ。


「ごめんなさい、わからないわ」


 眉根を寄せて申し訳なさそうに女性は去って行ってしまった。


 路地を吹き抜ける風が、ひとりぼっちの透華の首筋をかすめた。


 手当たり次第に一人、また一人。有力な手掛かりは得られないまま何時間も声をかけ続ける。


「んー、もしかしたら浜の方にいるんじゃないですかね? 夜景を楽しみに行かれる方もいらっしゃいますから」


「浜……ありがとうございますっ!」


 夜景という言葉を聞いて空を見上げれば、とうに日は暮れ、満月がのぼっている。


 三十代くらいの男性が教えてくれたその情報に望みをかけて、海の方へ向かってみることにした。


(なんでこんなに焦ってんだろ……)


 もとよりストーキングの被害に遭っている人を見捨てるなどという非道な行いができた気はしないので、結衣と同居することは受け入れたことに違和感を覚えることはなかった。しかし、誰かを求めて学校をさぼって遥か遠方の地へ移動して夜中まで町中を駆けずり回るようなことを、かつての自分はしたのだろうか。


 結衣に出会う前の自分なら警察に届け出て自分は家で待っていたかもしれない。しかし今自分は、警察には相談したくないという結衣の意図を組み、自分自身で捜している。


「……大事になってたんだなぁ……」


 自分の話なのに、どこか他人事のような言葉が口から漏れた。それはきっと、透華自身でもしっかりとは理解できていない感情だったからなのだろう。


「恥ずかしいな、これ…………」


 言葉にしたことで明確に意識してしまい、誰に見られているわけでもないのにかあっと顔が赤くなった。


 とぼとぼとした足取りも坂道を駆け下りるようにだんだんと速くなり、しまいには駆けるように海辺へ向かった。


 駆けずりまわって乳酸の溜まった足を気持ちだけで動かす。足が壊れてもいい、ただ会いたい。名状しがたい何かに操られるように、本当にそう思っていた。


「はっ、はぁっ、はっ、はっ…………先生っ!」


 息切れした状態で辿り着いた海岸。そこには白衣のような白いコートを纏い、覚悟を決めた様子で波打ち際に佇む結衣がいた。


 浜辺の妖精のような儚い空気を纏う結衣は、今にも波でかき消されてしまいそうだ。


 裸足の結衣は透華の声に振り返ることもなく、一歩二歩と波へと足を沈めていく。


「紅葉さんっ⁉」


 依然として反応を示さず、ざぶざぶと膝まで沈めてしまった。


 ──どこまで行く気なのか。海の中、そして三途の川までか。


「紅葉さんっ…………」


 まだ早い、早まってはいけない。そう叫びたくて、そう伝えたくて。


「……結衣っ‼」


 気づけば靴が濡れることも厭わずに海へ入り、結衣の手首を後ろから掴んでいた。


「ひゃっ!」


 気の抜けるような声。たかだか数十時間前には聞いていた声。懐かしくもなんともない声のはずだが、今はこの声が聞けたことが無性に嬉しかった。


「……結城さん……」



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