一章

第1話 人助けと待ち合わせ

「……はあ」


 本日晴れて高校入学を迎えた結城透華ゆいしろとうかは、入学式の帰り道でそっとため息を零した。中学の頃は僅かに憧れのあった男子高校生という肩書も、手に入れてしまうと特に何も感じない。


 長い式辞、動かせない身体。儀式的行事は心も体も疲弊する。


 そんな疲れた透華に鞭打つように、スマホが鳴る。

 画面には透華の父、拓水たくみの名前が表示されていた。


 正直にいえば出たくない。別に拓水のことが嫌いなわけではないが、拓水からの電話は大抵面倒事なので可能な限り避けたいものであった。


 五秒程応答ボタンを押さずに待ってみる。しかし僅かな抵抗の甲斐なく、呼び出し音は鳴り続けた。


「もしもし、父さん?」


『透華、急なんだけど今メールで送った地図の公園で結衣ゆいさんという女性が待ってるから向かってもらえるかな』


 拓水は事務連絡のように、端的に淡々と透華に伝えた。


「え? 良いけど、なんで?」


『今時間がなくてね。あとで説明するから会えたら掛けなおしてくれるかい?』


 返事をする間もなく通話終了の電子音が響く。


 案の定面倒事であった。行くこと自体は構わないが、理由も説明されないとなると如何せん釈然としない。


 しかし既にメールで地図が送信されている。女性も待っているらしいので行かざるを得ないのだろう。


「行くか……ん?」


 重い腰を上げて指定された場所へ向かおうとして、透華は足を止めた。視界の隅に明らかに体調の悪そうな女性を見つけたからだ。


 その女性は道端でうずくまっているのだが、通行人は見て見ぬふりをするばかりで声を掛けようともしない。


 流石に見過ごせなかった透華はその女性に駆け寄り、声を掛けた。


「大丈夫ですか……?」


 返答はなかった。しかしその女性は口元を押さえて青白い顔をしており、かなり辛そうだということだけはわかる。整った顔立ちだが、それを打ち消してしまうほど顔面蒼白だ。


「お水、飲みますか?」


 続けて問いかけると、今度は小さな首肯が返ってきた。


 ペットボトルを渡すと、女性は両手で握り込むようにこくこくと水を飲んだ。


 しばらく待っていると、女性はおもむろに立ち上がり小さな声で言った。


「……ありがとうございます、助かりました……」


「本当に大丈夫ですか? かなり具合悪そうに見えましたけど……」


 僅かに血色は戻ったものの、依然として顔色が良いとはいえない。


「……あれ? 紅葉もみじ先生、でしたっけ?」


 もう大丈夫かと顔を見ていると、入学式の教員紹介を思い出した。先生方の自己紹介を全部覚えているわけではないが、彼女はかなりの美人でひときわの存在感を放っていた。


「……はい、保健室の紅葉です。ご迷惑をおかけしました」


 紅葉の名前を出したことに一瞬怪訝な顔をされたが、透華の着る制服を見て納得したようだった。


「いえ、良くなったようで安心しました。では失礼します」


 体調も落ち着いたようなので、一言断って待ち合わせの場所へ向かった。


 指定の場所には徒歩数分で辿り着いた。住宅街の一角にひっそりと存在している小さな公園。その公園が待ち合わせ場所だった。


 周囲にはまばらに人がいるのみで、自然の音のみが空間を満たしている。


 しかし落ち着いた雰囲気を打ち破るように、スマホの呼び出し音が鳴った。


『透華、待ち合わせの場所には着いたかい? 着いたら紅葉結衣さんという女性がいるはずだから探してもらえるかな』


「え、待ち合わせてる人、紅葉って人なの?」


 ここにきて追加された、圧倒的に聞き覚えのある”紅葉”という名前──。


『ああ、もういるんじゃないかな?』


 そう言われてふと顔を上げると、入口から一人の女性が公園に入ってきているのを見つけた。


(やっぱり、紅葉先生だ…………)


 苗字が紅葉で、人気の少ない公園にわざわざやってくる。そこまでわかれば紅葉こそが待ち合わせ相手の”結衣”であることは明白だった。


「あー、うん。多分いた」


 透華はゆっくりと結衣に歩み寄り、尋ねた。


「紅葉先生も、待ち合わせですか?」


「え、あ、さっきの……。確かに私も待ち合わせですが、何故あなたがそれを……?」


「あの、紅葉先生の待ち合わせ相手、僕です」



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