第7話
少しだけ焦っている声が靄から聞こえてきた。相手の動揺した気配が分かった陽狐はくくっと喉を鳴らしていた。
「ようやく気付いたようだが、遅い」
陽狐がもう一度の指で音を鳴らすと、目の前の靄に一か所だけ大きな穴が空いた。穴の向こうには、いつもと変わらぬ景色が見えた。
――ヌウ……
痛みをこらえるかのようなくぐもった声。靄がぐにゃりと揺れ動き始めた。
「なあ、最後はどうしたい?」
相手をいたぶるのを心底楽しんでいるのが良く分かる声に悠斗は心臓を掴まれた気がした。
後ろからしか陽狐の様子を知ることができないが、後ろにいてもこれまで感じたことが無いほどのプレッシャーを感じる。これまでへらへらしていた顔しか知らない。
今更ながら、陽狐のことを何も知らないと気づかされた。こいつにこんな姿があるとは。
「痛みがない方が良いよなぁ?」
右手を高く掲げ、指音を鳴らす準備をした。その動作に靄が激しく揺れ動く。動揺しているのは間違いない。次に陽狐があの指が音を鳴らすとき、そこにあるのはどんな景色なのかを容易に想像させられた。人に害を及ぼす以上、祓う必要があるのは理解していた。目の前に広がる靄も同じだから、陽狐は間違ったことをしていない。
だが、陽狐が暴走し、攻撃の矛先が自分に向けられたらと思うと悠斗は更に胸を締め付けられる気がした。
「そんな不安な顔をするな、悠斗」
「え?」
掲げた右手で、指音を大きく鳴らすと、一瞬前までいた靄があっという間に消え去った。
「いやー久々に大技使うと、疲れるねぇ」
首を鳴らしながら、腕を回している。その姿はさっきまでの物々しい雰囲気は欠片もなくなっていた。いつものお調子者の姿に、悠斗はなぜかほっと胸を撫でおろした。
「悠斗が無事で良かったよ」
陽狐はふっと口元を緩めて笑った。その笑みを見て悠斗はなぜだか胸に寂しさが一瞬だけよぎった。
「……ありがと」
聞こえるか聞こえないかの小さな声で、悠斗はそう言った。しかし、陽狐には聞こえなかったらしく、首をかしげて悠斗を見ていた。飄々としている陽狐を見て、かすかな苛立ちを覚えて悠斗はそっぽを向いた。
「それよりさ、たぬき女将のアイス、まだあるかな?」
「……さっさと行くぞ」
「お、珍しく奢ってくれるの?」
陽狐の期待に満ち溢れた問いを無視して、悠斗は店に向かって再び歩き始めた。
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