第5話

 悠斗が見えたことに気づいた声の主は、すぅっと姿を現した。黒く濃い靄で覆われているせいで体まで視えない。だが、どう見ても人間界には存在していないのは明らかな姿だった。


 腹を括った悠斗は、肩で息を吐きながら辺りを見渡す。先ほどまでの燦々とした太陽も、澄みきった青空もなくなっていた。代わりに、不気味なほどの赤い空と、黒い太陽があった。悠斗は息を整えながら、しっかりと黒い靄を見る。本体がどれかは全く分からなかった。だが、靄から目を反らさずに、一歩だけ下がる。


 あやかし相手に一瞬たりとも油断をしてはいけない。その瞬間に食われる、と祖母から教えられていた。悠斗は右手で顎に流れて来る汗をぬぐいつつ、頭を悩ませていた。それを知ってか知らずか、陽狐が悠斗の後ろで声を上げて笑っていた。


「ばかだなぁ、悠斗は。黙ってれば良かったのにさ」

「そもそもお前が話しかけてくるから」

「というか、コレどうすんの?」

「どうと言われても」


 残念ながら悠斗にこの場を乗り越える技術は持ち合わせていない。バッグの中は、財布とスマホだけ。通学用のリュックだったら、祖父母が持たせてくれていた呪符とか形代とかを入れてあったのに。何より最後の最後に巻き込まれるとは、とことんついていないらしい。己の運の悪さに、悠斗は自嘲気味に口角を上げる。

 相手も油断している様子はなく、隙を見て逃げ出すこともできなさそうだ。


「お前は何も持ってないのか?」

「軟弱な人間とは違うのよ、オレは」

「悪かったな、軟弱で」

「それにさぁ、最後くらいは、思いっきり暴れたいわけよ、オレも」

「わざとか?」

「何が?」


 それ以上何を聞いてもはぐらかされるに決まってる。陽狐はそういうあやかしだ。


「このまま、ずっと大人しくしていました、というのはオレに似合わないだろ?」


 あやかし、と一言でまとめても、善と悪がある。

 契約を結び、仲間になればその力の恩恵を受けることができる。祖父母はそうしてこの地域随一の陰陽師となった。

 一方の自分は、ただ祖父母から守られるだけの孫だ。陽狐は、たまたま悠斗を気に入って近くにいるだけのあやかし。契約なんてしていない。いつ裏切られるかもわからないヤツに背中を預けるほどの度胸はない。

 目を反らしたなんて意識もしてなかったのに、急に足元をすくわれ、体勢を崩してしまった。


 やばい。一瞬の隙をつかれた。

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