(11)
深夜零時。私はあくびを噛み殺しながら、「エコー」の前に立っていた。既に居酒屋も店じまいをして、辺りはしんとしている。灯りは心細く、古びた建物ということも相まって、いかにも何か出て来そうなロケーションだった。一人だったらとてもじっとしていられない。
「ここが、メロディが降ってきた場所だったんですね」
「その顔は、からくりに気づいたみたいだね」
「ヒントはもらいましたから。ちょっとネットのお世話にはなりましたけど」
ささやきの回廊、ラットランという名の建物の、特殊な構造、そしてイカルさんの徘徊癖。タネを知れば、そんなにややこしい話ではなかった。
足音が近づき、影が二つ分、こちらに向かって伸びる。私と聖良さんは、振り向いて来訪者を迎えた。
「お二人でいらしたんですね」
聖良さんの言葉に、硬い表情の奈波さんが頷いた。その背後にいるもう一人が、雲隠れしていた奏太さんだろう。片足を引きずるようにして、ひょこひょこと歩いていた。
「捻挫の方は大丈夫ですか?」
私が声をかけると、奏太さんはびくりと肩を震わせた。
「は、はい。もう、治りかけなので」
なんだか想像と違うと、私は拍子抜けした。動画で歌っている姿やSNSのコメントから、彼は陽気で自信に満ち溢れた人だと思っていたのだ。学校なら、クラスの人気者ポジションのような。
奈波さんの陰で、奏太さんはおどおどしながら頭を下げた。そして、ところどころ声を震わせながら言った。
「――僕は本当に、『アルモニカ』さんの曲を盗んだつもりはなかったんです。第一、福岡のライブにも行っていませんし、そこで発表した新曲も、どんな曲なのか知りません」
福岡に行ったかどうかは調べればわかるだろうから、奏太さんの言うことは嘘じゃないだろう。聖良さんは一通り彼の主張を聞くと、穏やかに問いかけた。
「では、あの曲はあなたが一から作り上げたものですか?」
「それは……」
奏太さんは目を泳がせて言い淀んだ。
「その、もし話したとしても、信じてもらえるかどうか」
奏太さんは暗い顔をして、俯く。
「信じますよ。例えば、天から降ってくるように歌声が聞こえた、とあなたが言っても」
聖良さんの言葉に、奏太さんは弾かれたように顔を上げた。タガが外れたかのように、早口でまくし立てる。
「実は、そうなんです。頭の中で“降りてきた”とかじゃなくて、本当に耳に聞こえたんです。片づけを終えて、店のドアを閉めた時に。まるで後ろから囁かれているみたいで、どこかに人がいるんじゃないかって、びっくりしました」
「それを聞いて、新曲に使ったんですね?」
奏太さんは私の質問にはいと答えたが、自信はなさそうだった。私がもし同じ立場でも、疲れて幻聴を聞いていたんじゃないか、とか別の理由を考えてしまう気がする。奈波さんも、心配そうに成り行きを見守っていた。
「では、今からもう一度、歌声を降らせてみせましょうか」
「そんなことができるんですか?」
聖良さんは自分のスマホを操作すると、私たちに言った。
「壁際に寄って、耳を澄ませてみてください」
「壁際に……?」
奈波さんが半信半疑の様子で、壁に一歩近づく。それからすぐに、はっとした顔で背後を振り返った。
「どうして……? 誰もいない。今、声が、歌が聞こえたんです。それから、ギターの音も」
「僕も聞こえました! あの時と同じです!」
興奮したように、奏太さんも言った。
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