(2)

 空港から地下鉄に乗り博多に降り立った私たちは、明日香さんが事前にリサーチしていたという店に向かった。そして早々に、青海さんの言葉の意味を理解した。


「屋台にも何軒か行きたいとこあるんだよね。でも夜はモツ鍋かなあ」

「まだ行くんですか? もう三軒目ですけど」


 どうやら明日香さんは食べることが好きで、普通の人のレベルを遥かに超えた大食いのようだった。私は二軒目の時点でギブアップして、今は水だけを飲んでいる。ラーメンは好きだけれど、そろそろとんこつの匂いもキツくなってきた。


「それでどうしてそのスタイルを保てるんですか?」

「さあ、ドラムやってるからかな。逆に食べておかないと体力がもたない気がするんだ」

 確かに、全身を使うから消費カロリーはすごそうだ。とはいえ、ラーメン連続三杯は尋常ではない。大盛りの食券を見て二度見していた店員さんに「実はこれで三件目です」と言ったら、ひっくり返りそうだ。


「ほら、せっかくだから音緒ちゃんもちょっと食べなよ。さっきのとは全然違うよ」

 明日香さんは小さなお椀にラーメンをよそってくれた。彼女の声は善意の色しかないので、受け取らざるを得ない。

「い、いただきます……」

そろそろ鼻から麺が出てくるかもしれない、と思いながら私はラーメンを啜った。この店のスープは見た目ほどこってりしていなくて、それが救いだった。


「あー美味しい! これが地方に行く楽しみなんだよね」

 明日香さんは相変わらずのハイペースで麺を吸い込みながら、幸せそうな顔をしていた。

「覆面バンドって、こういう時周りの目を気にしなくていいから良いよね。私たちもそこそこ人気は出てきたけど、盗撮されたりとかはないじゃん?」

 麺大盛り野菜大盛りを豪快に食べる彼女はかなり注目を浴びていたが、それはまた別の話だ。私は黙って頷いた。


「そういえば、どうして覆面バンドなんですか? 率直に言って、皆さんビジュアルもかなりレベル高いと思いますけど」

 明日香さんや聖良さんだけでなく、イカルさんだって長い前髪を切って服装も変えればイケメンの部類に入る顔だと思うのだが。


「あー……それはね、イカルが言ったの。曲はみんなに聞いてほしいけど、顔を出すのは怖いって」

「やっぱり、イカルさんだったんですね」

「ね、やっぱりって感じでしょ? まあ、曲だけで勝負できる自信はあったから、いいんだけどさ。初めに聞いた時はこいつチキンナゲットかよって思ったよね」

「チキンナゲット?」

「骨なしチキン野郎ってこと」


 失礼ながら、こらえきれずに吹き出してしまった。我らがボーカルに対して、ものすごい罵倒だ。明日香さんはしてやったり、とにやにやしている。

「コレ、社長にも聖良にもウケたから鉄板ネタなんだ!」

 うきうきと言ってから、明日香さんは声のトーンをちょっと落として付け加えた。

「まあ私も人のこと笑えないんだけどね」


「え?」

 レンゲでスープをかき混ぜながら、明日香さんが言う。

「私、両親にバンドやってるって言ってなくてさ」

「じゃあ、仕事は何をしていることになってるんですか?」

「遊園地で着ぐるみ着てることにしてる。実際に時々バイトしてるし、ほら、それだと万が一見に来られても、顔がわからないから嘘だってばれないでしょ? それにさ、ウチの父親は福祉活動とか環境保全とか、そういういかにも健全なのが好きなんだよね。今時古いと思うけど、ロックバンドは不良のイメージみたい」


「イカルさんは不良のイメージとは真逆ですけどね」

「うん、むしろ不良にパシられてそうだよね」

 再び失礼ながら、常にチワワのように不安そうにしているイカルさんを思い浮かべ、確かにそうだな、と私は思った。


「音緒ちゃんは、ご家族から反対されなかったの? 芸能界でしかもマネージャーの仕事ってさ、大変そうなイメージあるし」

「うーん……驚かれはしましたけど、反対はされなかったですね。むしろ、普通の会社勤めは向いてないから良いんじゃない、と言われました。母は肝が据わっているというか、大抵のことは受け入れてくれるんです」


 私の話に、明日香さんはいいなあ、と羨ましそうにしていた。

「いつか、イカルが覆面をやめようって言い出したら、その時は私もちゃんと言おうと思うんだ」

 ただ、その時はしばらく先だろうと、明日香さんは言った。



 ラーメンをこれでもかと堪能した私たちは、再び地下鉄に乗ってライブ会場に向かった。といっても、まだ中には入れないので、外から眺めるだけだ。そこは千五百人を収容する大型のライブハウスで、知名度のある国内外のアーティストも出演するようなところだ。

「ココには去年も来たから、不安はあんまりないんだよね。初の全国ツアーだけど、初日は慣れたライブハウスにしようってことになったんだ。でもって、最終目標はあっち」


 明日香さんはライブハウスの向こうの、海の方を指差した。丸い輪郭が、ぽっこりと空に突き出ている。

「ドームですね。たしか、キャパは三万人以上……」

 あのドーム球場では、たぶん超のつく売れっ子にならない限り、ライブなんてできない。九州や北海道のドームを埋めるのは、本当にファンが多くないと難しいと聞いたことがあった。


「明日香さんたちならいつか行けますよ、絶対」

 明日香さんはニカッと歯を見せて笑うと、ありがとう、と言った。彼女の髪を揺らす海風にぴったりの、爽やかな笑顔だった。

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