第二章 新曲が囁く

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 無事大学院を卒業した私は、四月から音楽事務所「オーバーチュア」の社員になった。入社してから、あっという間にひと月。一通りのマナー講習を受け、社内の雑務を教えてもらったりしたが、マネージャーらしいことはまだしていない。今月中に全国ツアーの初日があるので、どこかソワソワしながら過ごす毎日だ。


「っていうか、マネージャーらしいことって何?」


 ふと気づいて、呟く。イメージではバンドメンバーのスケジュール管理をしたり、要望を聞いて食事を用意したり、こまごまとしたお世話をするという感じだが、それで合っているのだろうか。


 年齢も近く話しやすそうなケンちゃんに聞いてみると、そんなもんじゃないっすか、という軽い答えが返ってきた。

「機材のこととかは専門スタッフがいるし、とりあえずスケジュール通りメンバーを連れて行けばオッケーっすよ」


「でも、それって当たり前のことじゃない?」

 別に意識するほどのことではないと私は思ったのだが、ケンちゃんは突然深刻そうな顔になって言った。


「音緒さん、その当たり前が、難しいことなんす。なんでか知らないけど、『アルモニカ』のライブ期間中って、トラブルが発生しやすいんすよ。スタッフが集団食中毒にかかったりとか、ネズミにコード齧られて断線してたりとか。今まで何度も中止の危機があったんすけど、なんとか予定通りやってきたって感じで」

 呪われてるんすかね、なんてケンちゃんは笑っていたが、私の顔は引きつっていたと思う。


「エクソシストって、どこで雇えるんだっけ……?」

 津麦社長と一緒に、探しておいた方が良いかもしれない。




 そして五月某日。私は福岡空港に向かう飛行機の中にいた。全国ツアー初日の会場、博多に向かうためだ。サポートスタッフたちも、一緒に乗っている。しかしアルモニカのメンバーは、私の隣に座る明日香さんだけだった。飛行機嫌いのイカルさんと彼の付き添いの聖良さんは、新幹線で陸路を進んでいるはずだ。


「意外って言ったら失礼ですけど、付き合いで一緒に新幹線で行くなんて、聖良さんて面倒見の良い方なんですね」

「ああ、聖良はイカルが最優先だから。まあ、ぼんやりしてて、一人じゃ危なっかしくて不安だっていうのもあるけどね」


 それはこのひと月あまりを一緒に過ごした私も、同感だった。イカルさんはしょっちゅう何かにぶつかったり躓いたりしていたし、事務的な連絡もあまり記憶してもらえていなかったりした。他にも整理整頓が苦手だとか、曲作りが始まると寝食を忘れてしまうとか、ちゃんと生活できているのか不安になることが多々あった。音楽の才能はものすごいのに、それ以外はどう見てもポンコツだ。


「それでなんとなく、聖良が世話係になってるってわけ。イカルの方が年上だから、おっとりした兄としっかり者の弟って感じかな」


 年齢についてはともかく、その説明はしっくりきた。私が納得していると、それより、と明日香さんが身を乗り出して言った。


「着いたら早速、ラーメン食べに行こうよ。どうせ二人が着くまで時間あるしさ」

「ライブの打ち合わせはしないんですか?」

「しないよ。聖良が来ないと進まないもん」

「でも、マネージャーたるもの、さすがに到着早々遊びに出かけるのは……」


 私が葛藤していると、隣の男性スタッフがポンと私の肩を叩いた。音響エンジニア、通称PAの青海おうみさんだ。


「いいんだよ、それこそがマネージャーの仕事だ。健闘を祈る」

「そうなんですか……? では、お言葉に甘えてそうします」


 なんだか引っかかる言い方だが、明日香さんに付き合うことにした。私も、本場のとんこつラーメンは食べてみたい。

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