(5)
そして約束の日。私は山手線の駅から五分ほど歩いたところに建つ、ビルの前にいた。「音楽事務所オーバーチュア」と、正面のドアに書かれている。ネットで公式サイトを確認したところ、三年ほど前に設立された新しい事務所のようだ。社員は二十人未満で、所属するアーティストもアルモニカの他は数組だけ。でもアルモニカの快進撃を考えれば、今の業績は悪くないはずだ。
「……よし!」
私は気合を入れると、事務所のドアを押した。 派手さはないけれど清潔で、壁や床はピカピカに磨き上げられている。受付の女性の対応もにこやかで、感じがいい。私は案内された応接室のソファにちょこんと座って、面接の担当者を待った。暇なので部屋の中をきょろきょろと見回したが、今のところ、特に怪しいオブジェや掲示物などは見当たらなかった。
二分ほど待って、応接室に男性が一人入ってきた。顔を髭に覆われた、山男のような風貌だ。天然パーマなのか髪のボリュームも多いので、顔と頭がやたら大きく見える。
「どうも、社長の
私は立ち上がって一礼し、答えた。
「野分
突然社長が登場したことにはびっくりしたが、従業員の少ない会社だとそういうこともあるのかもしれない。津麦社長に促され、私は腰を下ろした。
「音緒という名前は、音の響きも漢字も素敵だね。音楽に携わるのにぴったりだ」
津麦社長は満足そうに頷くと、手にしていた封筒をテーブルに置いた。
「それで、早速だけど雇用契約について説明しても良いかな。一通り聞いて特に問題がなければ、今日中に書類に判を押してもらって……あ、印鑑持って来てる?」
「持っていますが……あの、それってつまり、採用ということですか?」
うん、と津麦社長はあっさり答えた。
「履歴書を見た時点で、もう決めていたようなものだよ。音楽、好きなんでしょ?」
「ええ、それはもちろん」
「結局、それが一番だからね。好きなことなら、多少大変でも頑張れる。僕も自分で事務所を興すのは大変だったけど、アルモニカの音楽をたくさんの人に知ってもらいたいって情熱があったから、ここまで頑張れたんだ。志望動機に込められた君のほとばしる愛! 僕は感動したよ!」
「あ、ありがとうございます……」
唐突に握手を求められて手を出すと、津麦社長は私の手をぶんぶんと振った。
「いやあ、本当に君みたいな良い子が来てくれて良かったよ。応募者が一人でも結果的に……げふんげふん」
津麦社長はわざとらしい咳でごまかそうとしたようだが、たぶん重要なところは全部私に聞こえていた。
「応募したの、私一人だったんですか?」
津麦社長は気まずそうに目を逸らす。
「やっぱり、最近の子はマネージャーって激務で薄給ってイメージがあるのかな。ウチは今上り調子だから、給与に関してはわりと出せると思うんだけど」
津麦社長は封筒から書類を出し、給与の欄を私に見せた。確かに、思わずおお、と声が出てしまうくらいの額だ。
「これは額面だから手取りはもう少し引かれた額になるけど、賞与も年二回出すし、遠方のツアーで三日以上滞在する時は別途手当も支給しちゃうよ」
それは素晴らしい。今度は私が社長に握手を求めた。
「というか、この内容をきちんと求人サイトに載せれば良かったのでは? 原因は明らかに『エクソシスト』のくだりだと思うんですけど……」
「うーん、でもそこは譲れないからねえ」
真剣な顔で、津麦社長が言う。声の“色”にも、冗談は含まれていなかった。
「僕はね、祓ってもらいたいんだよ。彼らに憑りついているかもしれない、“音楽の悪魔”を」
「音楽の、悪魔?」
戸惑う私に、社長は身を乗り出して言った。
「音緒ちゃんは、『二十七クラブ』って言葉、聞いたことある?」
全く聞き覚えがなかったので、知らないと答えた。
「有名な、それこそ天才的なアーティストは、なぜか二十七歳で亡くなるという話があってね。ジミ・ヘンドリックスや『ザ・ローリング・ストーンズ』のブライアン・ジョーンズ……日本ではあまり知られていないミュージシャンもいるけど、たくさんの人が亡くなっているんだ。それは、彼らが悪魔と契約して、魂と引き換えに音楽の才能をもらったからじゃないか、なんて言われてる」
津麦社長はそこまで話すと、小さく笑った。
「もちろん、非科学的だとは思うよ。ちゃんと統計をとった人によれば、確かに二十代から三十代で亡くなるミュージシャンは多いけど、二十七歳が特別多いわけじゃないみたいだし。でもね、やっぱり気にはなるんだ。……ボーカルのイカルくんは今、ちょうど二十七歳だから」
「じゃあ、エクソシスト歓迎というのは……」
「うん、そう。もし、彼の魂を連れて行こうとする悪魔がいたら、そいつを追っ払ってほしいと思ったんだよ。僕は彼がそれだけの才能を持っていると思うし、まだまだ進化すると信じている。世界にだって羽ばたけるって、本気で思っているんだ」
少し照れ臭そうに、津麦社長は締めくくった。
確かに、大の大人が何を言っているのだ、と笑われてしまうようなことかもしれない。でもそのくらい、社長はイカルさんの才能にほれ込んでいる。失うことを、恐れている。その気持ちを想像すると、悪魔なんてと笑い飛ばすことはできなかった。そして私も、イカルさんを、アルモニカの音楽を、ファンの一人として失いたくないと思った。
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