(3)

「情報、少なくない?」


 パソコンの前で、私は思わず声に出していた。


 調べていたのは企業の求人、ではなくて「アルモニカ」のことだ。どんな人たちが演奏しているのだろう。こんな素晴らしい曲を作るのだから、きっとすごい人達に違いない。私はワクワクしながら検索を始めたのだが、驚くほど情報が少なかった。


 公式ページである音楽レーベルのサイトには、彼らがロックバンドであり、楽曲は「オルタナティブ・ロック」というものに分類されると書いてあった。でもオルタナティブ・ロックは「型にはまらない」ロックのことらしく、余計に謎が増えたように感じた。「聞く人の心を揺さぶる」という紹介も、なんだか普通すぎて素っ気ない。


 アルモニカのサイトもシンプルで未完成ではないかと思うくらいだったが、メンバーが三人ということが判明した。ボーカル・ベースのイカル、ギターのセラ、ドラムのアスカ。名前と担当楽器以外は、ほぼすべてが非公表。公に顔を見せることもない。そう、彼らは「覆面バンド」というものだったのだ。


「あれ、でもライブは毎年やってる……」


 ステージ上で顔を隠しながら演奏しているのだろうか。仮面をかぶったりとか、メイクをしたりとか。そこも情報がない。


 昨年のツアーは東名阪のみだったが、ライブハウスの中ではキャパシティーが最大級で、有名どころばかり。しかも毎回即日ソールドアウトしているようだから、もっと大きな会場でも開催できそうだ。今年から始まる初の全国ツアーは明らかにスケールアップしていて、一万人以上収容できるホールも含まれている。


 公式の情報が少ないので、今度はSNSで「アルモニカ」と検索してみた。みんな、“絶賛”を思い思いの言葉で表現している。唯一無二、奇跡、生きる支え……。私のように救われた人もいたのだと知って、なんだか嬉しくなった。


 ネットのコメントを見てもう一つわかったのは、彼らの演奏技術がとても高い、ということだ。素人の私にはよくわからないが、彼らの曲は演奏がとても難しくて、それなのに生演奏も音源と同じクオリティを保っているのだという。アドリブが含まれているからという理由で、当てぶりの可能性も否定されていた。


 私はそれから数時間、「アルモニカ」をほめちぎるコメントを見たり、曲の感想を見たりして、深夜にようやくベッドに入った。今日出会った曲たちはきっと、私をこの先ずっと励まし、背中を押してくれるだろう。私は久しぶりに、音楽が理由で高揚して眠れない夜を過ごした。




 翌日、私は再び渋谷の街にいた。昨日買わなかった、「アルモニカ」のファーストアルバムとセカンドアルバムを買うためだ。目指すのはもちろん昨日訪れたCDショップで、できることならあの店員さんともう一度話したかった。良い本や映画を味わったら誰かに話したくなるように、昨日の感動を誰かに語りたかったのだ。きっとあの人なら、上機嫌で聞いてくれるに違いない。


 昨日私が店に来たのは午後だったが、今は午前中の開店直後。あの人はいるだろうか。もし大学生のアルバイトとかだとしたら、この時間はいないかもしれない。

 期待と不安の天秤を揺らしながら、店に入った。お客さんは私以外、数人しかいないようだ。ひとまず「アルモニカ」のCDが並ぶ「あ」の段を見に行く。すると、鼻歌を歌いながらCDを並べているあの店員さんの背中があった。しかも歌っているのは昨日私が街頭ビジョンで聞いた、あの曲だ。思わずふふっと声に出して笑ってしまった。


 振り返った店員さんにも聞かれてしまい、私は恥ずかしくなったが、あちらはもっと恥ずかしそうにしていた。

「今の、聞こえてました?」

「はい、ばっちり。あの曲ですよね」

 私が「アルモニカ」の名前と曲名を出すと、店員さんは顔を両手で覆った。

「あー、油断してた! 恥ずかしい!」


 反応が可愛くて、私はまた笑った。その様子を覆った手の隙間から見ていた店員さんは、あれ、と声を上げた。

「もしかして、昨日スーツを着ていらっしゃいました? アルモニカのアルバムを買われた……」

 私は頷く。スーツ姿と普段着ではまったく印象が違うから、すぐには気づかないだろう。髪も、就活の時は一つにまとめているが、今日は下ろしていた。


「パンツスーツもお似合いでしたけど、今日のスカートの方が華やかで素敵ですね」


「そ、そうですか……?」


 店員さんはごく自然に言ったが、そんな言葉をかけられたことのない私は、思わずどもった。気を取り直して、口を開く。

「あのアルバム、すごく良かったです。それで、他の二枚も今日買っちゃおうと思って」


 店員さんはぱっと目を輝かせると、ですよね、と先ほどの鼻歌の比ではない大きな声で言った。


「ボーカルの声が素敵で、歌詞は自分のことみたいにジーンときました。メロディも、うまく言えないけど、聞くたびに発見があるというか……」

 私のたどたどしい感想を、店員さんは頷きながらにこにこして聞いてくれた。


「ありがとうございます。こうして感想をもらえるのが一番のやりがいだから、本当に嬉しいよ」

「私も、直接感想を言いたかったのでお会いできて良かったです」

「そっか、今日は昨日より早めに退勤するから、危ないところだったよ」


 ラッキーだったと頷き合っていると、店員さんが言った。

「今日はレディースデーだから、映画を見に行きたくてね」

 店員さんは話題のミュージカル映画のタイトルを口にした。

「ああ、あれ面白そうですよね。レディースデーだと値段も全然違うし……」


 ……ん? レディースデー?


 私は改めて、店員さんを見た。すらりと背が高いけれど、よく見れば全体的に丸みがあるし、喉仏もない。声だって、女性にしては低めだが、まあ普通の高さだ。つまり、私が勘違いしていただけで、女性だったのだ。失礼なことは言わなかっただろうか、と私は内心あわあわした。


 目当てのCDを手に取った私は、そそくさとレジに向かう。私の動揺を知らない店員さんは、今日も颯爽とレジを打っていた。

「あ、そうだ、これオマケね。アルモニカのライブレポートが載ってるんだ」

 彼女がCDと一緒に袋に入れてくれたのは、音楽雑誌だった。買えば五百円以上するはずだ。

「さすがにそれは! 普通に買いますよ」

「いいのいいの。私のおごり。カワイイ子は幸せにしてあげたいじゃない?」

 完璧なウインクと共に、彼女は言った。


「ちょっとサルちゃん」

 「店長」のプレートを胸につけた男性が通りがかり、顔をしかめていた。ネームプレートを見るに、彼女の名前は猿渡さるわたりさんのようだ。

「好みの女の子に色目使うのやめなって言ったでしょ。もう何人か道を踏み外してるんだから」


 二人のやりとりを聞いているうちに、勘違いの原因は全面的に猿渡さんにある気がしてきた。たぶん、きっと、私は悪くない。


「それ、最後の方までよーく読んでね」

 再びのウインク。きっと彼女は、注意されても同じことを繰り返すのだろう。

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