第7話男子高生バディと歩道橋の怪談

 その日の昼休み。

 二人は相変わらず机を突き合わせて、購買の弁当を食べながら話し合いをしていた。

「やっぱ牛すき焼き弁当は冬の内に食っときたいんだよな」

 購買の弁当の固い鮭の切り身を箸で突きながら雫が言う。

「問題は肉二倍にするかどうかなんだよ」

 同じく購買のもやしの多い肉野菜炒め弁当を食べながら白眉が返す。真剣である。

「肉二倍にすると野菜が少なくならないか……?」

 雫も真剣である。

「そこなんだよなー問題は」

 白眉が頭を抱える。雫も熟考していた。すき焼きにおける野菜は至高である。しかし肉もまた至高である。

「あんたたちさっきからなんの話してんの?」

 その話し合いに横から口を出した女子がいた。知らない女子がいつの間にか雫たちの机の横に立っている。雫は見覚えがなかった。

「あれ?みかちゃん。どうしたの?」

 白眉が声をかける。こちらは知り合いらしい。雫は口をつぐんで様子を見ることにした。

「弁当はどっちでもいいけどさ、こっちは大変なんだよ」

 女生徒は手近の椅子を引き寄せると腰を下ろした。セミロングの髪が黒くつやつやとしており、薄く化粧をして二重がぱっちりとしている。雫はこの手の女子は顔が全員同じに見えてしまう。我ながら老けた感性だと思う。

 女子生徒は脚を組むと続けた。

「最近さ、わたしの友達が死んだのね」

 え?と思わず雫は白眉と困惑した視線を交わした。重い話なのだろうか。

「中学の頃の友達でさ、違う高校に行ってからも連絡取ってたんだけど。いきなり死んじゃって」

 女子生徒は唇をむいっと突き出すと宙を睨み付けた。

「歩道橋の階段から落ちて死んじゃったんだって。足滑らしたかなんかだって。ばかだよね」

 ミカと呼ばれた女子生徒は長い睫を伏せた。一応は悲しんでいるのだろうか。

「でももっとばかなのはさ」

 ミカは何かを吹っ切るように続けた。

「お化けになって出るんだってさ。その歩道橋に。殺されたとかならまだしもさ、自分で足滑らせて死んどいてばかみたいじゃない?」

 ミカはまた宙を睨むと長い睫を瞬いた。少し涙ぐんで見える。どうやら言葉ぶりよりは友人の死を悼んでいるらしい。

「だからさ、成仏させてほしいんだけど」

 また話が飛んだ。雫は白眉と再び困惑した視線を交わし合う。成仏?

「だって、こないだ死ななかったでしょ。カーブミラーに映る子供の霊見たとき」

「ちょ、ちょっと待って、俺たち特に除霊とかは」

 白眉が慌てて言う。確かに霊能者でもないし除霊は出来ない。

「そう?でもカーブミラーの霊見て死ななかったのは初めてだってOBの先輩が言ってた」

 ミカはそういうとポケットから財布を出していきなり千円札を二枚机の上に置いた。

「とりあえず、会いに行ってあげてよ。私の友達に。これ牛すき焼き弁当代。あとこれ現場の住所。最寄りのバス停とかも書いといたから。じゃね」

 と言ってミカは去って行った。

「……どうする?これ……」

 雫は机の上に置かれた二千円を見ながら言った。

「……置いてっちゃったし、ねぇ……」

 困ったように白眉が言う。

 やっぱり行くしかないのか。雫は半分覚悟を決めた。

「……ところで今の子だれ?」

 教室の外に出て行ったと言うことは、やはりうちのクラスの生徒ではないのだろう。

「となりのクラスのみかちゃん。噂屋さんの子で何回かみんなでご飯食べに行ってるけど直接喋ったことはあんまりないかも」

 へえと雫は納得した。噂屋さんはもっとなんというかキラキラした子達というイメージがあったがあんな風にさばけた子もいるらしい。なんだかんだで白眉が仲良くしている訳が分かった気がした。

「ところでいつ行く?やっぱ夜?」

 雫が言うと白眉はぱっと表情を明るくした。

「雫も行ってくれるの?」

「当たり前だろ。料金二人分貰っちゃってるし」

 白眉はやったーありがと、と笑顔になって、それから考えた。

「うーんやっぱ夜がいいかなぁ。でも終バス十時だから帰りそれに間に合うようにしないと」

「となると結構早めになっちゃうな。出ると良いけど幽霊」

「出なかったら手合わせるくらいで良いんじゃない。成仏してくださいって」

「それで出なくなるといいけどな」


 そんなこんなで二人は、歩道橋の幽霊に逢いに行くことになったのだった。


 *


 善は急げという事でその日の夜。

 いつもの中華屋の安くて量だけはあるラーメンで早めの腹ごしらえを済ませた二人は七時半ごろのバスに乗った。牛すき焼き代の二千円にはまだ手を付けていない。ふたりで協議の結果、成功報酬という事で除霊に失敗したらそのまま返そうという事になったのだ。

 歩道橋の最寄り駅までバスで行き、そこからは少し歩く。今日は雨が降っていて辺りはとっぷりと暗い。人通りのほとんどない道を傘をさして二人で歩いて、目的の歩道橋に着いたのは八時過ぎだった。


「わぁ……」

 二人は歩道橋を見上げてどちらからともなく声を上げた。

 古い。一応階段部分はコンクリートなのだが手すりや欄干などの大部分は金属製で、元は白だったのだろうが酷く錆びて全体的に茶色くなっている。階段の幅は大人二人がようやくすれ違えるほどの幅だが、上の通路部分はそれなりに距離があり、中央分離帯のある道路を横断している。

「……不気味だね」

 いつものように白眉が率直な意見を言う。雫も頷いて、ふと気付いた。

「ちょっと待って、その女の子が出るのって、どの辺?」

 一口に歩道橋の階段と言ってもこっち側と向こう側がある。

「うーん、階段のどっか?ちょっとまって聞いてみる」

 スマホを取り出した白眉がみかと連絡を取っている間、雫は歩道橋の階段を少し登って見た。手すりは見事に錆びていて、触ると塗料のかけらがパラパラと落ちる。古びたコンクリートの階段はステップの滑り止めがなかばすり減ってなくなっており、じっとりと雨で濡れているせいで一層古く見えた。

「しずくー。分かった。バス停から向こう側の階段の真ん中辺だって」

 後ろから白眉の声がして、傘を差した姿がこっちにやってきた。今日は冷えるので二人ともダウンジャケットを着ている。それでも雨で湿ったスニーカーのつま先が冷たい。

「おっけー。じゃあ向こう側行こうか」

 僅かに凍る息を吐いて狭い階段を上がり始める。傘をさしているので横に並べず、ひとりずつ縦に並んで歩く。上から人が来たらアウトだが幸い階段にも橋の上にも人の姿はなかった。

 なにも起きないまま歩道橋の上に上がった二人は、横並びに歩き出した。上はそこそこ道幅があり、ぽつりぽつりと設置された灯りが雨に煙って橋を照らしている。

「こんなとこにさ、ずっといんのかな、みかちゃんの友達」

 白眉がふいと橋の下を覗きながら言った。歩道橋の下は車通りが乏しく、今は沈んで暗闇に見える。橋の上は風こそないが足元からしんしんと冷える。

 ……もしこんなところにずっと立ち尽くすだけの人が居たなら。

 雫は考えただけで薄ら寒い気持ちになった。

「こないだ俺初めて幽霊みたじゃん?」

 白眉は続ける。

「……初めてだっけ」

 少し考えて雫は答えた。雫の方は何かにつけて妙なものを見ているが、そう言えば白眉がちゃんと幽霊を見たのはあの公園が初めてだったかもしれない。

「初めてだったよ。んで思っちゃったんだよね。あの人ってずっとあそこに居るのかなって」

 雫は考えを巡らせた。幽霊が人に見えて居ない間どこにいるのか。考えた事がなかった。

「俺たちは生きてるから飯食ったり遊んだり寝たり、してる訳じゃん?幽霊ってそういうのなくて、ずっとあんな寒い寂しい場所に居るのかなって。そしたらなんか怖くなって来ちゃって」

 橋の下の暗闇を覗いて歩きながらそんな事を言う白眉は、酷くらしくなく見えた。だから、という訳ではないが雫は言った。

「僕は、幽霊っていうのは人間の残り香みたいなものだと思ってる」

 白眉が顔を上げて雫を見た。

「残り香?」

 よく分からないと言う顔だ。雫は続けた。

「つまり、人間の残像みたいなもので、意識も自我もないんじゃないかな。だから『辛い』とか『苦しい』とかの感情は残っていても本体はもうそこに居ない」

白眉は少し考えるような顔をした。

「じゃあ本体はもう天国とかに行ってる……ってこと?」

 雫は少し返事に困って言った。

「僕は死後の世界があるとは思ってないよ。人は死んだら、ただ消えると思ってる」

 白眉は露骨に嫌そうな顔をした。

「前にも聞いた~、けどそれ夢がない~、希望がないよ。なんでそんな風に思うの?」

 雫は返事に窮した。なんでと言われてもそう思うものは思うのだから仕方ない。

 大体、死後も存在し続けると思う方が希望がないと雫は思うのだが。死後の世界が満ち足りた理想郷だと雫には思えないのだ。死んだら死んだ後の苦労があるのだったら死んだら終わりでぱっと消えた方がすっきりする。

 そんな事をどう白眉に伝えようか悩んでいるうちに反対側の階段の上に着いた。

「着いたよ。じゃあ参りに行こっか。みかちゃんの友達の幽霊」

 白眉がそう言いながら先に立って降り始める。階段は相変わらず狭く、傘を持って二人では並べない。

「名前聞いとけば良かったな、みかさんの友達の」

「あーそうだねぇ。でも通じるんじゃない?みかちゃんの紹介で来ましたって言えば」

「なんかバイトで来たみたいだな」

「まぁバイトみたいなもんだし。あ、お参りはちゃんと真面目にやるよ?」

「うん、そこは真面目にな」

 軽口を叩き合いながら階段を半ばまで降りると、階段の下の隅に寄せるようにして花束やお菓子が供えてあるのが見えてきた。

「あ、あれだよね、お供え。あそこで亡くなったのかー……」

 気の毒そうに言いながら白眉が下に降りて行く。でも幽霊の目撃談って階段の半ばだったよなと思って雫は階段の途中で立ち止まった。

「? なにしてるの雫?」

 階段の下から不思議そうに聞いてきた白眉に雫はその場でしゃがみながら答えた。

「幽霊が目撃されたのって階段の途中だろ。多分この辺で足滑らせたんじゃないか」

「そっか。俺もこっち拝んだらそっち行くね」

 白眉の声を聞きながら目を閉じて傘を肩に乗せて両手を合わせる。白眉も下で手を合わせているのか二人は無言になった。急に辺りが静かになって、ただ雨音が耳を覆う。

 拝むと言っても、霊になんと声をかけたらいいのか、雫はいつも困ってしまう。

 成仏して下さい、も、安らかに眠って下さい、もなにか違う気がして、結局ただ心静かに手を合わせると雫は立ち上がった。

 下を見ると白眉も立ち上がってこちらに来ようとしている。階段にすれ違える幅はないので先に自分が下に降りようと足を踏み出した途端、左の足首に異様な感覚が走って、転んだ。

 そのまま傘を放り出して倒れようとした身体をなんとか踏ん張って二、三段下によろけたところで、下から同じく傘を放って駆け上がってきた白眉に危うく身体を支えられた。

「っぶね、あっぶね!なにしてんの雫!」

 落ちてくる雫の身体を全力で踏ん張って支えながら白眉が叫ぶ。完全に体勢を崩していた雫は白眉の身体と錆びた手すりにすがってようやくバランスを取り戻した。

「……どうした?……雫?……ころんだ?」

 とっさに声が出なかった。心配した白眉が顔を覗き込んでくる。

 ……今、僕に何が起こった?

 呼吸が速い。鼓動が速い。左の足首にまざまざと感覚が残っている。


 まるで、誰かに掴まれたような感覚が。

 とっさに階段の上段から下に視線を這わすと、ちょうど自分が転げた辺りでかさり、と何かが階段の段と段の間に逃げ込むように消えた。雨で濡れたコンクリートの色に擬態した土気色の、手のようなものだった。

 あの手に掴まれたんだ。

 そう思うと雫は冷たかった頬がさっと熱を持つのを感じた。あの手に掴まれたのは自分だけじゃない筈だ。死んだ女子生徒も、おそらく。

「え?なに?雫?」

 そう思うと止まらなかった。戸惑う白眉を置き去りにして階段を上がると、丁度その手が隠れた階段の段と段の間を蹴りつけた。固いコンクリートの感触がした。

 手が出てくるかと思って何度か蹴りつけたが、かじかんだつま先が痺れただけで手は出て来なかった。

「……雫?……大丈夫?」

 そこでようやく雫は後ろにいる白眉を酷く心配させてしまっていることに気付いた。それだけではない。先ほどは自分に巻き込まれて階段から落ちかけたのだ。今も傘も差さずに雨に濡れて自分に付き添ってくれている。

「……ごめん」

 雫は振り返ると白眉の顔を正面から見て詫びた。なんだかふてくされたような口調になってしまったのが情けなかった。

「それはいいけどさ、……説明してよ。なにがあったの」

 白眉は困惑した顔で雫を見ている。こんな状態でも自分にちゃんと向き合ってくれる友人が雫は有り難かった。

「……ごめん。取りあえず傘、取りに行こう。ちゃんと話すから」

 幸い雨脚は弱くまだびしょ濡れにはなっていない。階段の下に広がったまま落ちている傘を拾いながら雫は白眉に状況を説明した。


「……階段の間から、手?」

 話を聞くと、白眉は目を丸くした。

「うん。あの辺から、なんか生えてたんだよな。あれに足掴まれて転んだんだよ」

 言いながらまた一列になって階段を上がる。

「じゃあみかちゃんの友達って……」

「多分こいつにやられたんだと思う」

 『それ』がいる場所は感覚で分かった。そこだけ色がくすんで、妙に色あせて感じる。雫はその場所をまた足で軽く蹴ったが固い感覚しか返ってこなかった。居るのはわかるのに尻尾を出さない。

「大丈夫?祟られない?」

 傘を畳んだ白眉がおっかなびっくりという感じで雫の傘に入って横にならんだ。

「うーん僕はわかんない……けど」

 そこで思いついた。

「お前なら、大丈夫かも」

「え」

 白眉が固まる。固まったところに畳みかける。

「いやお前って祟られないっていうか、幽霊に嫌われるタイプじゃん。お前が蹴ったら浄化出来るんじゃない」

 当てずっぽうだったが本気だった。少なくとも白眉は祟られないという確信があった。

「え……ちょっと待ってちょっと待って。幽霊を、蹴るってこと?」

 白眉は完全に尻込みしている。

「そう。じゃないとまた、足掴まれて落ちる人が出るぞ。僕みたいに」

「…………」

 白眉は途方に暮れたような顔で雫の顔を見た。幽霊は蹴りたくない。でも犠牲者が出るのは困る。そんな顔だ。

「頼むよ」

 雫はもう一押しした。ここで見ぬ振りをしてまた犠牲者がでたら、おそらく白眉が後悔する事になる。

 白眉は怖々と、しかし覚悟を決めたような顔で一つ小さく頷くと、雫が蹴りつけた辺りの階段の段と段の間を、トンと軽く蹴った。

 手は出て来なかった。だが雫の目には少しその周辺のコンクリートが明度を上げるように揺らいだのが見えた。

「もうちょっと蹴って」

 二度、三度と今度は少し力を入れて白眉が蹴る。その度にその周辺の暗い気配が晴れて、それに耐えかねたように土色の男の手がそこからべっ、と吐き出された。

「うわ」

 雫は思わず声を上げた。手は手首から先しかなく、それ自体独立した生き物のようにもぞもぞと動いている。断面はどうなっているのか暗くなっていて見えない。だがそれは行き場を失って逃げようと焦っているように見えた。

「え?なに?なに?」

 白眉には見えていないのだろう、戸惑っている。

「踏め。そこの段。踏め!」

 白眉は当てずっぽうで踏んだ。手はずんぐりとした見た目に反して機敏にそれを避けた。雫はわざと自分の足をその手に近づけた。手は飛びつくように雫の足首に捕まった。掴まれた足首からはなんとも言えない怖気のするような感触が伝わってくる。

「踏め!」

 雫は言った。

「僕の足に居る! 思いっきり踏め!」

 白眉はためらいがちに、しかし思い切り雫の足を踏みつけた。

 足を踏まれた痛みより、足首の感覚がさあっと消えて行く開放感の方が大きかった。それと同時に男の手も粉々の粒子のようになって空気に溶けた。

「死んだ!死んだぞ手!」

 歓喜の声を上げてからそう言えば元から死んでるな、と思い直す。

「え?できた?俺できたの?」

 白眉は何も感じないのか、ピンとこない顔をしている。

「できたできた。えらいえらい」

 褒め称えて頭をぽんぽんしながら、こいつよく何にも見えないのにこの騒ぎに付き合ってくれてるなと雫は思う。普通なら頭のおかしいやつだと思って距離を置くところだ。当の白眉はピンとこないながらも褒められて嬉しそうだ。


「これでみかちゃんの友達も成仏できるかなぁ」

 階段の途中で立ち止まったまま暗い空を見上げて白眉が言う。

「友達の心残りがあの手だったんならな」

 同じく空を見上げて雨が止んでいるのに気付いた。雨止んでる、と言いながら二人で入っていた傘を畳む。

「しばらくしたらまた聞いてみるね。みかちゃんに」

「うん。あの二千円使っていいかわかんないしな」

「そうだ給料出てるんだった。あ、そろそろ行かないと終バス来ちゃうよ」

「まじかやばいな」

 ここは隣町である。最終バスを逃したら夜の寒い街をかなり歩かなければならない。バス停は歩道橋の反対側だ。二人は慌てて階段を上り始めた。


 *


 結局バスには間に合い、最寄りのバス停からまたふたり駄弁りながらのんびりと家まで帰って、風呂に入って眠る頃には日付が変わっていた。両親はとっくに就寝している。

 雫が古い四畳半の畳の上に布団を敷いて、電灯の紐を引っ張って消した時、枕元のスマホにメッセージが届いた。

 ごそごそと布団に入りながらメッセージを確認すると、白眉からだった。

『みかちゃんから連絡来た』

 なになにと読んでみるとどうやらこういうことのようだった。

 みかのスマホに非通知から着信があり、いつもは出ないのだがなんとなく気になって出て見たところ死んだ友達の声がしたそうだ。

『手がね、離れたからもう行くね。今までありがとう』

 それだけ言って電話は切れ、かけ直そうとしたら着信履歴に残って居なかったらしい。


『成仏できたんだよね。よかった』

 白眉からのメッセージにそうだな、良かった、と返した。

『じゃあまた明日。おやすみ』

『おやすみ』

 メッセージが既読になるのを見て、雫はすぐ前のメッセージを読み返した。


 手がね、離れたからもう行くね。

 手とは、あの土色の手の事なのだろう。それが離れたからあそこから出られる。それはわかる。しかし。

 行くね。とは、どこに?

 ただ消滅する、ということを行く、と表現したのだろうか。それとも、死者は死んだ後も行く世界があるのだろうか。

 行く世界があるとしたらそこはどんな所なのだろうか。天国と地獄のようなものがあって生前の行いで行く先が別れるというような事が本当にあるのだろうか。

 もしあったとしたら、兄は?

 自殺した自分の兄はいまどちらにいるのだろう?

 そもそも、兄の魂はこの世から離れてあの世へ行ったのだろうか?

 

 雫は暗闇の中で寝返りをうった。

 今夜の眠りは、なかなか訪れそうになかった。

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