第4話男子高生バディとトンネルの怪談(後日談あり)
「トンネルの蜘蛛女って噂知ってる?」
突然の白眉の言葉に雫は読んでいたホラー小説から顔を上げた。
場所は雫の自室である。四畳半ほどの部屋で綺麗に整頓されてはいるがレトロな壁紙などに建物の古さがにじみ出ている。
その部屋で二人は思い思いに雫のコレクションであるオカルト本を広げ、学校が終わってから夕食に繰り出すまでの時間を潰していた。いつものことである。二人とも両親共働きで帰りが遅いため夕食は二人で外でとる事が多い。
「トンネル……って隣の県に通じてるあれ?」
地元では有名な心霊スポットではあるが、何となく出る、という噂だけで具体的に何が出るとは聞いた事がなかった。
「そそ、そのトンネル」
白眉がおやつのどら焼きを頬張りながら答える。白眉は甘党である。
「そういや実際何が出るのか知らないなぁ。出る出るとは聞くけど」
畳んだ布団にもたれ掛かりながら雫が言った。雫の手元にはポテチとコーラが置かれている。
「だよね。俺もそうだったんだけどさ、気になり始めたら気になっちゃって」
白眉は湯飲みの緑茶に手を伸ばした。
「昨日行ってきたんだよ。噂屋さん」
「珍しいな」
噂屋さんとは学区内のあらゆる噂に精通している女子集団の事である。派手なメイクをしていて、ノリが軽い。ファミレスのドリンクバー代で情報を売ってくれるが客のえり好みが激しい。明るく顔の良い白眉は気に入られているようだ。
「なんかさー有名な割に正体がないんだよね、トンネルの怪談。友達に聞いてみても人によって言うことがちがくて」
うんうんと雫は頷く。
「んで、噂屋さん行ったら蜘蛛女だって」
「蜘蛛女って?」
「噂屋さんも詳しいこと知らないみたいだったんだよね~だから情報代はサービスだったんだけど」
「噂屋さんでも知らない事あるのか」
「だよね」
そこで白眉はぐいと身を乗り出した。
「気にならない?正体不明の蜘蛛女」
興味津々という顔である。ふーむと雫は考えを巡らした。有名にもかかわらず誰も怪異の正体を知らない心霊スポット。そこに出没すると噂される蜘蛛女。
「……気になる」
雫は言った。雫もオカルトは大好物である。
「やった。じゃいつ行く?今日行く?夕飯食ったら行く?」
白眉はわくわくとはしゃいでいる。霊感が無い割にこちらも心霊が大好きなのだった。
「んーじゃあ晩飯食ったら行くかぁ」
「あっじゃあ飯行くまでまだ時間あるから二人で課題やろ。二人でやれば終わるって」
そう言って鞄から課題を取り出した白眉は、なかなかまめに勉学に励む方なのだがいまいち成績がふるわない。おそらく要領が悪いのだろうと雫は思っている。雫は真面目にやらない割に中の上をキープするタイプだ。
時計を見ると夕食に出る時間まで多めに見積もって二時間程あった。心霊探索に行くなら少し遅い方がいいだろう。そんなことを言い合いながら二人は課題に取り掛かった。
*
結局思っていたより雫の課題が溜まっていたのでラーメン屋で腹ごしらえしてトンネルに向かったのは夜の十時半頃だった。
トンネルは雫の家から白眉の住む住宅街を抜けた山あいにあり、県外に抜ける主要なトンネルではあるが田舎なので夜間の交通量は多くない。というかほとんど通らない。
街頭がぽつりぼつりとあるだけの道幅だけは広い暗い道路をふたりでぶらぶらと歩く。ここ数日でめっきり寒くなってきて、夜はダウンジャケットで丁度良い気温だった。
「そーいやしずく、スマホ新しくしたらライン入れなくなったんだっけ?」
「そうなんだよ、なんかパスワード違うみたいで。まぁそんな困んないけど」
「連絡先とかは?大丈夫なの?」
「元々ほぼお前としかしてなかったしな。だったらメッセージで良いかって」
「やだしずくってば閉鎖的。そんな高校生いる?」
「居るんだよ。面倒じゃん既読スルーとか」
「すぐ返信すれば良くない?」
「僕返信に時間かかるんだよ……」
「俺にはすぐ来るけど」
「お前にはな」
雫はもともと筆無精な性分なのだが白眉には不思議と自然に返信が出来るのだった。気を遣わなくていいせいだろう。
そんな事を言っている内に遠くに見えていたトンネルの中が見えてきた。内部はオレンジ色の照明が等間隔に灯っている。途中でカーブしているため向こう側は見通せない。大型トラックが楽に通行できる幅だが、近くで見ると全体的に古びて黒ずんでいるせいか妙な圧迫感があった。
「……不気味だね」
入り口に立った白眉が感想を端的に言った。確かに不気味だ。
「どうする?ある程度まで行ったら引き返すか」
トンネルは長い。なにしろ隣の県まで通じている。
「そうだね。雫が何も感じなかったらなんもないんだろうし。あとさ」
白眉がスマホを取り出しながら言った。
「やっぱ撮らない?心霊写真」
しゃきっとカメラを構えるポーズを決めてみせる。
「やぁだよ。そんなもん撮ったら後腐れが残るじゃないか」
雫が手を振ってスマホを収めさせる。これまで何回かしたやりとりだった。雫は先に立ってトンネルを歩き始める。中に入ると外とは少し空気が違うような気がする。
「えーでもこれまで幽霊見てるの雫だけなんだよ?俺もなんか見てみたい」
白眉がスマホを仕舞いながら渋々付いてくる。
「見てるっていうか取り憑かれただけだよ。お前も結構な目に遭ってるのに懲りないよな」
今度は取り憑かれないだろうな、と雫はあちこち見回しながら進む。基本霊を怖いとは感じない質だが白眉を巻き込んでの大騒ぎはもう避けたかった。
「えー……取り憑かれた雫を見るのと幽霊見るのとじゃ違うじゃん。俺も幽霊見てみたい」
ぶつぶつ言いながら白眉が横に並んで歩き出す。足下が砂か何かでじゃりじゃりとして、それを踏む音がトンネル内にやけに響く。さっきから車は一台も通らない。
じゃりじゃり、じゃりじゃり。そこで会話は途切れ、二人は暫く無言で歩いた。
ふと雫は前方にちらちらと光るものを見た気がして目をしばたいた。つうっと上から一筋、白いものが垂れている。まるで、
……蜘蛛の糸のような。
「白眉」
「うん?」
答える声はのどかだ。
「前になんか見えるか?」
「……見えないけど。なに?」
オレンジ色の照明の中で、一際白く輝く糸が雫には見えている。白眉に見えないとすればそれは。
いけないと思いながら糸の伸びる天井へと雫の視線は向かった。天井は高く霞んで見える。そこに白い糸の塊とその周囲に伸びる黒い長いものを見た。その細長く黒いものは幾本も周囲に伸び、巨大な蜘蛛の脚を思わせる動きでそろりそろりと蠢いていた。
「出たぞ」
雫は短く言った。
「なにが?」
白眉が問いかける。至極のんびりとしている。おそらく何も見えていない。
「出たから、行くぞ。この間みたいになりたいのか」
声を潜めて囁く。強引に白眉の手を引っ張ってトンネルを戻ろうとする。
「まってまって何が?」
白眉が雫の手を引っ張り返しながら、気持ち潜めた声で聞く。
「お化けだよ。妖怪?なんかやばいのがいる」
「……まじで?」
白眉は少し姿勢を低くして、なにやら考えた。考えて、言った。
「……戻ろうか。また取り憑かれたら、大変だし」
いかにも残念そうではあったが雫が引っ張るままに戻ろうとする。雫は少しほっとしてそのまま戻り始めた。
……おにいちゃん。
背後から声が聞こえる。
年端もいかない小さな女の子の声だ。冷静に考えてここにそんな子供が居るはずがない。
罠だ。
とっさにそう思った雫は聞こえないふりをして進む。
……おにぃちゃん。
……なんで?
なんで、たすけてくれないの?
なんで?
「どうして」
耳元でぼつり、と低い女の声がした。捕まった、と雫は思った。
「白眉」
雫は立ち止まって握っていた白眉の手を離した。白眉は、離さない。
「多分、これ、かなり良くないやつだと思う。僕は逃げられなそうだから、逃げて」
理性が残っているうちにそこまで一気に言った。背後から蜘蛛の黒く太い脚が伸びて肩を触っている。するすると伸びた白い糸が足元に絡みついてくる。女の低い声が耳元でぼつぼつと呟く。
くらい せまい さびしい な
どこにもいない いっても なにもない ね
雫は酷い耳鳴りがして、心の中がどす黒いもので一杯になっていくような感覚を覚えた。酷く息が苦しい。
白眉はまだ雫の手を握ったまま雫の背後のものを精一杯見ようとしているようだがやはり見えないようだ。
「……もういいから行け。……逃げろ白眉」
それだけ言っていきなり白眉の手を振り払った。不意を突かれた白眉の手が離れる。
雫は振り返った。自分がこれからどうなるのか知らない。しかし自分をどうにやするやつの顔くらいは見ておきたかった。
そして、見た。
それは、黒い巨大な蜘蛛だった。
それは、白い糸で天井からつり下がっていた。
それは、本来腹がある部分に目を閉じた白い女の顔があった。
その顔は、目を閉じたままうっすらと微笑んでいた。
それは無数の影の脚を伸ばして雫の身体を引き寄せようとした。気付くと、白い女の顔が目の前にあった。それは作り物のように整っていて生気がなかった。その女の瞼にふ、と力が入り。開く、と思った瞬間。
カシャっという軽い音と共に目も眩むような白い閃光が女の目に浴びせかけられた。女の目が再び閉じられ顔が不快そうに顰められる。
知らぬ間に蜘蛛の糸にがんじがらめにされていた身体の自由が戻ってくる。
振り返ると白眉がおっかなびっくりといった顔でスマホを構えて立っていた。カメラのフラッシュを焚いたのだ。
「白眉!それもっとやれ!」
雫が叫ぶと白眉は慌ててでたらめに周囲に向かってフラッシュを焚いた。方向はほぼ的外れだったが効いている。蜘蛛の女はあからさまな不快感を表して雫を拘束する脚を緩めた。糸が空気に溶けるように消えていく。その隙にその脚から、糸から抜け出して白眉の元に走った。
「行くぞ!走れ!」
叫びながら白眉を前に追い立てて自分は後ろから走った。白眉はこちらを振り返り、振り返りながら走って行く。
雫が振り返って見ると蜘蛛女が体勢を立て直しつつあった。ダメ押しで自分のスマホを出してフラッシュを浴びせてみたが何故か全く効かなかった。
白眉のは効いたのに。
走りながら振り返った白眉がもう一度フラッシュを焚いた。蜘蛛は明確によろめいた。
あとはもう、後ろも見ずに二人で全速力で走った。
*
暫く後、二人は国道沿いにぽつんと一件だけあるコンビニの駐車場で息を整えていた。
駐車場は大型トラックが一台停まっているきりだったが周囲には電灯が皓々と明るい。コンビニの中には人もいる。ここまで来れば大丈夫だろう。なにより、結構な距離を走ったので二人とももうへろへろだった。
「ひっさしぶりにこんな走った……中学のマラソン大会思い出した」
車止めに腰を下ろしながら白眉が言う。
「僕も……もうだめだ……」
雫も隣に腰を下ろす。二人とも運動は苦手な方ではないが運動部に入って汗を流す程運動好きでもない。
暫く無言で息を整え、整え終わらない内に白眉が言った。
「……なんだったの?何が見えた?」
「……蜘蛛女」
雫は空を仰いだまま答えた。頭上の電灯が眩しい。
「えっほんとに蜘蛛女だったの?見えたの?」
白眉が色めき立つ。雫はふぅと息を整え終わると白眉の方を見た。
「……今回ははっきり見えた。こんなでっかい黒い蜘蛛に白い女の顔がくっついてた」
「うっ……」
白眉は想像したのかちょっと気持ち悪そうな顔になった。雫も虫が好きでないのでげんなりしていたが、印象に残ったのは女の顔の方だった。石膏像のように白い、整った女の顔。うっすらと微笑んで、今にも開きそうだった瞼。あの顔と目が合っていたら一体どうなっていただろう。
考えると少しぞっとする。あれは人間の霊なんてものでは無い。もっと悪意とか敵意とか絶望とか、生き物の悪い部分が凝って出来たようなものだったと雫は思う。
「あーなんか走ったら腹減った-」
いきなり白眉が脳天気な声を上げたので雫は思わず笑った。
「走ったら喉も渇いたしな。コンビニでなんか買ってくか」
「うん。おでん食べたいな~雫おでん食べない?」
もう思考はおでんに向かっているのかいそいそと嬉しそうに白眉が立ち上がる。雫はその様子に苦笑しながら後に続いて店に入った。まあ走って身体も冷えていたし温かいものを食べるのも悪くない。
二人してペットボトルの水と、レジ横のおでんを買って店を出た。
「あ、そう言えば写真映ってるかな」
店前の車止めに座ってふたりでおでんを食べているとふいに白眉が言った。
「あ」
そりゃそうだよな、と雫は思う。フラッシュを焚いたのだから当然撮影もされているはずだ。しかしあれが映っている画像などは雫は想像もしたくなかった。
「消せよ。映ってたらすぐ。あれやばいぞ」
「うん。ちょっと待って」
言いながらおでんの器を雫に預けてごそごそとスマホを取り出す。しばらくスマホを操作して、あれぇ?とやや間抜けな声を上げた。
「どうした?写ってた?」
「や、これなんだけど」
と見せられた画像には手ぶれとピンボケで酷くぶれたトンネル内の風景が写っていた。蜘蛛女が写っていないのはいいとしても、ブレ具合が尋常ではない。最近のスマホなので適当にシャッターを切ってももうちょっとまともに写りそうなものだが、ほぼ壁のグレーと照明のオレンジが混ざって抽象画のようになっていた。他に何枚か撮った写真も似たようなものだ。
「これ心霊写真って言えるのかなぁ……」
しょんぼりしている白眉を尻目に、雫は自分の撮った一枚を確認した。確認して、すぐにスマホをポケットに入れた。
「え、雫のどうだったの?」
白眉がのぞき込んで来る。雫は言った
「僕も一緒。写ってない。それ早く消せよ。縁起悪いから。僕も今消した」
思わず嘘をついた。
「え~結局今回も俺幽霊見れてないじゃん」
「いいからおでん食え、冷めるぞ」
おでんの器を差し出すと白眉はしょんぼりした顔のままおでんのちくわなどを囓っている。
その隙に雫は横を向いて水を飲んだ。そして心に決めた。よし。このことは黙っていよう。と。
「僕もおでんちょうだい。こんにゃくまだある?」
と聞いた雫に、
「あるよ、はい」
白眉が器を寄越す。器を分けて貰ってもよかったのだがその方が冷めにくいからと一つにしてもらった器だ。
「ちょっとつゆちょうだい」
雫がこんにゃくを食べ終わるのを待って、白眉が器を受け取って出汁を飲む。そのまま雫も受け取ってなんとなく出汁を飲んだ。
こんなことで浄化されるといいけども。
雫は思う。どうも白眉には霊を払うというか、寄せ付けない体質があるように思う。
今はその体質に少しでもあやかりたい気分だった。
雫の撮影した画像には。
目を開いた蜘蛛女の石膏像のような白い顔が薄く微笑んで写っていた。
(後日アップ予定の後日談に続きます)
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