疑惑
まさか、『東カレ』さんもあの洋服屋を知っていたとは。てことは、もしかしたら店主は『東カレ』さんの素顔を知ってるかも、ってことだよな。あの人、全然普段の様子を出さないから、今度こっそり聞いてみるか……。
それにしても、状況もそっくりだ。並んでたら服を汚された、なんて。あの店の立地は、何かそういう原理が働いているのか? うーん、不思議なものだ。
深夜一時時点のレビューランキングを確認してから寝るのが、おれの日課になっている。
寸胴事件を臨場感たっぷりに表現したレビューは、『らぁ麺 ハカマダ』につけられたレビューの一番上に躍り出ていた。投稿から時を隔てず読んでくれる人が多いらしく、既に連載物のような扱いになりつつある。
ひひひ。誰かが待ってくれてるっていうのは、人を幸せな気持ちにするものだ。
ウイニングランじゃないが、二位以下の、おれの後塵を拝したレビューたちにも目を通す時間がたまらなく好きだ。
上から順番に開いていったその中に、気になるレビューがあった。
「よっしー♪ のレビュー
今年83杯目
出張最終日は、あいにくの曇り空……。
でも、ここに来ると決めてたから、おいらの心は晴れ模様……!
ジャジャーン! 『らぁ麺 ハカマダ』さんでございます!
オープンから数ヶ月、遠く離れたおいらのところにも、しっかり噂は届いていましたよ……。
(中略)
※以下、余談
ようやく辿り着いた感慨に耽りつつ、行列に並んでいた、その時、あるトラブルが……!
店の前を歩いていた野良猫が、小便をビャーッ、とこちらに向かって放ったのです……!
おいらも思わず、ぎゃーっ、と叫んで飛び退きますが、時すでに遅し……。
ちくしょう……。一張羅にマーキングされちまった……!
通りの反対側でにっこりと微笑む店長さんと目が合い、臭いも気になるので、泣く泣くアパレルショップへ……。
店長さんに慰められながら、スーツを一着多く持って帰るハメになったのです……!
悔しさのあまり、実はあの店長さんが手なづけている野良猫で、通りがかりに小便を引っ掛けさせ、服を買わせる商法なんじゃないか!? などと、あらぬ妄想までしてしまったのでした……。
そんな悲惨な事件もありましたが、ラーメンには関係なし……!
味は前述の通り素晴らしかったので、星4.2です……!」《参考になった 205件》
おいおい、この人も同じ被害に遭っているぞ。
それに気になったのは、洋服屋の店主が野良猫を手なづけているんじゃないか、というところ。
それ自体は確かに妄想かもしれないが、真実に近い何かを感じるのだ。
おれと、『東カレ』さんと、この『よっしー♪』の共通項は……。
まず洋服屋『ゴールデンスランバー』の向かいで食事をしようと行列に並び、それから並んでいる最中に服が汚れ、そして『ゴールデンスランバー』で新しい服を買う。
洋服屋、飲食店、服の汚れ、服を買う、それが三人の体験に通ずる要素だ。皆、なぜか最後は洋服屋に吸い込まれてゆく。
待てよ……? 洋服屋が手なづけているのが、野良猫なんかじゃなく、向かいのインドカレー屋であり、ラーメン屋だったとしたら?
はっ! もしかして、あいつらはグル……? ということは、ええと、つまり、洋服屋はラーメン屋に行列ができているのを良いことに、その客をターゲットに服を汚させているのではないか。困った客が、服を新調しに洋服屋に駆け込んでくるように!
そしてラーメン屋もバイトを使って、(わざとスープをこぼすなど協力をしては、)いくらかキャッシュバックをもらっているのではないか!?
いやいや、落ち着け。おれが泥水を跳ねられたのは通りすがりのバイクだったじゃないか。あれは洋服屋もラーメン屋も仕込める類のものじゃない……。
ん? バイク、バイク……。
あっ、デリバリー用のバイクがラーメン屋の前に停められていたはずだ! 泥水を浴びた時、直接バイクを見た訳じゃないのが惜しまれるが、デリバリー用のバイクを使えば不可能じゃない。
そう考えると、『ゴールデンスランバー』の店主が不運に見舞われたおれにやけに優しいのも、そういう訳か、という気がしてくる。
毎回やけにちょうど良い服や靴が揃えられているのも、狙ってやっているからこそ、だとしたら……。
ああ、くそう。だんだんグルだとしか思えなくなってきたぞ。まだ証拠の無いただの直感だが、おれはおれの直感を信じる。ハメられていたなんて、悔しい! 悔しい!
深夜三時を回ってるというのに、色んな仮説や、それを証明し得る記憶が次々と脳裏に浮かんできて、ちっとも眠れなかった。
おれは、次の日、『らぁ麺 ハカマダ』と『ゴールデンスランバー』がグルだという証拠を掴むため、商店街に赴くことに決めた。
仕事が終わり、夕暮れの赤い空がゆっくりと退いていく時間帯、おれはラーメン屋から二軒隣りのスーパーの前で、電柱の影に隠れていた。ここから被害発生の現場を待ち、発生と同時に犯人を問いただすのだ。
おれが行列に並んでもいいのだが、バイクの時のように水を被ったりしたら犯人の顔を見逃すかも知れない。ここはあえて距離を置いて見守ることにする。
今日も既に五、六人は順番を待っている。ああ、いつもと違う角度から眺める風景のせいか、少し緊張してきた。さあ、よおく観察して違和感を見つけ出すんだ。
ラーメン屋の隣で工事してるおっちゃん、生コンクリを重そうな台車で運んでるなあ。
犬の散歩してる奥さん、犬のした小便を洗い流すための小さいペットボトルを持ってるなあ。
ラーメン屋のバイト、今日のおすすめをボードに書いて掲示するために、色とりどりのペンを使ってるなあ。
いかん、どいつもこいつも怪しく見えてきてしまうぞ! 誰を目で追ったらいいのだ。
いっそ、一人ずつ話を聴いていくか? いや、それじゃあただの不審者だ。
『ゴールデンスランバー』の店主は、相変わらずレジカウンターのところで穏やかに外を眺めている。その微笑みの裏に、したたかな悪意が潜んでいるのをおれが暴いてやるぞ。
しかし、いくら待てども何も起こらない。
やがて商店街の街灯や、電子看板のライトが道路を照らし、降り始めた霧雨がぼんやりと辺りを包んでいた。傘を忘れたおれは使命感に燃えていたから、それでも寒さを感じなかった。
ここまでの間、『ゴールデンスランバー』に客が入った形跡無し。やはりラーメン屋の、服を汚された客くらいしか来ないのだ。
ああ、早く真相を暴きたい! 店主のしまった! という顔を見たい! ラーメン屋に並ぶ何も知らない客たちに、忍び寄っている悪意について教えてやりたい!
痺れを切らしたおれは、行列の最後尾に並んでいた。どこからでも仕掛けてくるがいい。『ゴールデンスランバー』の店主が、お得意様のおれを見つけて、すぐに動くだろう。
さり気なく、ぎょろぎょろ、と目玉を振って警戒する。
通行人もラーメン屋のバイトも、共に並んでいる客ですら、信用ならない観察対象だ。
ああ、公安警察の覆面潜入捜査ってのは、ちょうどこんな気分なのかもな。周りの誰のことも味方と思えず、ちっとも気を抜けない。
ひとり、またひとり、と店内に呼び込まれ、待ち列がずずっ、と前に進んでいく。
おい、洋服屋! 今日はやけに慎重じゃないか。何を怯えているんだ、もうすぐ順番が来てしまう。
と、道の反対側に目をやったその時、
『ゴールデンスランバー』にそそくさと入っていく若者がいた!
すかさず服装を確認すると、若者の履いているジーンズには、黄色や、オレンジ色や、水色のインクが、ピャッ、ピャッ、と飛び散ったように塗られている。
あの若者、既にやられている!
ずっと目を光らせていたのに、なぜ気付かなかったんだ、ちくしょう。
ああ、何も知らずに店内を物色している。待ってました、とばかりに、店主が若者に話しかけた。騙されるな、そいつが仕組んだことなのだ。
「次でお待ちの方、店内へどうぞー」
バイトの兄ちゃんがドアから顔を覗かせるが、構っていられない。本当は犯行現場を押さえたかったが、もう行くしかない!
おれはたまらず並んでいた列を外れて、『ゴールデンスランバー』へ向かって飛び出した。
「おい、あんた! ここでジーンズを買うのはやめるんだ
あんた、気付いてないだけで、この老人に騙されてるんだ」
「はあ?」
「ジーンズが汚されたのは偶然じゃない、こいつの指示でやったことなんだよ」
弾む息で、必死で若者に訴える。若者の肩を両手でがっしりと掴む。
おれの、この真剣な表情から真実だと読み取ってくれ。
「ちょ、意味が分かんねえよ。おれ、別にジーンズ汚されちゃ……」
「いいから、ここで買うのはやめるんだ」
若者はまだ飲み込めていない様子。おれが教えてやらないと。
おれの両手にはさらに力が込もる。どうすればいい、無理やり店の外へ連れ出すしかないのか……!
困惑する若者と向き合うこと数秒、肩に置かれた両手を、別の手が押さえつけ、ぐぐぐ、とゆっくり剥がした。店主だった。
「あなた、最近よくうちにいらっしゃる方ですね?
一体どういうつもりですか? 店内で他のお客様にご迷惑をかけられては困ります」
「よくいらっしゃる、だと? 白々しい。
おれは気付いたんだよ。おれがあんたから買ったスーツも、ジーンズも、革靴も、おれが買ったんじゃない、あんたに買わされたんだってことを!」
おっと、おれ自身でも思った以上のでかい声が、店内に響いた。正義感から頭が熱くなって、ちょっと、自分で自分を制御するのが難しくなったみたいだ。
店主は、まさか悪事が明るみに出るとは考えもしておらず怯んだのか、じっとこっちを見ている。
若者は奇妙な人間を見るような、哀れむような視線をこちらに向けて、おれと距離を取るように後退りした。
なぜだ、どうしておれがおかしなことを言っているような空気になるのだ。おれはただ真実を教えてやっているだけなのに。
ついに店主はおれに対して、
「お客さん、とりあえず、何も買う気がないなら外に出てくれ」
と、これまでになく強気な態度を取るじゃないか。なんだよ、こっちが悪者扱いかよ……!
次なる手を打てないままに呆然としていると、どんどん出口の方へ体を押され、ドアを押し破るように退店させられた。
さっきまで霧雨だったのが、ざあざあ、と道路を洗い流すような雨に変わっていた。
ええい、構わん。店主がいるとどうせ無実を主張するに決まってるし、ややこしくなるだけだ。
おれはラーメン屋に並ぶ客たち、つまり近い将来の被害者たちに訴えることにした。
「なあ、そこで並んでる君たち!
聞いてくれ、今からおれは、にわかには信じられないことを教えるが、決して嘘ではない!」
大声に驚き、客たちが一斉にこちらを向く。おれは続けた。
「そのラーメン屋『らぁ麺 ハカマダ』と、この洋服屋『ゴールデンスランバー』は、結託して客を騙し利益を得る、悪徳商売を働いている!
被害に遭う前に、その店に行くはやめなさい!」
強い雨がおれの全身を打つ。
行列の客たちはおれを見ているが、その眼差しはそのままさっきの若者のそれと同じだった。行列から外れる者は現れない。
おれや『東カレ』さん、『よっしー♪』の被害のことも、経緯や裏側で起こっていたことについての仮説も含めて全力で説いたが、状況は変わらなかった。
おかしそうに撮影する者や、既に興味を失って俯いている者もいる。まずいぞ、おれが頭のおかしな奴みたいになっていないか?
『ゴールデンスランバー』の店主は、この惨めな姿をしたり顔で見ているはずだ。くそう! くそう! もう店主のいる後ろを振り向くのも嫌だ。
身をもって分からせるしかない。おれの追い詰められて縮こまった脳内に発想されたのは、最終手段であるそれだった。
おれはズン、ズン、と行列に近づくと、道にできた水たまりを手ですくって、バシャ、バシャ、と水の塊を投げつけていった。
「呑気に並んでたら、服を汚されるんだよ!
ほら、汚されないようにガードしないと! ほら、ほら、ほら!」
「うわっ、何すんだよ」
「ふざけんな!」
「こいつ、まじか」
「うるさい! 嫌ならこの店に並ぶのをやめろ。並んでいる限り、それがどれだけ愚かなことか、おれが教え続けてやる」
迷惑そうに舌打ちをする客たち。おれが近づくと、傘を横に倒して水がかからないようにする。
「そうそう、そうして身を守れ! 服を汚されて、金を巻き上げられちまうぞ」
「おい、おっさん、勘弁してくれ。うちの客に何てことしてくれるんだ」
おれよりも体格の良い人物が店内から出てきて、詰め寄ってきた。白い鉢巻の下から汗が流れ出して、鬼気迫る表情である。
こいつが、あの悪党の老人と手を組んだラーメン屋の店主か?
「おれはお前らの被害者だ。
訴えられたくなかったら、今すぐに服と靴の代金を返金しろ!」
「警察呼んだから」
「え?」
軽々と両脇を持ち上げられ、店から遠ざけられる。なんて情けない格好だ。
「おい! 手を離せ!」
道端の通行人のいないところに投げ捨てられ、簡単に組み敷かれてしまった。
ぺっ、雨が口に入ってくる、苦しい。
すぐにバイトが数人駆けつけ、店主と交代し、警察が来るまで待っているよう、指示を受けていた。
程なく警察も到着しておれの身柄を拘束してくる。おかしい、悪いことをしてるのはおれじゃない。
「あそこの店長だ、あいつを捕まえてくれ!」
「分かったわかった、濡れちゃうから早くパトカーに入れ、な?」
「みんな、騙されてる!
おれがみんなに教えてやらないといけないんだ! おれが教えてやらないと!」
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