フクメン調査

はいの あすか

レビュー

 おれのことを知ってるかい? いや、おれのことは知らなくても、きっとおれの別名『ラーメンの羊』が書いたレビューを読み、食欲をそそられ、腹を空かせたことはあるだろう。

 なんせ、みんなが使ってる食べマップってあるだろ、おれは食べマップのラーメン百名店のうち、なんと四十軒で、No.1レビューを獲得している。『参考になった』を押したやつが多いということだ。

 

 おれのオススメしたラーメン屋は、たちまち客が増える。二号店も三号店も夢じゃない。だから、ラーメン屋たちも正体の知れない、このレビュワーの来訪を密かに待っているのさ。さしずめ、某グルメガイドブックの覆面調査員みたいなものだな。

 

 No.1レビューになるとその店のメニューが安くなったり、無料で食えたりするってのも、もちろんレビューを書く動機なんだが、(それでみんなが質の良いレビューを書こうとして、サイト自体の品質も保たれるっつうカラクリだ)、おれはただ単純に、まだ本当に美味いラーメンを知らないやつらに、どれだけ食いに行く価値があるか教えてやりたいんだ。だって、おれだけが知ってるなんて、ずるいだろう?

 

 というわけで、今日は会社の隣駅から徒歩五分の商店街に新しくオープンしたラーメン屋を訪問することにした。

 元々インドカレー屋だったとこで、そこもすごく本格的で美味かったんだが、少し前に閉店してしまったらしい。SNSで繋がっているレビュー仲間が(そいつはカレー屋専門で、名前は『東京カレーンダー』)、

 

「『羊』さん、あそこの次のテナント、ラーメン屋みたいですよ。通りかかった時にキッチンの様子見た感じですけど」

 

 と連絡をくれたので、気になっていた。ちょうど仕事で近くに寄る用事があったので、上司に直帰の許可を得て、突撃してみるのだ。

 

『らぁ麺 ハカマダ』、ここだな。むむむ、暖簾分けでもないニューカマーの割に、すでに結構行列ができている。食券は順番が来てから購入するシステムのようだ。ゆっくり並びながら、レビューの文章でも考えるとしよう。

 

 レビューというのは、書き出しが重要なんだ。いきなり食事のシーンでは風情が無いだろう。幾多のレビューがあるなかで、読者を引きつけて読ませないといけない。

 

 どういう日に、どういう経緯でその店を選んだのか、それに、その時々の社会情勢なんかも盛り込みたいところだ。

 コロナの時は、待ち列の対応が店によって様々に分かれた。シンプルに離れて並べ! だったり、QRコードや何かで、違う場所でも待ち人数が分かる仕組みを導入したり、変わらずぎゅうぎゅう並ばせるようなところも……

 と考え事をしていたら、

 

「うぉっ!」

 

 ふとスマホを持つ左手の脇腹を見たら、ペンキがべったりついてるじゃないか。鮮やかなオレンジ色の。

 なんだこのペンキは。付近を見渡すと、薄汚れた狭い道を挟んだ向かい側で、年季の入った洋服屋が工事をしている。作業員の足元にペンキの缶が置いてあるのが見える。

 きっとあいつだな。何かの拍子で、バシャッ、と飛ばされたのが付いたんだろう。あーあ、せっかくの大事な商談用のスーツが台無しに……。

 文句をつけにも行きたいが、あいにくもうすぐ順番が来てしまう。どれを頼むか決めておかなければ。

 もたついて後ろの客に迷惑をかけるのは避けたい、それに店の回転率にも悪影響だ。それがおれの流儀である。

 

 

 

 非常に、美味かった! 思わず微笑みをたたえて退店する。おれのストライクゾーンを射抜かれたような感じだ。澄んだ醤油スープに、プッツン系の麺。

 ただ、食券機の隣に、さらに待ち列用のスペースが用意されていたが、少し客席に替えてもいいんじゃ? とは思ったな。

 ともあれ、諸々含めて、これはレビューの筆が進む予感がする。写真もしっかり撮ってある。

 

 すっかり暗くなった空の下、入店前に因縁のあった洋服屋は、今日の工事作業を終えていた。外装工事だけで、中で営業は続けていそうだ。

 

 同じ目に遭う客がいないとも限らないから、洋服屋の店主にあったことだけは伝えるとするか。おれがちゃんと教えてやらないとな。そしてあわよくば、クリーニング代も弁償させよう。ひひひ。

 

 店内に入る。二十年ほども前の流行服が、弱くなった蛍光灯の光のなか、ところ狭しと吊るされている。

 

「あの、店長さんはいらっしゃいます?」

「ええ、私ですが?」

 

 白髪を短く切り揃え、フチの薄い丸眼鏡をかけた老人が応じた。店内のラインアップの割に、店主の趣味は洗練されている、肌つやの良い老人といった感じだ。

 

「さっきまで外装工事をしてらしたでしょう。そのペンキを付けられちゃったようで」

 

 上半身をねじって、左脇腹を見せる。

 

「おやおや、これは申し訳ないことをしましたな」

「いやあ、いいんです。明日からも同じことが起きないように、注意して頂けたらと、ただそう思いまして」

 

 さて、店主はどう出るか。

 

「ええ、もちろん、業者には注意しますとも。

 それとお客さん、新しいスーツがご入り用でしたなら、今回の件の謝罪も兼ねて、特別価格でご提供いたしますよ」

 

 そう来たか。なるほど、それも悪くない。そろそろ少し大きいサイズに変えたいと思っていたところだ。

 

「スーツも置いているのですか。見当たりませんが」

「長年お付き合いのある特別なお客様にしか、お見せしておりませんので。

 少々お待ちください、持ってまいります」

 

 店主が持ってきたスーツはおれでも分かる、かなり上等なものだった。ウール生地の、丁寧な縫製で作り上げられた、丈夫そうなジャケット。普通に買ったら十万円前後はしそうだ。

 袖を通してみると、偶然にもサイズはぴったり。こういうのは余裕のある食事を楽しむ、体格のいい中年男性に合うように作られているのです、と店主が言う。

 

「これをおいくらで売って頂けるとおっしゃるんです?」

「そうですね、三万円でいかがでしょう? もちろん、お客様だけの特別です」

 

 破格だ。このクオリティのスーツをこの価格で着られることが無いことくらい、少しサラリーマンをやってればおれにだって分かる。

 買うべきだ、おれの直感がそう囁く。そして、おれは直感を信じる。

 今まで、下調べもせず歩いた道でふと気になり、妙に惹かれて見つけた知られざる名店、それらに出会えたのは、磁石で吸い寄せられたような直感を信じたからだ、とおれは思っている。

 

「このスーツ、ぜひください」

「かしこまりました、気に入って頂けて何よりです」

 

 厄介なクレームを持ち込んできた客が溜飲を下げたのを察して、店主もいくらか安堵した様子だった。

 

 

 

 前回のレビューはそこそこのヒットを飛ばし、ランキング三位に食い込んだ。レビューへのコメントでは、実食前後の、スーツにまつわるエピソードのウケも良かった。ひひひ、超お買い得のスーツを手に入れただけでなく、レビューのネタにもできてしまったぞ。

 

 そういえば、醤油ラーメンのほかに鶏白湯ラーメンもあったな、と思い出し、再度訪問してみる。何度も投稿するほどレビューの信用度も増して、『参考になった』ボタンも押してもらえる、という狙いだ。

 

 しとしと降りの雨の中、人通りの少ない商店街で、今日も行列ができていた。しょうがない、並ぶか。

 洋服屋の工事は終わったみたいだから、今度は前回みたいなエピソードは起こらないだろう。

 まあいい、エピソードが無くたって、おれのこれまでのラーメン紀行から導き出したラーメンの教えが、数え切れないほどある。

 例えば、海無し県、埼玉には意外と思われるかもしれないが海鮮だし系の店が多い。これは埼玉県民の海への憧れが……

 と頭をひねっていると、

 

 ブーン バシャッ! ビチャッ!

 

 とバイクの走行音と、水の飛び跳ねる音。

 ひんやりして腰のあたりを見ると、股間のところが濡れて色の変わったジーンズ。

 

 しまった! 灰色の空に景色も染められていたせいで、水たまりがあることに気が付かなかった。しかも、べっとりした泥水じゃないか。手でパン、パン、と払っても落ちやしない。

 くそう、この格好で店に入るわけには行かないか。椅子を汚してしまう。店員の清掃のオペレーションを増やしかねない。これもおれの流儀に反する。

 

 やむを得ん、と行列を抜け出し、激しくなってきた雨に濡れながら、向かいの洋服屋に駆け込んだ。

 

「店長さん! 訳あってジーンズを今すぐ買いたいんですが」

「ああ、この前のお方。

 ジーンズですね、ええ、ありますとも」

 

 そして、今回もこの店で服を新調することになった。

 しかも、裏で息子さんがクリーニング屋をやってるので、汚れたジーンズはそちらで綺麗にしてくれるとのことだ。なんと、初回ということで、クリーニングの方はタダ!

 このご時世にもかかわらず、太っ腹な店も残っているものだ。だんだん、この洋服屋が気に入ってきたぞ。

 

 皺ひとつない新品のジーンズを履いて列に並び直す。ようやく食べられた鶏白湯ラーメンはこれまた絶品で、塩分は控えめに、鶏の旨みが染み渡るあっさり系。麺はツルツルしていて、醤油の方と変えてきてるんだな。

 試行錯誤の痕と工夫が感じられて、思わず口角も上がる。おれも、これからは気分によってジーンズを使い分けてもいいかもな。ひひひ。

 

 

 

 またしてもハプニングのあったことも織り交ぜて書いたレビューは、今回も高評価を得た。缶チューハイ片手に、ニタニタと緩む頬を抑えようともしないで、コメントを眺める。

 

「『羊』さんが引き寄せちゃうのは、美味いラーメンだけじゃないのですね!」

 

 そうそう、そうなのだ。ラーメンを巡っていると、ラーメン以外の想定外の出会いもあるのだ。それもひとつの醍醐味だと思わないかい。

 

「私が同じ日に行った時は『道路の水跳ねに注意!』と看板立ってましたよ。よく周りを見て、人の話を聞くべきかと」

 

 ん? 何の話だ? おれが店の言うことを聞かなかったことなど一度も無い。

 でも待てよ、むむ、確かに他の並んでた客は濡れていなかったような……。しかし、知り合いでもないのに説教を食らったようで気分が悪い。見なかったことにしよう。

 

「次回もハプニング付きのレビュー、楽しみにしてます!」

 

 そのコメント通り、三回目の訪問も散々だった。あろうことか、店のバイトの兄ちゃんに、寸胴の中身をぶち撒けられたのだ!

 

 行列に並んでて、前の人が進んだからおれもゆっくりついて行っていた。そしてちょっと余所見をしたその一瞬で、なぜか目の前で店員が寸胴をひっくり返そうとしてるじゃないか。

 立ち昇る湯気に包まれておれのことは視界に入っていないらしく、上半身ほどもあるそのずっしり重たい寸胴を傾けている。

 きっと、スープを仕込んでいる二つの寸胴のうち、一つが今日は使い終わって、早速洗ってしまおうということだろう。

 だが、こんな客の並ぶ道端でスープを捨てるのか、普通?

 

 おれは慌てて逃げようとしたが、遅かった。排水溝から一時的に溢れ、勢いを増して足元に流れてくるスープ。商店街の街灯をきらりと反射する、自慢の革靴が浸ってしまった。不幸中の幸いか、熱湯が足まで染みることはなく火傷はしなかったが。

 バイトの兄ちゃんが必死に謝ってきたし、この店のおかげでレビューの閲覧数も増えてるから、責めるに責められない気持ちでいた。

 

 もはや、こっちの常連にもなりつつあるが、向かいの洋服屋で革靴を買い替えた。何でもあるな、この店は。

 店主に、ラーメン味の革靴なんて世界に一つだけですよ、本当に買い替えてよろしいので?、なんてからかわれ、笑い話になったのがせめてもの救いだった。

 

 

 

「ってなことがあったんだよ。立て続けに三回も!

 レビュー閲覧数も参考になった数も調子いいけど、嬉しいんだか悲しいんだか、分かりませんよ」

 

 レビュー仲間とのSNS上のボイスチャットでも、その話題をみんな聞きたがった。

 

「あれって実話なんですね。ちょっと疑っちゃいましたよ。

 そのラーメン屋、前世で『羊』さんとご縁があったんじゃないですかね? もしくは、呪われてるか」

 

 歴戦のレビュワーたちも、こんな不運な人は見たことがない、と口を揃える。おれだって初めてだよ。

 おれにあのラーメン屋を紹介してくれたカレー屋専門レビュワー『東京カレーンダー』も、ボイスチャットに参加していた。

 

「その洋服屋って、『ゴールデンスランバー』ですよね?」

「そうそう、行ったことあります? 古ぼけた雰囲気の割になかなか品揃えが良くて、おすすめですよ」

「ええ、昔一度だけ行きましたよ。

 そういえば、私もカレーを食べようと並んでたらシャツが汚れちゃって、それで新しいのを買いに行ったんだっけな」

「えっ、『東カレ』さんもですか。奇遇ですね。

 あそこの店長さん、親切だけど気さくで、良い方ですよね」

 

 おれの独壇場と化したボイスチャットにいい気分になっていたら、思いの外、時間が経っていた。いかんいかん、今日のレビューランキングをチェックする時間だ。仲間たちに挨拶をし、退室する。

 

 

 

「『羊』さん、いなくなっちゃいましたね。

 ちなみに『東カレ』さんは、どんな風に服汚されちゃったんです?」

「いやいや、私の場合は自分で汚したのですよ。

 想定より早く順番が来そうになっちゃって、持ってたコーヒーを急いで飲もうとしたら、こぼしちゃったんです」

「なんだ、自業自得じゃないですか。レビューは鋭いのに、日常生活は意外とぼんやり!?」

「あはは。恥ずかしいのであんまり詮索しないでくださいよ。でも、そうかもしれません」

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