第5話 白いドレスの女

 上から降りかかってくる災難。

 シャスディが空を仰ぐと、階段の手すりに並べられている鉢植えがゆっくりこちらへ落ちようとしているところだった。それも、一番大きい鉢植えが。

 この非常階段は名前こそ「非常階段」だが、単なる外階段でしかない。その手すりにはいくつかの鉢植えが並べられているのだ。

 今度は上から来たわね。

 予知していたせいもあって、シャスディは冷静だ。

 落下してくる鉢植えを、一睨みして空中ではじかせた。土や鉢のかけらが、周りにばらばらと落ちる。真下にいたシャスディには、小石一つ当たらない。

「ごめんなさいっ」

 上から、女子の声が降ってくる。どうやら、階段を掃除している生徒のようだ。ホウキで掃いているうちに鉢植えに当たってしまった、というところだろうか。

 正確には、当たらされてしまった、という方がいいのだろう。

 他者を使っての攻撃だから、黒幕の気配は察知できない。

「あなた、ケガしてない?」

「大丈夫よ。でも、鉢植えはぐちゃぐちゃだから、ちゃんと片付けておいてね」

 ぐちゃぐちゃどころか、花以外にまともな形で残ったものはなかった。でも、シャスディだってそこまで面倒はみきれない。

 それだけ言い残すと、シャスディは再び焼却炉へ向かった。

 ガラスや鍋に比べれば、今のなんかかわいいもんよね。そりゃ、まともに当たれば危ないけど。

 あのカラス以外、攻撃方法が陰険よね。バスケットのボールは微妙だけど、どれも偶然の事故を装ってる感じだもん。

 だが、これからもこういう形で襲ってくるのであれば、こうしたら危ないな、と思う物や場所に注意すればいい。もちろん、アンテナはしっかり張っておいて。

 焼却炉まで来ると、数人の生徒が順番待ちをしていた。用務員のおじさんが、ゴミを中へ放り込んでくれるのだ。

 アンテナは何も感じない。近くに危険はないようだ。こんな火の近くで何かされたりしたら、とんでもないことになりかねない。

 焼却炉の前まで来た時、後ろからどんっと押されたりしたら……。

 さすがにその時は、そばにいる用務員のおじさんが助けてくれるだろうが、そのおじさんがどんっと当たってしまう可能性もある。もちろん、不幸な偶然で。

 あまり火には近付かない方がよさそう。え……火?

 焼却炉の口から、時々火が出てくる。中では、勢いよくゴミが燃えているのだろう。

 それを見たシャスディは、急に恐怖を覚えた。

 いつもと変わらない焼却炉が、まるで火を吹くドラゴンか何かに見えてしまいそうな、その火に焼かれてしまいそうな錯覚が起きたのだ。

 違う。焼却炉は焼却炉よ。火が出てるのだって、これまで何度も見てるじゃない。これって相手の心理作戦よ。

 そうは思ったが、アンテナには何の信号もない。見えない敵が仕掛けているのではないのだ。

 それなら、この恐怖は何なのだろう。

 いつの間にか、シャスディの番が回ってきていた。

「こんな重いのを、一人で持って来たのかい」

 用務員のおじさんがシャスディの持って来たゴミ箱を持ち上げ、焼却炉の中へゴミを放り込む。火は新しいエサをもらって喜んでいるように、勢いを増した。

 それを見ていると、気分が悪くなってしまう程、恐い。

「ありがとうございました」

 どうにかそれだけを言うと、シャスディは急いで教室へ戻った。とにかく、あの火から離れたい。

 階段を上り、教室が近付くにつれて恐怖は薄れていった。さらに時間が経つと、平常心に戻る。

 そうなると今度は、どうしてあんなに火が恐かったのか、不思議になった。

 急に火が怖くなるなんて。でも、危険は感じなかったし……おかしいわね。

 色々考え、それから急に結論が出る。

 そうか、あたし、魔女になったんだわ。魔女って、火が恐いのよ。処刑される時に、火あぶりにされるから。焼却炉の火はかなり燃え上がっていたから、恐かったんだわ。

 それなら納得できる。感度一杯にしても敵からの信号は感じ取れなかったのに、恐怖を感じてしまったのは、自分が魔女ゆえに。あれだけは、本当に敵の仕業ではなかったのだ。

 だけど、魔女だって火の魔法は使うんじゃないの?

 人の目がない場所で、シャスディは指先に小さな火を出した。ケーキに立てるローソクの火くらいのサイズだ。せいぜい、小指の爪くらいの火。

 じっと見続けていると気分がよくないが、別にさっきのような恐怖はない。自分が出した火だからか、サイズの問題か。

 うーん、それなりの推測はしたけど、火をみるたびにこれじゃ困るわね。じきに臨海学校があるのに。あれって、夜に必ずキャンプファイヤーするのよねぇ。うまく理由を付けて、参加しない方がいいかも。あ、でも、火の周りでダンスするんだよね。聞いた時は恥ずかしいからやだなぁって思ったけど、今はウェルレイドと踊りたい。だけど、火が……。悩ましいよぉ。

「おーい、シャスディ。どこへ行くつもりだ」

 ウェルレイドの声に、シャスディははっとする。ぼーっと考えていたので、声をかけられなかったら教室を通り過ぎる所だった。

「どうかしたか? ちょっと顔色がよくないみたいだけど」

 まさか「火が恐かったの」なんて言えない。

「うん……」

 本当はもうさっきの恐怖はなくなっているし、顔色はよくないかも知れないが、じきに治るだろうということもわかっている。

 でも、せっかく気にかけてもらってるんだし……。ちょっとくらい、甘えてもいいよね。

「少し具合が悪いみたい……。送ってくれない?」

 もう掃除時間は終わりだ。放課後になれば、クラブのある生徒はクラブ活動、帰宅組は帰宅する。

 ウェルレイドは文化系クラブだし、それも毎日活動のあるクラブではなかったはずだ。

 頼めばきっと送ってくれる、とふんで、シャスディはそう言ってみた。

 ほんの少し、魔法も使っている。

「構わないけど。今日は色々あったもんな。少し休んでから帰るか?」

 案の定、ウェルレイドは承知してくれた。

「うん、そうね」

 シャスディは心の中で、ぐっと拳を握りしめた。

☆☆☆

 今までならとても言えなかったことが、こーんな簡単に言えるなんて。まるで夢みたい。でも、夢じゃないわよね。だって、ちゃんと隣にウェルレイドが歩いてるんだもん。間違いなく、現実よ。

 こうなったら、さりげなく倒れかかるふりなんかしちゃってさ、ムードによってはそのまま好きって告白したりして……きゃーっ。

 一人で舞い上がっているシャスディ。さっきの火の恐怖は、見事にきれいさっぱりなくなっている。

 ウェルレイドと一緒にいられる、と思うだけで、心の中がピンクに染まりそうだ。いわゆる、天にも上る気持ち、というやつだろうか。

「気分、悪くないか?」

「うん、もう平気」

「ゴミの臭いで、具合悪くなったのかな」

「生ゴミだったんじゃないから、そんなにひどい臭いじゃなかったけど……そうかもね」

 ゴミではなく、ゴミを焼く火が原因だったのだが。

 二人は雑木林のそばの道を歩いていた。時々、シャスディが通る道だ。

 林と呼ばれたりするが、細い木と雑草が生えている程度のもの。昔、個人商店があったらしいが、廃業して更地になり、手を付けられることなく雑草パラダイスになったのだ。

「シャスディは、いつもこの道を歩いてるのか?」

「毎日じゃないけど」

 せっかく片想いの彼と一緒なのだから、もっと遠回りして帰りたい、というのが本音なのだが、あからさまに「遠回りしている」というのがわかるような道しかない。いつも通っている道よりもわずかに距離がある、この道を行くしかなかった。

 ちょっと遠回りして帰りたい気分の時に、ここを通ったりするのだ。

「昼間はいいけどさ、夜に通るのはやめた方がいいぜ」

「どうして?」

「どうしてって、雑木林の中に変質者なんかがいたら、危ないだろ。ここは森ではないし、周りは住宅街だけどさ。万一ってこともあるし」

 ああ、ウェルレイドはあたしのこと、心配してくれてるんだ。

 シャスディは変質者に対する恐怖より、ウェルレイドが心配してくれて嬉しい、という気持ちの方が大きい。

「うん、気を付ける」

 素直にシャスディは返事した。

 どうせ変質者が出たって、魔女にかなうはずがないのだから恐いものなしだ。でも、それはそれ。

 あ、変質者で思い出した。あたしを狙ってた奴を見付け出すの、すっかり忘れてた。ウェルレイドと帰れるってことに舞い上がっちゃって……。いいや、明日にしよう。

 そう考えたシャスディがウェルレイドの方を見ると、彼が雑木林の方を向いていることに気付いた。何かあるのかと思ってシャスディもそちらを見ると、奥の方に女性が立っている。

 わずかに距離があって顔ははっきりしないが、若い女性のようだ。シャスディと同じような長く黒い髪が、風もないのになびいて広がっている。

 長袖の白いワンピース……いや、ロングドレスのような服を着ているが、場所と格好があまりに不釣り合いだ。

 誰? こんな所で何をしているのかしら。こんな草ぼーぼーの所に立ってたら、虫にさされちゃうわよ。

 シャスディがそんなことを思いながらそちらを見ていると、女性が手招きした。こちらへ来い、と誘っているかのように。

 表情はよく見えないが、わずかに笑っているようだ。ゆっくりと、その手はおいでおいでと言っている。

 急にウェルレイドが歩き出し、シャスディはどきっとした。

「え、ちょっ……ウェルレイド?」

 シャスディが呼ぶが、ウェルレイドは返事もせずにその女の方へと進む。

 ちらりと見えたウェルレイドの表情がおかしい。まるで意識がないような、全ての表情が消えたような顔をしている。

「待って、ウェルレイド。止まってっ」

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