第4話 許せない

 何かわからないが、このまま行くと危ない。そんな気がする。

「どしたの、シャスディ?」

 後ろを歩いていたケイティ達が、急に立ち止まったシャスディに聞いた時だった。

 進行方向にある、渡り廊下への出入口の戸。そこにはめられていたガラスが、突然割れた。何かが外から飛んできて、ガラスに当たったのだ。

 大小の破片が、シャスディ達の方へ飛んでくる。

「きゃああっ」

 誰もが反射的に顔を手で覆うようにしながら、悲鳴を上げた。シャスディは悲鳴を上げながらも、シールドを張る。

 あとわずか、という所で破片は見えない膜にさえぎられ、床に落ちた。

「な、なによぉ、どうして急にガラスが割れるの」

 ケイティが震える声で言った。

 ガラスの破片の中に、野球のボールが転がっている。犯人は、このボールらしい。今日はボールによる厄日だろうか。

 だけど、このボールって……?

 ガラスの割れる音と悲鳴で、近くにいたらしい先生が数人走って来た。外から、男子生徒のグループも慌てて駆け付ける。

 誰もが、割れる音より悲鳴の方に焦っていた。誰かケガをしたのではないか、と。

 男子生徒の一人がバットを持っているところを見ると、彼らの投げたか打ったかしたボールがこちらへ飛んできたようだ。

 普通に考えれば、そうなるだろう。状況を見れば、それしかない。

 だが、シャスディにはとてもそうは思えなかった。

「誰かケガはしていないか?」

 先生の問い掛けに、誰もが首を横に振る。

 魔法がない状態であれば、先頭にいたシャスディが一番大ケガをしていただろう。

 シャスディのシールドのおかげで、破片はシャスディの少し手前から後ろにはない。ケガをするはずもなかった。

「お前らが割ったんだな」

「……すみません」

「後片付けは、自分達でやりなさい」

 ケガ人がなければ、単なる破損事故。先生達は加害者に後片付けを命じる。

「……はい」

 転がっているボールと、持っているバット。思いっ切り心当たりがある男子生徒達は、一切の言い訳ができない。

 仕方なく近くの掃除用具入れからホウキを出して来て、急いで破片を集め出す。だが、その顔はどこかいぶかしげだ。

 実際にこうなっているから、自分達のせいなのだろう。でも、なぜこうなったのか、納得できない。

 事情を知らないケイティ達にすれば「もう、危ないんだから」と腹立たしく思っているだろう。

 しかし、彼らの方は「こんなはずでは」という思いが先に立ち、心から謝罪することができなかった。

「どう打ったら、こんな所までボールが飛ぶんだよ」

「知るか。やろうと思って打てるかよ」

 男子生徒達は、ガラスを片付けながらぶつぶつ言っている。

 昼休みに中庭で上級生の男子がよく野球をしているのは、シャスディも知っていた。

 だが、割れたガラスはバッターの後方。いくらとんでもないファールだとしても、前に飛ぶ打球に比べれば威力は少ないだろう。

 それに、彼らが野球をしている場所からここは、そう近い距離ではないのに。

「だいたい、こんなボールでガラスが割れんのか?」

「こうして割れてんじゃんか」

 軟球と言えばそれなりのものに聞こえるが、実際はかなり空気の抜けたゴム製のボールだ。床に落ちているものを見ても、円形とはほど遠い。

 彼らも、こんな事故が起きないようにするため、こういうボールを選んでいたのに。

 ボールの飛ぶ距離が不自然なら、軟球で簡単にガラスが粉々に割れてしまったのも不自然だ。

 しかし、誰もそのことについて答えを出せるはずもなく、不幸な事故ということで処理されそうな気配を見せていた。

 ケガ人がいないのが不幸中の幸い、ということで。

 これも……見えない敵の仕業かしら。だとしたら、許せない。あたしだけじゃなく、友達まで巻き込もうなんて。全然関係ない人達まで利用して。

 許せないっ。

☆☆☆

 調理実習の献立は、ミートソースのパスタ、オニオンスープ、レタスとトマトのサラダにカットフルーツ。

 さっきの事故のことを考えている暇もなく、材料の準備や野菜を切るなど、忙しい。家で料理をしている子が圧倒的に少ないため、手際もよくないし、一つ一つに時間がかかる。

 それでも、料理手順を見ながら、どの班もどうにかこなしていた。まずは、時間内に仕上げることが最優先だ。

 パスタをゆでるため、鍋に火がかけられた。強火になっていることにも気付かず、お湯が沸騰しているのも知らず、タマネギに泣かされたり、ミートソースの味付けをしたりと、誰もが鍋に見向きもしない。

「ねえ、もうパスタを入れてもいいんじゃないの」

 ようやく誰かが思い出し、シャスディはコンロの方に目を向けた。

 お鍋がかたむいている……?

 そう思った時には、鍋はコンロからしっかりずれており、まさに落下しようとしていた。

「あぶないっ!!」

 鍋は中身のお湯をぶちまけながら、床へ落ちてゆく。

 はねたお湯がかかったら、火傷する!

 そのままだと、シャスディの方へ中身がかかる向きで鍋は落ちてゆく状態。

 シャスディは強引に鍋の方向を変え、誰もいない方へお湯がはねるように魔法を使う。

 バッシャンという、お湯が床にぶちまけられた音がした。同時に、鍋が床に当たる音。

 その音を聞きつけ、まるで新婚さんみたいなふりふりレースのエプロンをつけた先生がやって来た。

「何をやったの」

「鍋が落ちたんです」

 クラスメートが注目する中、シャスディは事実だけを言った。

 シャスディ達の班が一番後ろの調理台にいて、お湯は誰もいない方へと流れている。

 これがもし真ん中の調理台にいたら、いかにシャスディでも処理しきれなかったかも知れない。不自然でも、とにかくお湯を宙に浮かせてしまうなりしていただろう。そうしなければ、誰かが火傷をしてしまう。

「大方、鍋の取っ手にエプロンのヒモを引っ掛けたんでしょう。注意しなさい。お湯をわかし直して、床は拭いておいてね」

「はい」

 誰も被害がなかったのを確認すると、先生はさっさと指示を出す。

 シャスディは鍋を拾った。落ちたショックで、一部が少しへこんでいる。

 それをそっと魔法で直しておき、水を入れてもう一度火にかけた。かたむいていないことを、しっかり確認してから。

「床の方はあたしがやるから、ソースやサラダは頼むね」

「わかった。シャスディ、一人でできる?」

「うん、まかせて」

 シャスディは実習室の後方にあるロッカーからモップを取り出し、かなり冷めたであろう水を拭きとる。

「大丈夫? 火傷とか、してないか?」

 別の台で調理をしていたウェルレイドが来て、心配そうに聞いてくれた。

「うん、平気。お湯はかかってないから」

 それを聞いて、安心したようにウェルレイドは戻って行った。

 そんなウェルレイドの様子を見て喜び、それからまた怒りがふつふつとわいてくる。

 おかしいわよ。どうして鍋があんなかたむき方をするの。いくらエプロンのヒモが引っ掛かったからって、それならその時に引っ張られた感じとかでわかりそうなもんじゃない。あたしが見た時には、もう鍋は落ちかかってた。気付くのがあと数秒遅れていたら……。

 モップを持つ手に、力が入る。

 これも、シャスディを狙ったものだ。他に疑いようもない。そうでなければ、地震があった訳でもないのに、ちゃんと置いたはずの鍋がコンロから飛び出すなんてありえない。

 今のだって、あたしだけじゃなく、周りにいた子にも被害が及んでいたかも。

 そう考えると、怒りが新たにわいてくる。

 こうなったら、放課後に見付け出してやるわ。必ず引っ張り出して、決着をつけてやろうじゃないの。あたしだって、いつまでもやられっ放しじゃないんだからね。おとなしくしてると思ったら、大間違いなんだから。

「シャスディ、そっちは片付いた? そろそろ、お湯がわくよ」

「うん、今行く」

 呼ばれてシャスディはモップを片付け、それから自分達のいる調理台に結界を張った。

 刃物や熱湯を使っている今、何か攻撃を仕掛けられたら危険だ。

 相手が手を出せないように、シャスディはいやみな程に強力な結界を張ってやった。

☆☆☆

 その後、調理実習はどうにか無事に終了した。

 シャスディはパスタを茹でるくらいしかしていないのだが、いつも以上に精神的な消耗が激しい。

 今日の授業は全て終わり、あとは掃除を残すのみだ。

 シャスディは今週、当番に当たっている。ウェルレイドも当番だ。これについては、シャスディが魔女になる前から決まっていること。

 ゴミ捨てはシャスディの番になっているので、重いゴミ箱を持って焼却炉へ向かう。

 当番の日に限って、ゴミがたっぷり入っているのには閉口した。だが、今はどうってことはない。手の中のゴミ箱は、まるで空っぽのように軽いから。もちろん、魔法を使っている。

 まさか、掃除の時間まで攻撃してこないでしょうね。あっちにとっては、掃除だろうが関係ない、か。とにかく、油断は禁物だわ。だいたい、相手がどこから仕掛けてくるのか、全然わかってないんだから。どうすれば、探れるかしら。

 二度あることは……とも言うが、今日危ない目に遭ったのは、あのカラスの件から数えて五回もあった。

 調理実習の時は結界があったから、鍋の時以降は何も起きていない。あれをしなければ刃物が飛んできたり、熱々のミートソースやスープをかぶりそうになったりしたかも知れない。

 明らかに、危険なことが立て続けに起きている。中には命に関わりかねないようなことも。魔力がなければ、とっくに病院行きだ。

 シャスディは、危険察知のアンテナを最高感度の状態に保って歩いていた。

 非常階段の下を通り掛かった時、そのアンテナが信号をキャッチする。何か危険が近付いてきたのだ。

 どこから? 何がくるのかしら。

 アンテナの感度を、さらに上げる。その途端に感じた。

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