第8話 気になる人ができたんです

《朝比奈梨子サイド》


 皿を洗い終えた私は、早々に自室に籠もった。


 先程、梨々香が「彼氏さんはお姉ちゃんの部屋行きたいですか? ムラムラできますよ」などととんでもないことを口走っていたのを思いだして、頬が熱くなる。


「まったくもう……」


 私は悪態をつきつつ、ベッドの上にぼすんと倒れ込んで枕に顔を埋めた。


 よかった。

 先週掃除をしてからそのままだったから、少し散らかってきていたのだ。万が一入られていたら、楓に掃除もできない女だと思われるところだった。

 そこまで考えて、私はふと気付く。


 私、楓くんにどう思われるかを気にしてる……?


「楓くんか」


 私は、ぽつりと彼の名前を呟く。

 今日の夕方まで、話した事もなかった。

 教室の隅で何か可愛らしい女の子が描かれた本をしきりに読んでいる印象で、なんとなく話しかけづらかったけど。


 話してみると意外に話しやすく、笑顔が可愛くて、裁縫と料理が得意という素敵な一面があった。それに――優しい。

 私のために本気で怒ってくれた。


 もし、校舎裏で海人と矢田の話を聞いていたときに私1人だったら、どうしていただろう?

 海人に面と向かって怒ることもできず、ただただ失意に沈んで1人寂しく帰っていたんじゃないだろうか?

 そして、真っ暗な自分の部屋で、失恋に涙を流すのだ。


 そうなっていたはずだった。

 けど、そうはならなかった。海人の心ない言葉を聞いたときは、ショックでしばらく呆然としていたのに、なぜか今はそこまで辛くない。

 そればかりか海人の顔よりも、楓の顔の方が頭に浮かんでくる。


「どうしちゃったんだろう、私……楓くんのことばっかり考えちゃってる」


 明日、学校に行ったらなんて声をかけよう。

 今日まで会話の一つもしてこなかったのに、いきなり馴れ馴れしくするのは失礼じゃないかな?

 いや、でも家に招いちゃったりもしてるし、今更か?


 そんなことを悶々と考えて足をバタバタしていた私は、不意に視線を感じて後ろを振り返る。

 そして――


「あ」


 ――目が合った。

 扉を数センチ開け、片方の目でじっと私を見つめる梨々香と。


「あ、あの、梨々香? そこで何やって……ていうか、いつからそこに!?」

「え? 「楓くんか」って、哀愁漂う声色で彼氏の名前を呟いてた辺りから、面白そうだと思って見てた」

「最初からじゃん!」


 私は恥ずかしくなって、思わず叫んでしまった。

 

「ち、違うのよ梨々香! 楓くんは良い人だけど、彼氏ってわけじゃなくて――ッ!」


 必至に弁解する私を、梨々香は仏のような表情でうんうんと頷きながら、


「彼氏じゃなくても、少なからず気になってるんだよね。だって、好意を持ってなかったら「私……楓くんのことばっかり考えちゃってる」なんて、あんな身悶えしながら言わないもんね?」

「いやぁああああああああああ! もういっそ私をコロしてぇえええええ!」


 ニヤニヤと人を食ったように笑う妹に口撃こうげきをくらった私は、恥ずかしさのあまり半べそをかきながら叫んだのだった。



 

 

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