其の三 エミと探偵団

 篠木家に着いたとき、大雪はもうやんでいた。空は全然晴れていて、真っ白な雲がのんびりと浮かんでいた。


 黒い斑点たちが空を早く飛んでいて、頭上からガーガーと騒がしい声が聞こえた。多分、それ、カラスたちだった。彼らに向かって顔を上げて、挨拶した。私の声を聞いて、カラスはうれしそうに返事して、篠木家の屋根にどんどん降りてきた。


 ぼんやりとした視界の中、雪が空中で舞っているように見えた。私は手を伸ばして、指先でそっと触れてみた。その瞬間、その真っ白で壊れやすいものは完全に消えて、残るのはほんのりとした寒さだけだった。


 最後の一片の雪も消えて、白雪村は久しぶりに晴れた日を迎えた。でも、私は嬉しくなかった。だって、これからまた長い暑い日が待ってるって分かってたから。


 雪、私が大好きだ。どんなに激しい吹雪でも、ますます好きになっちゃった。あの猛烈な風の中で立って、大きな雪の粒が肌でとけていく感触、大好きだ。風に吹き飛ばされて、雪の上に倒れて、頬を冷たい氷につける感触も、すごく好きだ。


 暑さは苦手で、いつも蒸し暑く感じる。風花湾って世界で一番寒い場所だってみんなが言ってるけど、私はいつもムシムシする。白雪村の人たちがなんで一日中あんなに厚着しているのか、サッパリ分からない。山に行って薪を切って、でっかい暖炉で火を起こすって、なんでやるのかしら。雪が降ると家にこもって、晴れてから外に出るなんて、理解できない。


 薄くて白いパンティ、それに同じように薄いワンピース。これが私の日常の装い。他の人に驚かせないようなら、絶対に全裸で玄関から飛び出して、雪山に向かうんだけど。一メートルもの深い雪の穴を見つけて、息を止めて飛び込む。そして、赤ちゃんみたいに静かに待つ。それから、無数の雪片が私の肌で死んで、氷の冷たい水に変わるのを感じる。太陽が山の向こうに沈むまで、雪が完全に解けるまで、それから帰る。


 人々は私の体質が特別だって言うんだけど、まるで寒さを感じないみたい。それって本当。両親や兄とはちがって、私は墨雪家で寒さを怖がらない唯一の女の子。生まれた瞬間から、こんな特別な才能を発揮し始めたの。


 三歳の頃の出来事、ぼんやりと覚えている。その日の夜、大雪が降って、お兄ちゃんが寒がるから、卧室の窓を閉めた。私、ほんとに暑いし、でもお兄ちゃんには逆らえなかった。だから、お兄ちゃんが寝てる間に、わがままで卧室から出て、庭の雪の中で寝てしまった。


 翌日、皆は私がいないことに気づいて、もうパニック状態だった。村長が村の人々と一緒に、風花湾のどこかに私を捜しまわった。昼から夕方まで、雪山から海岸まで、どこでも捜した。結局、最後にお兄ちゃんが庭で私を見つけた。


 お兄ちゃんが言ったには、その時、すでに私は雪で完全に覆われていた。庭の雪の中に盛り上がり、まるで白い大きな石のように見えたんだけど、それをみんなが見逃してたみたい。


 そしたら、彼、急いで私を雪の中から抱き上げちゃった。その時、私の顔、すでに真っ赤に凍えちゃって、髪の毛も氷だらけだったんだけど、それでも私、ぐっすりと静かに寝ていた。一瞬で、彼はなんでも理解してしまったって。


 でも、その次が重要だったんだわ。


 お兄ちゃん、明らかに自分のアイディアがあったみたいで、私を起こすことなく、代わりに家に連れて行って、そっとソファに寝かせてくれた。私が暑すぎて目が覚めないように、窓もわざわざ開けてくれた。


 その後、彼、急いで外に出て村長に知らせに行った。みんな、何が起こっているのかさっぱりわからなかったけど、私、無事って知って、安心していた。それから、彼は村の人たちを引っ張って墨雪家に向かった。


 みんなが家に集まったら、観客が席についたみたいな感じだった。そしたら、お兄ちゃんが魔術師みたいに、村人たちの前で家の暖炉を点火した。


 高温で目を覚ました私、目を開けると、本能的に大声で泣き始めちゃった。お兄ちゃんの顔を見て、また私をからかっているのかと思って、もっと大声で泣いちゃった。


 その時、村長や両親、そして熱心な村人たちまで、みんなびっくり仰天だった。成功した復讐者のお兄ちゃんだけが、狡猾な微笑みを浮かべた。


 それから、その時から私、風花湾で有名になった。みんな知っているわ、墨雪家には寒さを怖がらない娘がいて、雪の中で裸で寝るんだって。


 そう、これらの出来事を思い出すたびに、すごく懐かしい気持ちになる。思い出はだんだんと薄れて、真っ白で小さなかけらに変わっちゃった。それらはまるで鋭いトゲのように、私の心に深く突き刺さってるの。この過去の思い出、美しいだけでなく、ちょっと辛い気持ちもある。


 その頃、お父さんとお母さんはまだ元気で、お兄ちゃんもまだそばにいてくれた。墨雪家って、本当楽しかった。


 お兄ちゃん、私の大切なお兄ちゃん。今、向こうで元気にしているかな。




 今朝、仁也くんは私に無生くんのお世話を頼んで、その後、凛ちゃんと一緒に雪山へ行っちゃった。仁也、森の中で調査し続けて、カラスたちの隠れ家を見つけられるかどうか調べるって言ってた。


 「探偵団」の団長として、仁也はめっちゃ忙しいみたいなんだ。最近の調査が難航してるってのに、仁也は毎日頑張って外出して、何か役立つ手がかりを見つけたいんだって。白雪村の悲劇の真相を突き止めること、そして大海に隠された秘密を解明することに、彼、特別な情熱を注いでいる。


 「無駄かもしれないけど。馬鹿な兄さん、全然おちつかないんだから。」


 ベッドに横たわる無生、今日もそんな風に言っていた。


 兄弟の寝室のテーブルの上に、特別な本が置いてある。それはほんの薄っぺらい日記帳で、仁也くんが南の寒山町から買ってきたの、本当に昔のこと。表紙はペラペラの皮で、真ん中には三十枚以上のページが挟まっているだけで、普通の日記帳みたいなもの。寒山町のお店で一番安いやつだった、と言った。


 でも、この日記帳があって、私たちの「白雪村探偵団」が生まれたんだから。


 そっと日記帳の表紙を開けてみると、その中には本当に重い思い出が詰まっていた。黄ばんだ紙には、びっしりと文字が書かれていた。文字が見えるように、目を見開かないといけなかった。


 九十七人の名前。それは白雪村で最初の失踪事件以来、すべての犠牲者たちの名前。そして、その最初の名前は「墨雪」だ。


 うん、両親は、この一連の災害の最初の犠牲者だった。五年前の夏、ふたりは小船に乗って海に漁に出かけたんだけど、それっきり戻ってこなかった。その日は風がすごく強かったし、波も高かった。多分、ふたりはあまりにも遠くに行ってしまって、小船は深い海の波に逆さまにされて、ふたりは海の底に埋まっちゃった。


 それから、なんか変なことが村中に広がり始めた。もう静かで平和な日々は終わっちゃった。代わりに、死が次から次へとやってきた。


 なんで両親がその日、深い海に行く必要があったのか、私にはわからない。それからも、村長の警告を無視して、他の町からの訪問者を含む村の人々が深い海に向かって行ったりして。でも、みんな戻ってこなかった。今日までに、合計で九十七人もの犠牲者が出てしまった。


 彼ら、まるで呪いにかかったみたいで、大海に夢中になって、それから大海に呑み込まれちゃった。夏には船で海へ出かけて、小さな船ごと海の底に消えちゃったし、冬には氷の上を歩いて、忽然として姿を消した。


 不思議なことが次から次へと起こって、だれもが手をこまねいてた。その後、王都からの大騎士たちが風花湾への道を封鎖して、海へ行く人たちを阻止させた。同時に、私たちは村を出ることができなくなって、白雪村は孤立した島になった。でも、それでも悲劇は絶えず続いていた。あの広大な海の中に、なにかが人々をひきつけているみたいに思えた。


 村長は言うわ、これは時間の神様がくだしたおしおきで、白雪村の人々が神様を冒涜して受けた罰なんだって。でも村長でさえ、その原因をはっきりとはわからないって言っていた。まだ神様に深い畏敬の念を抱いているけど、どうして村の人々が神様の嫌悪を受けることになったのか、なぜこんなにも優しい、純粋な人々がこんな扱いを受けることになるのか、理解できなかったって。


 外部との接触を断つことを余儀なくされ、彼は夏の漁以外の時には海に近づいてはいけないし、特に深海には行ってはいけないって、村の人々に命じることになった。


 でも、もちろん、村長の理論に反対する人もいた。たとえば、仁也君。


 「神様が皆の命を奪ったって、それってかなり薄っぺらい言い訳じゃないか!犠牲者たちにとって不公平だろか!」


 私の友達、仁也はね、時間の神様なんてウソだって信じている。ただの伝説のキャラだって。彼は優しいし、勇敢で、そう思っている。白雪村で不思議なことが次々と起きるのは、どこかに隠れている悪い奴らがいるからに決まっているって、彼はそう考えている。家族や友達を失ったわけじゃないけど、ただ亡くなった人々に同情し、そして内から湧き上がる正義感から、元凶を捜し出すことを決意した。彼は誓った、裏で糸を引いている黒幕を直接追い詰めて、亡くなった仲間たちの仇を取るって。


 その後、仁也は私を見つけた。彼は私の両親が最初の犠牲者だって言って、私の存在が探偵団にとって欠かせないって思っていた。私の口から、墨雪家の過去と、あの日の出来事についての情報を得たかった。


 でも、私の記憶の中では、両親の印象はもう十分に曖昧になっちゃった。時々、両親の死すら夢のようなことのように感じる。今、目が覚めても、まるでまだ夢の中にいるかのようで、自分自身さえもわからない。


 仁也は私に、勇気を持って思い出すようにと励ましてくれたけど、私は何もできない。本来、記憶の奥深くにあるはずの光景は、どうしても言葉になることができなくて、私の口からどんどん飛び出てこない。


 私がただ過去を直視したくないだけだと言うんだけど、もしかしたら彼の言う通りかも。反論できる理由を見つけることができない。


 でも、私、本当に思い出せない。




 台所に入って、小さなナイフで解凍済みの生魚をそっと切り開いて、内臓を一つ一つ取り出す。魚のお腹から血の匂いが一瞬にして立ちのぼって、寒い空気に広がった。思わず深呼吸しちゃった。


 ほんっとに臭いはキツイんだけど、私は平気。こんなに時間が経っても、魚はすごく新鮮だ。この魚は半年前に捕まったもの。その死体が寒さの効いた冷蔵庫にずっとしまってあったんだ。風花湾の寒さのおかげで、細菌すらもその腐敗を許さなかった。そして今日、この魚は私たちの朝食として、その血と肉は私たちの力となる。


 魚を処理したら、細い鉄の棒に刺して、リビングの暖炉を焚いて、火でじっくり焼いていく。


 うわ、まさか。火が一瞬で魚を飲み込む瞬間、私もまるで焼かれてるみたいだった。たった数秒で、おでこから汗がじんわりと出てきちゃった。


 たぶん、ドアと窓を開けて、少し涼しくしよう。でも、二階にいる無生を考えると、今は我慢しようって思う。


 魚が完璧な焦げ茶色になって、香りがふわっと広がって、これで焼き魚は成功って感じ。それから、台所に戻って、包丁で魚を切って、お皿にきれいに盛り付けて、二階に運んであげた。


 「わぁ、すごく美味しそう!エミの焼き魚、兄さんよりずっと上手だ!」


 香りの良い焼き魚を見て、無生はずっと感心していた。


 彼はベッドから起き上がって、枕をふっとばして。手を合わせて「いただきます」と言って、フォークを握ってガッツリと食べ始めた。


 黙って彼を見つめて、微笑みがこぼれた。彼、実にかっこいいで可愛らしい少年で、今日も元気いっぱいね。


 でも、やっぱり過去のことが頭から離れない。もし、あの事故がなかったら、彼も仁也みたいに外で調査に出かけて、毎日ベッドで時の流れを待ってることはなかった。


 三ヶ月前の襲撃事件から、無生は病気になっちゃった。その日、仁也と無生は山で調査中、白い、巨大な爪を持つ何かに襲われた。二人とも軽傷だったけど、私は、弟が兄と同じように無事でいると思ってたのに、急に病気にかかっちゃった。


 村の皆はこの病気が何か全く分からない。風花湾は封鎖され、無生も昔のお兄ちゃんのように飛行船に乗って、南の大都市で治療を受けることができない。王国は風花湾を見捨て、白雪村の私たちも見捨てられた。封鎖線の大騎士たちに頼んでみたけど、ひどく冷たくあしらわれた。


 外部の助けを求めても無駄だって分かった後、無生は今のように家で静かに休んでいるしかなかった。


 正直言って、無生の前では悲しい気持ちを見せたくない。でも、彼を見るたびに、これらの悲しいことが頭をよぎる。彼の病気が何なのか分からないし、どんな運命が彼を待っているのかも分からない。もしかしたら、ある日突然回復して、まるで何もなかったかのように元気になるかも。それとも、ずっと今のように自分のベッドで生活を送り続けるかも。あるいは、病状が悪化し続け、そして…


 無生はほんと、そんなこと気にしないみたいで、私たちの前では一番楽観的なの。未知のことって私たちにとっては怖すぎて、遠すぎて、想像するのも難しいんだけど。でも、彼にとっては、もう何もかもわかってしまったみたい。


 「僕ら、できるだけ早くこれらのことを理解したい。まだ手遅れになる前に。無駄に犠牲になりたくないし、まあ、そんなにひどくはないと思うんだけど。」


 自分の運命よりも、彼、ほんとに探偵団の調査にすべての力を注いでるみたい。


 「少なくとも、そのくそったれの怪物、捕まえないと。」


 彼はそう言ってた。




 仁也と凛が戻ってきたら、私は篠木家を出かけた。どうやら、雪山の森での調査からは何も新しいことがなかったみたい。仁也、私に対しては、引き続きカラスたちに注意を払うようにって言ったけど、それだけだった。ちょっとおしゃべりしたら、探偵団の今日の活動は終わりになった。


 カラス。なんでしょうね、仁也があんなに気にしてるのは。


 私、ずっと前から覚えているんだけど、村にはよく現れていた。この雪の世界で、珍しい黒さを持っていた。どこから来たのか、何しにきたのか、誰にもわからない。ただ、毎日村の上空でぐるぐる回っていたり、屋根や木の枝に止まって、白雪村の人たちをずっとじーっと見ていた。


 仁也は言っていた、彼もカラスたちとこの一連の出来事のつながりが全く分からないって。でも、あらゆる可能性を追求しようとしている、たとえそれが何らかの関係性を持たないように見えても。


 私、仁也のやり方には反対しない。カラスは親友のような気がするの、まるで神様からの使者みたいで、私ずっとそう思う。


 カラスたちが好き。そして、彼らも私のことを好きみたい。カラスは、冬の使者だ。


 ほら、もう早くも墨雪家の屋根に降り立って、私が近づくのを待っている。姿ははっきり見えないけど、ただ黒い点々が見えて、屋根の上で舞って、雪の上に足跡を一つずつ残している。


 残念だけど、今日はカラスたちにはがっかりさせることになりそう。実は、家には帰らないつもりで、灯台に行く予定なの。


 そう、私の家、実は村の中にあるんじゃなくて、港にある。なぜって、両親は村一番の漁師だから、木造の家を海に一番近い場所に建ていた。そうすることで、夏がやってきたら海が解けたばかりの頃に出航できた。鮮やかな赤い旗が船首に掲げられると、一年に一度の漁期が始まる合図だった。それから、大勢の漁船たちが、両親の船に続いて海へと進んでいった。


 私の家のすぐそばには、白雪村の灯台がある。それは私の秘密の場所で、毎日のように行く。


 足元をしっかり見て、危ないところで踏み外さないように気をつけなくちゃ。それから、杖を頼りに、螺旋階段を一歩一歩ゆっくりと上っていく。灯台の頂上のお部屋に到着したら、ちょっと休憩して、そして外の円形テラスへ。テラスの積雪を軽くほうきで掃いて、立つことのできる小さなスペースを作る。そして、冷たい鉄の手すりに手をやさしく触れて、目を大きく開けて、海を見る。


 ここは白雪村の一番高い場所よ。ここから、広大な海が一望できる。


 いつからか、もう海の全景を見ることができなくなっちゃった。今じゃ、黒い霧が海の奥深くを覆い隠している。どれだけの人々がその黒い霧に身を委ね、そして永遠に消えてしまったのか、私にはわからない。


 海風が心地よく吹いて、私は目を閉じて、風の音に耳を傾けていた。


 「えっ?」


 今日の風の感じ、なんだか変なの。普段の海風は、まるで津波のようにどしんと吹き抜けて、あっという間に消えちゃう。でも今日、なんだか穏やかで、ゆらゆらとしてる感じ。リズミカルだ。


 まあ、一般の人にはどうでもいいことかもしれないけどね。もし私が他の人たちに話したら、彼らは笑ってしまう。大げさだって思われちゃう。


 でも、耳はこんな些細な違いを逃さない。視力がどんどん悪くなってきて、今では耳が私の唯一の頼りなの。だから、どんな小さな音の変化だって、私にとってはとっても怖いこと。


 そう、今、確信した。


 風の音じゃない。最初から、風の音じゃなかった。それはどこかの誰かの呼吸音。私の呼吸でも、カラスたちの呼吸でもない。


 近くに、何かがひそんでいる。

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