第9話 天使になった理由

 眼前から突進してくる霊魂たち。

 私は前方全体に視線を巡らせながら近づいてくる霊魂を観察する。


 今回の訓練は近接戦闘。

 これが普通の戦いであれば、エネルギー弾で吹き飛ばしているところだ。


 右前方の灰色でオタマジャクシ型の霊魂が、突撃してくる。そのまま食らえば、吹っ飛ばされかねない。

 私は左方向は軽くステップして躱すと、その横腹目掛けて杖を突き出す。

 しかし、思ったよりも回避行動が大きかったようで、バランスを崩してしまい上手く当てられなかった。


「翼さん、来ますよ」

 

 アンジェリカの声で前を向くと、他の霊魂たちが詰め寄ってきていた。

 私は右に左に避けると、その横腹に打撃を加えていく。だが、霊魂たちはその一撃では屈しない。


 私の前方からくる霊魂と、私を通過して折り返してくる霊魂。

 いつの間にか挟まれ、不利な状況が作られていた。 


「翼さん、その場に留まっていてはだめです」


 そのアンジェリカの声ではっとし、私は左へ走り出した。

 前方と後方の霊魂は私を追いかけ始める。そして、前からも霊魂は襲ってくる。私は走りながら、霊魂を回避し、すれ違いざまに打撃をたたき込む。だが、威力がともなわず倒せない。


 そうしているうちに、追ってくる霊魂は一匹、また一匹と増えていく。


 どうしたものか、焦っていると、左側に文さんの姿が映った。

 文さんは、小銃を手に持ち、霊魂を切り裂いていた。

 その銃を発射することなく、文さんもまた小銃を双剣のように二丁持ちし、華麗に霊魂を倒していく。


 なぜ、一撃で倒せるのか。よくよく見れば、小銃の先には白く尖った刃が見えた。恐らくあれはエネルギー体を帯びているのだろう。


 そうか。私は杖に念じて、日本刀が如きしなやかな剣先を作り上げる。

 天使力の正しい使い方を私は理解できていなかったようだ。いかにすれば、攻撃が霊魂に通りやすくなるか。その答えはこれだ。


「くらえー」


 目の前の霊魂を切り裂く。瞬く間にその体は割け、煙が吹き出す。

 これでようやく一体目。続けざま、刃を返してその横にいる霊魂を切り裂く。そして、勢いそのまま後方から迫り来ていた霊魂を叩ききった。


 そんな私を見てか、追いかけてきていた霊魂もぴたと動きを止める。その刃の届かない間合いから私の様子をうかがい始めた。


「翼ちゃん、武器の長さは変幻自在よ」


 そんな声が横からかかった。文さんだ。

 見れば、彼女のまわりにいた霊魂は一匹残らず倒されていた。恐るべき強さである。


 長さ。いまのままでは霊魂に届かない。

 だが、その長さは変えられる。

 どういうことか。考えてすぐに思いつく。


 私は刃を大きく横に振った。

 次の瞬間、その刃は伸長し、霊魂を次々になぎ払っていく。

 それに驚いたのか、霊魂はさらに私から距離を取る。だが、もう襲い。私はさらにその刃を伸ばしてそんな背中を見せた霊魂を打倒するのであった。




 戦いは終わり、私は河川敷へゆっくりと腰掛けた。

 あれだけいた霊魂の姿が、いまはほとんど見られない。全て倒したとは考えられないが、きっとその多くが逃亡したのだろう。


「いやあ、翼さんの戦いぶり、見事でしたね」


 アンジェリカがしみじみと呟く。

 それに気恥ずかしさを感じる。今回の戦いは自分の中でも上手くいった方だと思う。まだまだ未熟な部分も多いが、戦うさいに必要な考え方の一端が身についたような気がした。


「翼ちゃん、頑張ったわね」


 文さんは、そんな私の頭を撫でる。

 なんだかむずがゆい気分になる。同級生の女子がふざけて頭に触れてくるのと全然違う感覚だった。なんだか、文さんの底知れない母性を感じる。きりっとしたタイプの人ではあるが、実は優しさに溢れている。

 そんなギャップに私はドキドキした。天使の先輩が文さんで良かったと心から思う。


「なんだか、人間界で一定数需要がありそうな絵面ですねー」


 アンジェリカはややげんなりした顔でそうこぼした。


「そういえば、このあとはどうするんですか?」

「今日はこれくらいにして、天界へ行きましょうか。大量ですしね」


 アンジェリカのいうとおり、大量であった。私の瓶の中には霊魂が詰まっていた。

 前回よりも、確実にいい値がつくはずだ。期待で胸が膨らんでくる。


「私も天界に行くわ」


 文さんもそう言った。一緒に天界へ行けるのなら、願ったり叶ったりである。

 

「ただ、もうちょっとだけ休んでいけると嬉しいです」


 アンジェリカと文さんは笑って頷いた。


 私は息をふーっと吐くと、目の前を流れる川を見つめた。幼い頃に何度も見たこの川。小さい頃は、ここが私の世界の中でもとても重要な場所であり、心が躍るスポットであった。

 それが、次第に成長するにつれて、足が遠のき、記憶からも掠れていく場所になっていった。


 いま、私の瞳に映し出されるこの川が、私を少しだけ過去の私にしてくれる。

 成長とは、世界を知ることであり、世界を忘れていくこと。それがなんとなく分かって、無性に悲しさを覚えた。 


「悲しそうな顔、してるわね」

「小さい頃を思い出していたんです。ここは、私にとって楽しい思い出がたくさん作られた遊び場でした。それをいまのいままで忘れていたんです」


 人間は先へ進む。ただ、ふとしたときに過去を思い出す。


「私も幼い頃、ここでよく遊んだわ。でも、いまのいままで忘れていた。人間って不思議よね。どんどん楽しめる環境が変わっていく。楽しさを感じるのに必要な刺激も上がっていく。私たちはいま、河川敷で楽しめるのかしら?」


 感傷的な言葉だと思った。

 たしかに、小学生の時のようななににでも心が躍るような時代はもう過ぎてしまった。


「文さんとなら、楽しめると思います」


 文さんは、小さく口を開けてぽかんとしたのち、ふっと口角を上げた。


「そうね、そうかもしれない……。ねえ、翼ちゃんはなんで天使になったの?」


 なぜだろうか。私は改めて天使になった日のことを思い返す。

 天界と人間界の関係性を知り、十年前の首都圏大火が天界の霊魂の増加によって起こされたことを知った。


「私は、この世界がこのままであって欲しいんです」


 目の前に広がる川も、空も、芝生。

 様々な人が日々営みを繰り広げている。そんな世の中のままであって欲しい。絶望に満ちた世界になることを、止めたいのだ。


「そう。それは、素敵ね」

「文さんは、どうして?」


 その問いに、文さんはゆっくりと空を見上げた。


「守りたい人が、いるからかしら」


 それは、曖昧な物言いで、文さんらしからぬものであった。

 彼女の頭の中には、一体いま、誰が思い浮かんでいるのだろうか。もちろん、頭の中を覗くことなどできないため、誰というのは分かりかねる。しかし、その顔を見るに、大切な人であることは分かった。


「そろそろ行きましょうか」


 文さんは、ゆっくりと立ち上がった。

 私はその横顔をぼんやりと眺める。


「どうしたの」


 そういって差し出された手。私は考えるのをやめ、その温かい手を握り返した。

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天使の休日 緋色ザキ @tennensui241

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